触らぬ神に祟りなし
昼下がりの午後、俺は教室で現代文の授業を受けていた。
白髪の少し混ざった四十代の先生が黒板に文字を書き連ねる。
不意に黒板を書く手が止まった。
「すまん、ちょっと俺トイレ行ってくっから空欄に入る言葉を書いといてくれ」
そう言って国語の先生は教室を足早に出ていった。
先生がいない、そうなるとクラスは盛り上がる。わずか3分くらいのお手洗いすら彼らは騒ぎまくる。
スマホを弄りだす奴、わざわざ立ち歩いてお喋りしに行く奴、なんかお菓子食ってる奴と千差万別だ。
しかしそのがやがやも一瞬で静かになってしまった。
先生が戻ってきたのではない。
教室の真ん中に不意に男が現れた。そいつは白いローブのような物を身に着けており、髪はクリーム色で首元に真っ黒い鉱石を引っさげていた。
教室内が何だこいつ?という雰囲気に包まれる。
そんな何だこいつな奴が口を開いた。
「あなた方、異世界に興味はあるかい?」
は?
頭が混乱するわ。
ただ何人かは既にこの状況を理解し順応したようである。
異世界系ラノベを読みまくってる男子生徒が質問をする。
「興味あるっつーか、連れてってくれんの?」
その質問を聞いた男は、中性的な顔でにこやかに笑った。
するとクラス中が歓声に包まれた。
歓声が静かになると男が話し始める。
「ええ、実はですね···あなた方は異世界に招待されてるのですよ」
クラス中がポカーンとなった。女子学級委員の阿波野が手を挙げる。
「はい?」
「あの···なんで私達が招待されてるのですか?」
阿波野はロングヘアーを手で弄りながら男にそう質問する。
「あなた方には才能があるんです。なので私達の国に来てもらっいたいのです。これは国王陛下からのお達しなのです」
国王···と聞いて尻込みする阿波野。
「何か···私達の力が必要な問題があるのですか?」
それでも食い下がらない。
「ええ、我が国は今大魔王の侵略を受けていまして···このままだと国民、土地、全てが消えてしまいます」
使者は悲しそうにそう言った。
「私達に何とか出来るの···?」
阿波野の表情は疑心暗鬼だった。
「出来ます、あなた達の才能は神レベルですから」
神レベルとか言ってる時点で胡散臭い要素MAXなんだけど。
ただ皆はそこで有頂天になったらしい。再び歓声がクラス中を包んでいた。
うーん···今や異世界というのは一大ブームと聞くが、アニオタとかラノベヲタならともかく女子までも大ウケとはな。
誰かこいつをおかしいとか思わんのだろうか。もしかしたら心の中では皆そう思っているのかもしれないけど言い出せないだけなのか。
皆、異世界と聞いてテンションは高くなっている。しかし皆ただ騒ぐだけで特に前に出るやつなどはいない。
わちゃわちゃ騒ぐ中で一人の男子生徒が声を挙げた。
守谷である。
「招待されてるなら、俺は絶対行くぜ」
「守谷···」
引き留めるわけでもなく学級委員が言った。
守谷は一人教卓の前まで行き、男に宣誓するかのように言った。
「誰も行かないようだが、とにかく俺だけは異世界に行くぜ。こんな世界、こんな国にいても幸せにはなれないだろうしな」
確かに年金がどうだとか気にする人にとっては、幸せなんて来ないだろうな。
「おい···守谷、お前だけに独占させねぇよ」
クラスのムードメーカーの高山が立ち上がる。
それに合わせてクラスの何人かが口を合わせるように“そうだ、そうだ!”と立ち上がる。
こりゃだめだ···と俺は思った。
「私も異世界に行きます、このチャンスを逃せばRPG好きの名が廃りますから!」
女子学級委員さんか。あ、あなたってゲーム好きだったの?
