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女子高生に蕎麦を奢らされる話  作者: 塩谷 純也
4/12

肩身の狭窄、日常からの脱却

通勤、退勤の電車の中、または仕事の空き時間にぽちぽちと執筆活動を行っています。

更新の遅さ、拙い文章、どうぞご容赦ください。



再び、アイスカフェモカとロータス ビスコフが目の前に並びます。


「ありがとうございます」

「いえ、ごゆっくり」


品物を置いてくれた店員さんに礼を申し上げます。帰って来たのは、素っ気ない返答、そして目から放たれる隠しきれない猜疑心のパトスでした。

カウンター裏に戻るや否や「黒寄りの黒ですよね、店長」などと宣っていらっしゃるのが聞こえます。何が黒か。



「おじさん。李華はね」

三条さんが口を開きます。


「経済的利益をもたらす存在が幸せを運んでくれると信じているのよ。なんだっけ、500万円だっけ。そこまでは、得すれば得するほど李華は幸せになるんですって」

「660万円ね、美穂。私のバイトの金額にプラスして、おじ様が奢ってくださる蕎麦の金額を合計して660万円に近づく分だけ幸せを感じ続けられるの」


数年前に発表されたダニエル・カーネマンの『収入の評価と幸福感情』の論文ですね。よく知っていますね。おっしゃられていることは極めて下世話ですが。


「幸せの青いおじさん……なんですね」

青い鳥に掛けているんでしょう。


「三条さん。その言い方は是非やめて欲しいですね」

「……ドラえもん?」

「やめて下さい」



■□■□   □■□■



火種さんが経済研究論文に裏付けされた金銭による幸福追求者であることが、ご友人の言により発覚致しましたので、今後は調子に乗らせないように心がけましょう。

「今後は奢らぬよう心がけます」


すると

「おじ様。日本国民全員が個人として尊重され、生命、自由、そして幸福を追い求めることに対して、国家が最大限の尊重を保証していたはずです。おじ様と美穂の結託は、私の幸福追求権を侵害しています」

などと妄言を呈し出しました。


何をおっしゃるか。公共の福祉に反しない限りでしょうが。

あ、三条さんが何のことか分からずオロオロし始めました。この子、社会科が苦手ですな?


「だまらっしゃい。自己の幸せのために他者の利益取得の機会を損失させることを認めることは、自己消費分の密造酒ならば作って良いということと変わりありません。最高裁判所は『そんな自由は認められない』と判決を出しています。理不尽でも何でもありません」


どぶろくの密造が裁判になっていましたね。よくよく知識は私を助けてくれます。


「ぐぬぬぅ。どうして日本は私に投票権をくれないのでしょう。全員まとめて罷免して差し上げるのにぃ……」

「ものの判断ができない人間には権利を与えたりはしないのですよ、この国は。素晴らしい法制度です。貴女も早く社会経験を重ね、真っ当な人間になることですね。はっはっは」


目線をずらすと火種さんの横で、壁にかけられた絵を見ている三条さん。話についていけなかったのですね。何と無くそんな気はしていました。

よくこの二人は仲良くなりましたね。



「脇道に逸れましたね。話を戻しましょう。1つ目の質問、いやご指摘は以上で良いでしょうか。もう1つの質問はなんでしょうか?三条さん」


絵から心が戻ってこられましたね。えっ、何?って顔をなされないでください。これは貴女が始めた討論でしょうが。



■□■□   □■□■



「もう1つは先ほどのものより難しいです。『噂の出処が分からない』んです。往々にして噂ってそういうものではあるのですけれど」



何でも三条さんは、火種さんの噂がお気に召されず、「誰から聞いた?」「そんなこと誰が言ってた?」と噂の流れを逆行をしては、お灸を据えて回ったそうです。

しかし、最後の1人となり「駅のホームで待っている時に聞いた話だから、誰が言ったかなんてわからない。他校の生徒だったかもしれない」と足取りがつかめなくなった、と。


「その生徒さんが流し始めたのでは?」

シンプルに考えれば。問い詰められ嘘をついたと考えます。


「私もそう思ったのだけれど、その子、電車に乗る駅が学校を挟んで反対側だから、駅のホームの蕎麦屋さんのこととか知らないのよ……知らないんですよ」

「いちいち丁寧にしゃべらなくても構いませんよ。使い慣れていない言葉遣いってストレスでしょう?」

「……ありがとうございます。噂としては知っているけど実際の駅の構造は知らなかったのか『駅のホームの蕎麦屋とかあったとしても誰が行くの?妄言じゃん』なんて言われましたし」


