第89話 悪魔への恐怖
「――私は、悪魔だ」
ヘルヴィの腰辺りから翼が生え、そして頭には翼と同じ色のツノが生えていた。
おそらく本物の翼とツノ、人間ではない。
その容姿の特徴を見る限り……伝承でしか伝えられていない、悪魔である。
「まさか、本当に悪魔という生物が存在しているなんて……!」
驚き、興奮、そして……少しの恐怖。
未知の存在に会うというのはイデアとしても刺激的で好ましいが、まさか悪魔に直接会えるとは思わなかった。
悪魔は未知だが、恐怖の象徴だ。
イデアは詳しくないが、「願いを叶える代わりに命を奪っていく」という伝承を聞いたことがある。
それが本当なら……いや。
(おそらくテオ様が契約者。つまり命は奪われていない? それともこれから奪うつもりなの?)
「ふむ、落ち着いた考えだな。一つ言っておくが、私はテオとの契約者だが、命を奪うつもりは今後一生ないことを断言するぞ」
「……ヘルヴィ様は、心が読めるのですね?」
「ああ、そうだ」
そういえばさっきも、心を読まれたかのように質問に答えられていた。
動揺していて気づかなかった。
「私は悪魔の中でも頂点に君臨する。この世で私以上の悪魔は、存在しない」
「……そうですか、良かったです。ヘルヴィ様ほどのお強さを持った悪魔が、そこら中にいたら夜も眠れませんから」
「ああ、この星を破壊するつもりもないから、安心して眠りにつくがいい」
ヘルヴィは紅茶を一口飲み、話を続ける。
「ジーナとセリアは良かれと思って、私が悪魔だということをお前に伝えていなかったようだな」
「そのようですね。おそらく直接聞いたほうが信じられる、という意図でしょうか」
実際に直接聞いて良かった。
あの二人の手紙に、「これからそっちに行く女性は悪魔だから」と書かれていても、信じることは難しかったかもしれない。
むしろあの二人が何か幻を見せられたか、無理やり書かされたなどを疑う可能性が高い。
事前情報がなかったからとても驚きはしたが、これが最善だっただろう。
「悪魔は人間が召喚して、契約を結ぶということであってますでしょうか?」
「ああ、そうだ」
「ではヘルヴィ様はテオ様と、何を契約したのでしょうか?」
テオが何を思ってヘルヴィという悪魔を呼んだのか、どういう契約をしたのかが気になる。
その契約次第では、こちらの行動によってヘルヴィが敵対する可能性がある。
テオに危害を加えるつもりはないが、それ以外にも何か敵対行動と取られるものがあったら……。
そう考えてイデアは問いかけたが、ヘルヴィは少し恥ずかしそうに頬を染めていた。
「……元は強くなりたいと思って、私を呼んだようだ」
「そうなのですか。それで、実際に願ったものは?」
「……結婚だ」
「……えっ?」
イデアはしっかりと聞こえたが、聞き返した。
信じられなかったのと、ヘルヴィの可愛らしい反応をもう一度見たいと思ってのことだ。
「……おい、心を読めると言ったはずだが?」
「あら、そうでしたね。忘れてました」
怖い顔で睨んでくるヘルヴィだが、その頰はいまだに赤かった。
全く怖くない、というのは嘘だが、怖さは半減だ。
「しかし、結婚ですか……テオ様も、思い切ったものですね」
「ふふっ、そうだな。それは同意見だ。私も最初は本気か疑ったよ」
当時のことを思い出すように、ヘルヴィは笑みを浮かべながら話す。
「私が悪魔だとわかった時、普通の人間であれば少なからず恐怖を抱く。先程のお前のようにな」
「……そうですね」
もちろん否定は出来ない。
心を読まれているのだから、イデアが感じた恐怖心など伝わっていて当然だろう。
「しかしテオは悪魔を召喚したのに、恐怖という感情は一切なかった」
悪魔が出るという召喚術を使ったから、多少身構えていたからだというのもあるだろう。
しかし半信半疑でやったはずで、いきなり悪魔が出てきて恐怖しないというのは難しい。
だがテオから「結婚してください!」と言った後に覗いた心の中は、恐怖心は一欠片もなかった。
「それは……大物になりますね」
「ふふっ、すでに大物だぞ。この私の、夫なのだから」
「あははっ、そうでしたね。うっかりしてました」
悪魔の頂点、力の頂点であるヘルヴィの夫以上に、大きな役などあるだろうか。
そんな役がたとえあっても、ヘルヴィとテオの前では無に等しいだろう。




