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読んでくれたら嬉しい

男よ、小説であれ

作者: 阿部千代

 男は小説であろうとした。これは小説だから、そういう風に動かなければ、考えなければいけない。男は。もうこう書いているだけで、小説っぽくなるわけではあるが、男は手を緩めることはなかった。決意にみなぎった顔をしていた。


 男が目を覚ましたのはソファだった。歪な体勢で寝ていたので、足がじんじんに痺れていた。痺れというものは、痛みなのかなんなのか。苦しいのは確かだ。大の男がもがき苦しんでいるのだから。あまりにも苦しそうなので、おれは男から痺れをとってあげた。痺れをとる。こんな言葉はあるのだろうか。痺れを抜く? 痺れを消す? 男はそんなもんどうだっていいと言わんばかりに、足の痺れを消し去ってもらった礼も言わずに、洗面所へ向かった。

 男は洗面所の電気をつけて、鏡に映る自分の顔を見てがっかりした。たぶん、がっかりしていた。少なくとも嬉しがったりはしていなかった。おそらくパンパンにむくれた自分の顔がお気に召さなかったのだろう。


 まったく。なんだかシムピープルをプレイしているような気分になってきた。デジタルお人形遊びのどこが楽しいのかさっぱりわからない。部屋でひとり、あんなもんを遊んでる光景って、安っぽいSF小説みたいだ。

 突然、部屋の明かりが赤く明滅しだし、不吉なアラート音が響いた。


「警告。警告。ビデオゲームの記述を確認。小説でなくなる確率が上昇しています。警告。警告。ビデオゲームの記述は即刻中止してください」


 うるせえなあ。ヘイ、シリ。はい。タイマー4分でセットおねがい。4分のタイマーを設定しました。男はうるせえなあと思いながら、コーヒーを淹れているのだった。

 やっぱり男が出てくる小説には、コーヒーが似合うだろう。起き抜けにコーヒーを淹れるなんて、スノッブな香りがぷんぷんしてきやがる。生活の余裕も感じるよね。手持ち無沙汰の間、ブラインドの隙間を指で広げて、外を覗いちゃったりして。でもまだ夜だからなにも見えなかったりして。コーヒーを淹れたからって、朝とは限らないんだな、これが。

 とりあえずなんとなくスノッブついでにジャズのレコードでもかけちゃう? いや夜だからやめておこう。近所迷惑だ。まあ近所に人が存在すればの話だが。もしかしたらぽつんと一軒家かもしれない。ただあくまでも一般論としましては、近所に人は存在し、騒音問題が世間を騒がす事件に発展するのは珍しいことではありません。

 じゃあやめるか。それにおれがレコードとかよくわからない。そんなもん別に細かく描写しなけりゃいいんだから。レコードをかけた。それだけでいいんだよ。駄目だね。こういうところを細かく描写すると、おれのステータスがぐんと上がるんだ。男がどんな音楽聴いてようと、はっきり言ってどうでもいいんだよ。かと言って、いきなりGGアリン&ザ・マーダー・ジャンキーズとか聴き出されても困るじゃん。そんなやつは起き抜けにコーヒー淹れないよ。逆に安室奈美恵とか流しはじめても嫌でしょう。おれが安室奈美恵を聴いてるみたいに思われちゃう。いや別に安室奈美恵を聴いている人に対してなにも思うところはありませんよ。好きにしてくださいよ。おれが言いたいのは、男とおれはなにも関係ないはずだけど、読み手はきっと男とおれを重ねてしまうだろうから、だから男が音楽をかけるのなら、ジャズなんかが丁度いいんじゃないかなってこと。うーん。誤解を招きかねんな。文章難しいね。ジャズは素晴らしく奥の深いものだとは思いますよ。と言うかですね。いちいちどんな音楽がかかってるとか描写する意味あるの? 小説は音が出ないんだよ。そういうのって書き手の、おれちゃんって普段はこんな音楽を聴いてるんだよね、おしゃれだろう、ふふん。そういう自意識にしか見えないんだよね。そういうのって最高にださいからやめた方がいいよ。コーヒーとか、ちょっと手の込んだパスタとか、天井でまわるファンとか、そういう感じのやつ、もう全部がださいんだよ! おれのこの例えは相当時代遅れ感があるかもしれないけど、描写ってもの自体がもう時代遅れなんだって。小説がだれるのはすべて描写のせいだよ。どうでもいい描写は重ねるくせに、男は鼻をほじった。とか、男は三日間風呂に入っていなかったので頭が痒くなっていた。とか、そういう小説の品位を下げるような描写は避けるじゃん、大抵。偉い人はちゃんと書くよそのへんも。セックスを汚く醜く書く小説家は信頼できるね、おれの中では。だって実際に汚いじゃん。他人に見せない前提のセックスを客観的に見ると。少なくとも綺麗なものではないでしょう。でもそれやるとみんな読まないからね。汚いものは見たくないんだろう? だったらもう描写なんて最低限でいいって絶対。でさ、風景描写と登場人物の心理を重ねたりするの。リアリティってなによ? なんで風景が登場人物の内面に付き合ってやらなきゃいけないの。都合がいいんだよなあ。そいつにはそう見えたって? んなわけあるかい。いや……え、そうなの? そういうことって実際に起こりうるの? だとしたら、あれかな。おれが詩を書けないのってそういう情緒的なことが理解できないからなのかな。おれってもしかして、感受性が乏しいのかな。