うーむ。

同じように考え込んでいる火種さん。


考えがまとまったのか火種さんが口を開きます。

「あんなに美味しくて風情のある立ち食い蕎麦の風流さが分からないとは。義務教育の敗北ですね」


「貴女、どんな感性をしているんですか」

口を挟んでこられた火種さんに訊ねてみます。



「暗くなった駅のホーム。家路につく社会人。革靴とコンクリートのコツコツいう音と、線路と動き出した車輪の金属摩擦音、ディーセルエンジンの雄たけび。それがなくなると駅周りの草むらから聞こえる虫や蛙の鳴き声。一刻一刻と変化し、同じそれのない自然と人工物の織りなす大合奏。それを加えて、駅ホームの明かりとお蕎麦屋さんの店内の豆灯が織りなす暗がりと翳りのコントラストで作られたステージ。質素で簡素な作りは、さながら現在のお茶室です。そこにお抹茶ではなく、丸天蕎麦が差し出される。一言も喋らず、環境音を耳で聞き、出汁の匂いを愉しみ、蕎麦の味を楽しむ。これが日本の美学。陰翳礼賛です」



サラリーマンのファストフードが一気に高尚な文化になりましたね。


「何か李華がいうと美味しそうに聞こえるわね」

三条さんも乗ってきました。


「そんな現代都会の隠れ家的茶道スポットを知らない人間が、噂の出処であるはずがありませんわ。断言しても良いでしょう」

「李華ほど強くは言えないけれど、私もそんな特徴的な場所を知らない人間が発信できる内容ではないなぁとは思いました。根拠としてはそれくらいなんですけど。ただ、それで駅のホームにいた誰か、を探すっていうのは難しくて、手詰まりになって」

「美穂は友達思いねぇ。うんうん。私は良い友達を持ったよ」


やや影がありますが、美しい友情です。



「ちなみにその方はどうされたんですか?」

「噂に便乗して、李華にマタニティマークのシール貼ろうとしてたから、竹刀の錆にしました」


遊びや嫌がらせて使っていいマークではないので、その行動に関しては良いとも悪いとも言わないでおきましょう。



■□■□   □■□■



噂の出処を掴まなければ、この噂の拡散は止められない可能性がある。しかし、三条さんの努力も虚しく、スタートと思われる人物の前に発信者がいることまでしか分からなかった、と。


紙ナフキンを1枚とり、ペンで簡易な路面図を描きます。



■湯出駅

□恵比天満宮駅:立ち食い蕎麦屋のある駅

■鴨番駅:火種さんの乗り降りする駅

□茶馬駅

■掛馬駅:私の会社の最寄り駅

□西神駅

■木津根駅

□黎明駅:火種さんの学校の最寄り駅

■師越駅:本日下りた駅

□田貫大通り駅:噂の出処?

■夜鬼場駅



「こうみると、実際の現場である恵比天満宮駅と噂の出処らしい田貫大通り駅って8駅も空いているんですね。その2点を繋げられる人物が犯人である可能性が考えるわけかぁ」

「学校関係でないとするなら途方もない数がいますよね」

「際限がないわね」

路面図を見ながら、火種さんと三条さんがディスカッションを始めました。


「総当たりは難しいわ。少しは絞らないと」

「そうよね。よく『犯人は現場に戻る』って言うじゃない。それから確かめましょ」



「おじ様。行ってみませんか、田貫大通り駅」


えっ?


「私も、ですか?」


女子高生2人と並んで歩く中高年の男性というのは、社会的に非難を浴びることになることが約束されているのです。

それに私がそこまで介入する義理はありませんでしょう。


私の思考を読んだのか、表情から読み取ったのか、火種さんが私を見て言います。

「おじ様、よく考えてください」

私の書いた路面図を指さします。



「この8駅内に噂を流布する犯人がいたとします。各駅で少しずつ漏らして噂を広げているのやもしれません。となりましたらば、掛馬駅でも同様のことをしているかもしれませんよね」

といい、掛馬駅を指でこつこつと叩きます。


「おじ様の会社ってどちらにございましたっけ?」



貴重な休みが、さながらバベルの塔のように音を立てて崩れていく様が頭をよぎったのでした。



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