インクルージョンの聖女
建国以来、この国は平和にやってきている。
昔、この土地は人が住むに困難な、災禍の荒野だったという。
一人の聖女がこの地に祈りを捧げて聖別し、以降は穏やかな土地になったため国が興り大きくなったとか。
なので、この国では絶えず祈りを捧げる聖女を大切にし、王宮で手厚く保護されている。
「具体的には王との結婚だとか、だが……」
そこで言葉を切り、オルディはもの言いたげな目をクラリスに投げた。
彼の後ろには申し訳なさそうに、エイミーが下を向いて寄り添っている。
クラリスは、今、聖女の儀式を終わらせたばかりだ。そのはずだ。
この国では王子が生まれると、国中から聖女候補……つまり王子の花嫁候補を集め、立派な聖女になるため厳しく教育される。
まずは穏やか、健やかであること。
性根を真っ直ぐに、痛みにも苦しみにも動じず、国を思う気持ちを持ち、忍耐強く、困難にもくじけない心を持つこと。
まさにそれを体現したような乙女が今回の聖女候補、クラリスだった。
教育機関で一番の成績を上げた彼女は今日、このクカヘの間において聖女になるための儀式を執り行うことになっていた。
つまり、ここから出ればもうクラリスは聖女だ。
晴れてオルディ王子の婚約者と認められ、遠からず、結婚式が執り行われるだろう。だから、二人はその前にとクカヘの間に乗り込んだのだ。話をつけようと。
「聖女にはなれたかい、クラリス」
オルディの質問に、儀式を終えた疲れからか、クラリスは青い顔を向けて囁くように言った。
「……ええ」
「それは良かった。おめでとう。君ならやれると思ったよ。教育機関始まって以来の好成績だと言われていたからね……でも、お願いがあるんだ。君は儀式に失敗して聖女にはなれず、このエイミーが聖女になれた、ということにしてくれないかな?」
クラリスは不安そうに喉元を撫でた。
「……どういう事でしょう……?」
「わかるだろう、クラリス? 僕たちは愛し合っているんだ」
愛する男女が結婚したいと思うのは自然なことだ、とさらにオルディは続けた。エイミーもやっと顔を上げ、「ごめんなさい、クラリスさん」と頷いた。
「機関で会ってから僕らはずっと結婚を誓い合ってきた。お願いだクラリス、聖女の役目を彼女に譲ってくれ。そうすれば僕たちは結ばれる」
ごくり、とクラリスは生唾を飲み込んだ。
「私は……聖女です……」
「そこを何とか、頼むよ。君にはきっといい結婚相手を都合してあげるし、暮らしにもきっと不自由させないよ」
「私は……聖女で……王となる人と結婚が決まっています……そこに恋愛の介在する余地はありません……」
「クラリス、僕は……」
「オルディ様! お願いです! 私は聖女です! もう聖女なんです!」
機関で学ぶクラリスは、落ち着いた物腰とたおやかな雰囲気がいかにも淑女らしい乙女だった。
そんな彼女が、どこか動揺を垣間見せているのは珍しいことである。オルディはそれを、王妃になる夢が潰えたためだと思った。
「困ったなぁ……」
「オルディ様、ここは私が話しましょう」
オルディの後ろで黙っていたエイミーが、そっと進言した。
「女同士がいいでしょうから。どうか席を外してください、大丈夫。……愛しています」
「わかった。エイミーがそう言うなら」
オルディは頷き、エイミーの頬にキスをしてクカヘの間を出て行った。
「待って! オルディ様、私は……」
追いすがろうとしたクラリスは、腹部にめり込んだ衝撃に呻いて倒れ伏した。
蹲るクラリスに、さらに打撃が降り注ぐ。何が起こっているのかも分からなかったが、一瞬、顔を上げた時に、足を振りぬこうと構えていたエイミーと目があった。ガツリ、と目のあたりに蹴りがヒットし、視界に火花が飛ぶ。
「さすが聖女第一候補、強いなあ。声もあげねー」
おまけにともう一撃蹴飛ばして、エイミーは床に丸くなるクラリスにドカリと足を乗せた。
「私さぁ、子供の頃から夢だったわけ。王妃になるってさぁ。夢にしないとやってらんないよねぇ、あんな授業。我慢大会じゃん。そのクセ、アンタがいるかぎり聖女って無理そうだしさぁ」