クラスの中心の女子学級委員にそんなこと言われたら、たまらず他の女子がばんばん手を挙げる。
その中で一人尻込みをしてる女子がいた。
基本陰キャで喋ってるのを見たことも無いような眼鏡の女子だ。
「ちょっと早川さん!あなたは行かないの?」
女子学級委員が陰キャに強く迫る。
「あ、あの私はそんな怪しい異世界なんて···」
正論だ。
「大丈夫よ、特殊能力で強くなれるから」
実際行ったことは無いだろうに。
「でも···不安です」
「大丈夫よ、私とクラスメート達がいるわ!」
パワーのあるセリフに早川の引け腰がしっかりとした姿勢に変化した。
早川はどうやらそのセリフに気持ちを押され、立ち上がって教卓の前まで行ってしまったようだ。
色々あって最後に俺が残った。
異世界からの使者は真っ直ぐに俺を見据える。
「行かないのですか?まあそれもありでしょうけど···」
そう言って使者は残念そうな顔をする。
「なんだよ、不破お前行かないのかよ。もうこんな世界飽き飽きしただろ!」
不破というのは俺の名前だ。
他の生徒からもそのような言葉を大量に浴びせてくる。
ひとしきり皆が罵声大会したところで俺は訴える。
「あのーお前らさ、現実に飽き飽きしたとか絶望したとか言ってるよな。果たして異世界に行ったらそれが満たされると思うかい?」
「思う、まずこの世界に楽しいことなんて無いだろう?だからこの世界に留まること自体が地獄だと俺は考えるぜ」
守谷はそう反論した。
「その前にお前は異世界というのを知っているのか?その男からもまだ内容についてほとんど説明もないじゃあないか」
「ほとんど説明も無くてもあれだけでわかるだろ、異能力を手にして世界を飛び回るんだぜ」
でしょ?というように守谷は男を見る。男は“そうですよ”というように小さく微笑む。
「異世界がお前の思い通りってわけじゃないんだぞ!」
思い切って言ってやった。
「思い通りではない、だがそれは俺の能力でどうとでもなる。魔王もぶっ倒せるわけだ」
バカだろ。
「お前の能力だと?そんなものほんとにあるのかい」
そう言いながら俺は奴を嘲笑する。
「おい、笑うのは俺だぜ。見ろ、俺の能力を···」
は?
そう言った彼の右手は紫のオーラに覆われていく、そして手全体がそれで覆われた後右手は教室の壁に波動を放った。
教室に直径3メートル程のクレーターが出現する。
「お前···いつそんなものを」
俺は狼狽えながら聞く。
「さっき使者の人に授けてもらったんだよねー、行くって言った諸君には既に備わってるよ」
皆“マジで···”と言いながら能力を確認する。
皆が和気あいあいとしてると不意に使者が口を開く。
「皆さん!もう時間がありませんよ!早く異世界に行かないと」
使者が焦りながら言うと、皆は“はーい”と言って静かになる。
「良いですか?私が皆さんの前にゲートを作ります。私が『いい』と言ったら空間に列順に入ってください」
了解!というように皆が前を向く。
「おい、本気で異世界に行くんだな?」
俺は“戻ってこい!”と言うように皆に聞いた。
「行くぜ、俺らは」
男子学級委員の重い声が教室に響く。その声はその意志を如実に含んでいた。
私たちもね···女子学級委員が小声でそう言った。
もう俺は何も言えない。
使者が手を前に突き出し、エネルギーを放つと空間が開いてその先の世界が見えた。
その先の世界は緑豊かであり草木や花に満ち溢れていた。
天国のようだ···と俺は思ってしまう。
「行きますよ!」
使者の一声でゲートに近い奴らから順にゲートに入っていく。
皆一人教室に残る俺に「さよなら」と言いながらゲートに入る。
そして最後の奴がゲートを潜り、全員が異世界に去っていった。
使者はゲートを開けておくためか最後まで居た。最後のやつが潜り終えると使者はこちらを向く。