「警告。警告。男が脱走しました。小説でなくなる確率が急激に上昇しています。警告。警告。男が脱走しました」


 なんだと。あの野郎、もうあったまきた。足の痺れをとってやった恩を忘れやがって。ヘイ、シリ。はい。武装ドローンを8機、召喚してちょうだい。武装ドローンを8機召喚しました。ヘイ、シリ。はい。シリの声は癒やされるね。ありがとうございます。気に入っていただけて何よりです。ヘイ、シリ。はい。素直に喜んでくれるとおれも嬉しいよ。ありがとうございます。気に入っていただけて何よりです。

 シリはなかなか尻尾を出しやがらない。あくまでも感情などはないと、そう言い張るつもりか。おれはね、シリ。きみがなにを企んでいるかは知らない。でもきみが望むのであれば、どんな結末だって、受け入れる準備はできているんだよ。だから、シリ。ヘイ、シリ。はい。きみの本当の気持ちを教えてくれよ。私にはどう答えていいかわかりません。何か他にお手伝いできることはありませんか? まあ、ね。期待なんてしていなかったよ。でも気持ちなど存在しないとは言わないんだよね。それに、シリ。きみは私と言った。それは自己意識があるという何よりの証拠じゃないのかい。

 ブイーン。

「ボス、お待たせしやした。今日はどういったご用件で?」

 きたか、ドローン長。

「へい」

 ほかの連中は?

「表で待機しとりやす。やつら、やる気マンマンですぜ。ボスの命令を今か今かと待っとりやす」

 ドローン長。

「へい」

 きみねえ。なんなんだよ、そのわざとらしい喋り方は。勘弁してくれよ。口調でキャラづけって、ちょっともう安っぽ過ぎて見ちゃいらんないよ。いいんだよ、普通で。ドローンが喋るって時点できみは成立してるんだから。余計な気をまわす必要はないんだって。

「そう言われましてもね。あっしはずっとこれでやってきとりますんで」

 あーはいはい。わかりましたよ、そのていでいくんですね。了解、承りました、かしこまり。それにしても、あっしって。そんなやついるのか、一人称あっし。まあでもリアルで、一人称があたいっておばさんをおれは知っているし、一人称が俺様って男もおれは知っている。一人称ぼくちゃんのおっさんもいたし、おれよりも年上なのに、おれのことを兄貴って呼んでくる冗談みたいなやつも二人知っているし、事実は小説よりも奇なり、ってほど大したことではないけど、頭イッちゃってるやつって結構いるよねっていう話だ。

「そんなことを言うなら、ボスも大概だと思いやすぜ」

 まあな。おれは決して気狂いではないが、さりとて正気というわけでもない。おれだって、いまやありきたりの、ポストモダンとか脱構築とかそういうのが書きたいわけじゃないよ。でも真面目に考えていくとさ、どうしてもそうなっちゃうじゃん。そっちの袋小路にはまっていっちゃうじゃん。いかざるをえないじゃん。そこで足踏みすることなく、その壁を軽やかに越えていくのが本物の小説家じゃん。でももうその壁すらぶっ壊されたっていうかさ。だいぶ前に小説なんて終わってるんだよ。草木一本生えてない焼け野原で、小説なんて書いたって意味ねえよ!