エイミーはクラリスと違い、機関としては不出来の烙印が押されていた。実直型で表情がすぐ顔に出る。
「でも、王子はアンタみたいのより私のほうがいいって言ってたよー。人間味があるってさー。やっぱカワイイ女は男振り回す小悪魔型だよねー、今時イイコちゃんなんて割に合わないし。ねー、だから諦めなよ。アンタだって愛されない結婚するより、田舎で平和に暮らしてたがいいでしょ? 私がちゃちゃっと聖女やっとくからさぁ」
「無理……無理です」
喉元をさすって、クラリスは喘いだ。
「あなたでは無理……うっ」
脇腹に蹴りが刺さり、クラリスは息を詰めた。
「ざけんなよ、お祈りくらい出来るっつーの。私だって授業聞いてたし。ねぇアンタ、生まれはどこだっけ。私の村はひどいよー何もなくて。田舎すぎ。今更あんなとこに戻るとか無理だし、絶対王妃なるし」
言いながら何度もクラリスを踏みつけるが、頭を守って丸くなるだけの様子に溜息をつき、エイミーはなりたて聖女の胸倉を掴んで引き起こそうとした。
「ホラ、言いなよ。聖女の座はあなたさまに譲りますってさ。蹴られたくないっしょ、もう」
ごくり。クラリスは喉を鳴らした。大きなのどぼとけでもあるかのように、そこは大きく揺らいだ。
「でも聖女になっちゃったの、私」
クラリスの囁きはついに泣き声になった。
「もうなっちゃったの、助けて。どうしてもっと早く来てくれなかったの。あなた、聖女になるの? 本当に? 国のために祈れる?」
ごくり。喉がうねる。
「な、なによ……」
「私だって知らなかった、こんなこと。聖女になって初めて……こんな……やめて……やめて……やめてやめてやめて、助けて」
パニックを起こしたクラリスはもがくように暴れた。
「私が聖女です! 私が聖女なの!! お願い……」
思わぬ剣幕に手を離してしまったエイミーは見た、彼女が急にピタリと動きを止めたかと思うと、何もない中空を見上げて口を丸く開け、意味の通らぬ言葉を不自由そうに呻いたところを。
「アー……サ……マ……」
その瞬間、クラリスの口からものすごい勢いで赤い光が迸る。喉を割き、体を燃やしながら「何か」が飛び出てきた。
光はぐるりと辺りを回り、恐怖に強張るエイミーの、開いた半口めがけて飛んできた。
「新しい聖女の誕生、また王子との婚約をここに宣言する」
高僧が国民に向かって声を投げ、国民はそれに祝福の声で応えた。
金の椅子。手にした錫杖。綺麗なドレス。国民の声。それから、隣でニコニコと能天気に笑うオルディ王子。
クラリスは儀式に失敗し(たことになっている)代わりにエイミーが選ばれし聖女になった。
何もかもがエイミーの望んだとおり……のはずなのだが、彼女は今、豪華な椅子の上で嫌な汗をかき、恐怖を必死に押し殺している。
彼女の中にはこの国の災いが眠っている。
この国の聖女は、他所からやってくる災厄を聖なる祈りでカバーしたのではなく、この地に溢れる災厄を内に閉じ込めて出さないようにする、密封容器の役だった。
確かに、そんなこと何も知らなかった。「内なるもの」が教えてくれた、共同意識からの知見だ。
高僧がエイミーに向き直り、聖女の心得を説く。
「気持ちを荒立ててはいけない。穏やかでないといけない。毎日を穏健に過ごし、胸を騒がせてはならない」
そうでないと、荒ぶる災厄は感情に乗って外へ出てしまうだろう。
形容しがたい姿になったクラリスは、もはや存在からなかったことにされている。封印に失敗すれば、今度はエイミーがああなるのだ。おぞましい悪臭と赤く燃える灰になり、そして聖女を失った国は数々の災いによってあっという間に滅ぼされるだろう。
ここは災禍の荒野。
長い平和に災いの多さをすっかり忘れた国。
これからエイミーは、自分の気を立てないための平凡な人生を、毎日祈るのだ。
確かに何かがそこにある、重くしこる喉が、ごくりと鳴った。
新作書きました
「馬鹿じゃないの?」 https://ncode.syosetu.com/n3217ik/
よろしくお願いします。