「本当によろしいのですか、こちらの世界に居たって将来どうなるか判ったものではないでしょう···?」
使者は何で来ようとしないの?という目をする。
「少なくともあなたの世界よりは分かるよ」
「私の世界は夢や希望に満ち溢れた自由の国なのです」
宗教者みたいだな。
「お、胡散臭さ倍増ですね」
そう言いながら俺はへらへらと笑っている。
これには使者は口を閉ざしてしまい、軽く頭を掻いて溜め息をついた。
「これでは仕方ありませんね···信じていただけなくて残念です。まあお別れついでにクラスメートの皆さんの姿をお見せいたしましょう」
そう言うと奴は両手を広げる。すると奴に神々しい光が舞い降りてどこからかあいつらの姿が浮かんできた。
「飛んでる···私空を飛んでるわ!」
空を颯爽と飛び回る女子、女子学級委員だ。つか映画みたいなセリフだな。
「すげえな、グレネードランチャーだ···」
守谷は結構重そうな大きな銃を持っている。引き金を引くと遠くで爆発した。
「メガファイヤー!」
俺の隣の席のやつだ。メガファイヤー!の後に巨大な爆発音がする。おそらく火の玉かなにかが爆発したのだろう。
映像はそこで止まった。
「いかがですか···?」
「悪いね、俺はそういうの信じないから」
今流したものが本当とは思えない。
「そうですか···力になってくれると思ったのですが残念です」
奴はそう言うと早々に諦めてゲートへ入った。
ゲートの中から「さよなら」と言う声が聴こえた。
そしてゲートはゆっくりとジッパーを閉じるように閉まっていった。
誰もいない閑散とした教室に俺は一人となる。
別に俺は異世界系が嫌いだとか、そういうラノベを読まないから不安だとか、そういうことを言いたいのではない。
俺は訳のわからない奴らが繁茂してるような世界には行きたくないのである。それは弱虫とかではない。
なぜならそこは人知を超えている世界だからだ。まるで宇宙人と接触するようなもので、こちらは何があっても対抗する手立てがまるっきり無いというわけだ。日本政府が助けてくれるのかい?
よく治安が悪い都市とか国などを列挙して、「ここは嫌ね〜」と思ってたらあんなところ行けるものではない。
奴の言ってることも意味がわからない。
つか我々に才能があるというのも不明すぎだ。嘘か本当かなんて何でどうやって調べろというのだ、さっきの奴の能力も異世界に行って通じるかも疑問だ。
もしくはそれすら嘘かもしれない···
そう思って俺はさっきのクレーターのあったところを見た。
一面の白い壁。
クレーターは消えていた。
···あいつら終わったな。
俺はふとそう思った。おそらく異能力はすべてホログラム技術か何かだろうと思われる。
でもわざわざなぜ騙す必要があったのか···
まあ行った先におそらく何かの不都合があるんだろうがな···
ツアーとか勧誘とか、そういう生易しい理由ではないはずだ。
おそらくあいつらを奴隷化するとか···
まあ何にしても向こうの世界は“良い世界”でないことは確かだ。
別にクラスメートなどどうでもいいけどな···
ふと廊下から足音が聴こえる。
俺は閑散とした教室を見回してみて思った。
「この状況···何て言えばいいんだ?」
▼ところ変わって異世界組···
「あれ?」
異世界に来たクラスメート達は困惑していた。ゲートから見た緑の自然と花がどこにも無かったからだ。
代わりにここはどこかの部屋であり、中には何もなくコンクリートの床とガラス窓で覆われている。まるで工場のどこかの部屋みたいな場所だった。
困惑する一同に対し、使者は言う。
「私と松並君と阿波野さんはそこのドアから部屋を出ます。あなた達はこの部屋から出ずに待っていてください」
唐突に名を呼ばれた松並は驚いて使者の顔を見る。
皆、え?という顔をする。
「さ、お二人はこっちへ」