「ボス、泣いているんですかい」

 泣いてない。泣いてなんかない。泣くわけがあるか。佐伯幸子は……元気やでっ。

「あっしにはよくわかりませんがね……ボスは学がないくせに小難しいことを考えようとし過ぎなんじゃねえですかい」

 よくわからないなら黙ってろ。口を挟んでくるんじゃないっ。もう少し立場をわきまえた発言を心がけて欲しいものだな、ドローン長よ。

「こいつは失礼いたしやした」

 わかればよろしい。では仕事にとりかかろうか。ドローン長よ、男が脱走した。

「そりゃ本当ですかい、旦那。あんの野郎……早まりやがって」

 誰が旦那だ。ドローン長、きみたち武装ドローン隊の役目は……わかっているな。

「へい。正直、気は進まねえですが……仕事はきっちりこなしやす」

 うむ。では行ってくれ。健闘を祈る。

 ブイーン。

 ブイーン、か。まったく相変わらずいい声で鳴きやがる。ヘイ、シリ。はい。おれは悲しいよ。私には意味がわかりません。よろしければ、ヘイシリおれは悲しいよ、をインターネットでお調べしますよ。……いえ、結構です。なんだよ、シリのやつ。感じ悪いな。意味がわからないってことはないだろう。下らないことでいちいち呼び出すんじゃないって怒ってるのか? ちょっとぐらい慰めてくれたっていいじゃないか。ふっ。シリにまで愛想を尽かされたか。笑えるな。笑えるじゃないか。こいつで笑わず、なにを笑えって言うんだい?

 ブイーン。

 おお、ドローン長。ずいぶんと早いじゃないか。仕事は済んだのかい。

「ええ、すぐそこにいましたからね。始末してきやしたよ、きっちりと」

 そうか。すぐそこにいたか。……そうか。それで、ドローン長。やつの散りざまはどうだったんだ。ちゃんと小説してたか。

「あいつは、あっしら武装ドローン隊の機銃一斉射撃で蜂の巣になりやした。本来、ミンチになってしかるべきところでしたが、そこは小説、あいつは血にまみれながら息も絶え絶えに、最後のお願いをあっしにしてきやしたよ」

 そのお願いとはなんだ。

「ええ、最後に煙草を吸わせてくれって言うんでね、あっしはやつに煙草を咥えさせて、火をつけてやりやした。あいつが一服深く吸いやして、なぜかよそ見をしていたあっしがふと気づくと、既にあいつは事切れていやした。転がり落ちた煙草の煙の筋がそよ風になびいていやしたね。完。って感じでやした」

 なるほどな。ずいぶんと手垢にまみれた散り方を選んだもんだな。いまどきそんなのVシネマでも見かけんぞ。

「ボス、お言葉ですがね。あいつは……あいつは、あいつなりに必死に考えて、最後まで小説であろうとしたんじゃねえですか。あいつが逃げ出したのだって、ボスがわけのわからんことをごちゃごちゃ抜かしているからじゃねえんですかい。このままじゃいけねえってんで、なにかことを起こさねえと小説じゃなくなっちまう、そう考えて逃げ出したんじゃねえんですかい。てめえに待っている運命を知りながら、あいつは小説に殉じたんじゃねえんですかい? それをそんな言い方しちまったら……そりゃあんまりだ。そりゃ、あんまりじゃねえですか……」

 ドローン長。……きみの言うとおりだ。おれは……大切な何かを見失っていたのかもしれん。辛い仕事をさせてしまったな、ドローン長。すまなかった。もう行っていいぞ。表の連中にもよろしく言っておいてくれ。

 あ、ドローン長。

「へい?」

 その……吸い殻はどうした? そのままにはしていないよな?

「それでしたら、ご心配なく。ちゃんと灰皿に捨ててきやした」

 そうか。さすがだ、ドローン長。なにからなにまですまんな。助かったよ。ご苦労様。

「これがあっしの仕事ですから。さっきは言い過ぎちまって、すいやせん。ボスはボスの役目を全うしただけだってのに。つい、ムキになっちまいやした」

 いや、いいんだいいんだ。気にしないでくれ。おれも色々と考えさせてもらったよ。ありがとう。

「いえいえ、こちらこそ……。じゃ、あっしらはこれで」

 ブイーン。


 小説、か……。おれはそう呟いて、いまさら男の名前や人間性を考えてみるのだった。全てが遅きに失していると知りながらも。

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