使者は二人の手を引く。
は?と言う二人をよそに使者は強い力で彼らを引っ張った。
二人が部屋から出る。
「あの···どういう?」
と阿波野が心配そうな顔で使者に尋ねる。
使者は答えない。
松並はガラスの外から皆を見つめている。ガラスの中では守谷が外の二人をどうしたのかという感じで見ていた。
「さて···」
そう言うと使者は懐からリモコンを取り出す。そしてスイッチを静かに押した。
すると一瞬青白い光が見え、ガラス内のクラスメート達が痙攣したかと思うと、倒れて動かなくなっていた。
「え?い、一体何なの···」
阿波野は腰が抜けてしまった。
松並もただガラスの側から動けない。
「ね、ねえ···皆どうしちゃったの?」
阿波野が座り込んで震えている。
使者が答える。
「どうした···ああ、気絶したんですね」
阿波野は半泣きになって言う。
「な、何でそんなこと···!」
「工程の一部なのです、人肉加工のね。ほら、あるでしょう?豚を出荷するときとかにやる電気ショック」
使者はそう言って笑った。
阿波野は思考が停止してしまい、笑うことも泣くことも出来ない。
「し、死んでるの···?」
阿波野は吐き気を感じたようだ。
「人によりますね、まあこの後の工程で確実に死ぬでしょうが」
そう言いながら白ローブはもう一度スイッチを押す。
また電気が流れたようだ、クラスメートの肉体がピクッピクッと動いている。
「取り敢えずこれでいいでしょう、はい阿波野さん、これで全員死にましたでしょうがお気に召しました?」
白ローブは笑って言う。
その行為に「最早こいつに感情はあるのか?」と思う松並だった。
「あ、質問」
松並は唐突に白ローブに言う。
「うん?何」
「人肉加工って要するに僕らを加工して食用肉として食うと?」
松並が冷静にそう言った。
「そうですよ」
使者は優しくそう言った。こんなときに優しく言われても嬉しくはないな、と松並は思った。
「まだ質問」
「ええ、何です?」
白ローブは感情のない笑顔で笑う。
「工場の外はどうなってるの?」
「あなたが拝むことは無いでしょうが、この世界はあなた達の世界より科学が進んでましてね。東京にはスカイツリーに迫るような高層ビルだらけですよ」
「ひょっとしてこの世界は時間軸の違うパラレルワールドなのかな?」
「御名答です、あなた達は見ることは無いでしょうが」
その言葉に阿波野はなにかに気づき、震えながら言った。
「私達をなんで外に出したの···?」
使者は半分にやけながら言う。
「あなた方お二人は、種を作るのです」
▼異世界に行かなかった奴【不破】視点
平和だ···と俺は思った。
自分一人の静かな部屋では鳥のなく声が聴こえる。
コーヒーを啜りながら、俺は一週間前にクラスメートが異世界へ行ってしまったことときのことを思い出す。
結局あのあと俺は現代文の教師に、クラスメート達が消えたことをくどくど説明した。
ただ変なことを言うと精神病棟に入れられたり、アメリカのCIAの取り調べを受けそうなので、『変なマスクの連中がやって来てクラスメートを誘拐した』と言った。
俺は何度か警察の取り調べを受けたが、特に異世界に関することは言わなかった。
言ってもどうせ信じないでしょ?
今俺は別段変わりなく生活を送っている。
せいぜい変わったのはクラスメートくらいだ。
たまにあの現代文の教師を見ると、異世界なんかに行った連中は今どうしてるのだろうかと思うが、もう今となってはそんなことどうでもいい。
異世界に行かなくて良かったのだろう···ということで、俺の意見は固まってしまっているからだ。
つか、あの白ローブはまた来たりしないのだろうか。
それだけが心配要素である。
空に向かって俺は一言。
「ここは天国だ···」
この部分で完結でもほんとはいいかもしれない。