第8話 キマイラ
遥か昔、この世界は魔物が統べていた。
人間という脆弱な生き物は強力な魔物に踏み潰され、生きる場所を失っていた。
人間には知能というものがあったが、その時代にはほとんど通じない武器だった。
だがその知能が、悪魔を召喚させた。
ある人間が悪魔を召喚し、
『強い魔物を殺し、人間が住みやすい世界にしてくれ』
そう願った。
それから数日が経ち――。
ほぼ全ての魔物が、絶滅した。
神にまで恐れられた魔物や、地獄から来たのではないかと言われた魔物。
それら全てが、この世から消えた。
ある一人の悪魔に、絶滅させられたのだ。
その時代に生きていて、『弱い』からこそ絶滅は逃れた生物がいた。
それが今、テオと――その時代の魔物を絶滅させた張本人、ヘルヴィの目の前にいるキマイラだった。
「ヘルヴィさん……! キマイラが寝ているようなので、逃げましょうよ……!」
テオは目の前で横たわっているキマイラを見て、涙目になりながら小声でそう言う。
寝ていてもその姿は大きく、体長は十メートルは超えているだろう。
しかしその姿を見ても、全く怯まないヘルヴィ。
「ふむ。私の前でも寝ているとは、不快だな。起こすか」
「いや、起こさないでくださいよ……!」
テオがそう言っても、もう遅い。
ヘルヴィがキマイラに向けて、一気に殺気を放出する。
「――っ!?」
殺気を当てられたキマイラはすぐさま起き、飛び退く。
洞窟の中なので身体が天井に当たり、洞窟内が揺れる。
「わわっ……!」
「おっと、大丈夫か?」
いきなりの揺れに倒れそうになったテオを、ヘルヴィが支えた。
普通なら男が女を支えるものだと思うが、この二人では逆のようだ。
「あ、ありがとうございます……」
「ああ……」
「? あの、もう離して大丈夫ですけど……」
ヘルヴィはテオの腰に手を回し、抱き寄せている。
見下ろすようにテオの顔を見つめ、そして唇に目がいく。
(さっきお預けされたから、今ここで……! いや、ダメだ、こんなところでやっても風情がない。もっと雰囲気があるところで……)
心の中で葛藤し、欲を抑え込む。
「ああ、気をつけろよ」
「はい、ありがとうございます」
ようやく二人は離れて、キマイラが逃げた方を見る。
「……ヘルヴィさん、何をしたんですか?」
「殺気を出して、逃げないように結界を張っただけだが」
キマイラは逃げようとしているのか、洞窟の奥に行こうとしているのだが、見えない壁に阻まれて進めてない。
死に物狂いでここから離脱しようとしていて、奥がダメなら壁や天井に体当たりをしているのだが、それすら結界で阻まれている。
体当たりしても音がしないので、奇妙なダンスを踊っているように見える。
「あの伝説の魔物が、こんなに逃げようとするなんて……ヘルヴィさん、本当に強いんですね」
「さっきも言ったと思うが、私は最強だからな。さて、終わらせようか」
ヘルヴィは右手を前に出し、軽く横に振った。
瞬間――キマイラの頭が、胴体と離れた。
血は噴出しない。
ヘルヴィが出ないようにしているからだ。
理由は単純、臭いから。
「す、すごい……こんな簡単に、キマイラを倒すなんて……!」
頭だけでもテオより大きいキマイラの死体を見て、目をまん丸にする。
彼のその姿を見てヘルヴィはクスッと笑った。
「私にかかればこのくらい朝飯前だ。ふむ、そういえばこの世界に来てから飯を食べていないな」
「あ、僕料理作れます!」
「そうか、テオの料理は美味そうだ。帰ったら作ってくれるか?」
「もちろんです!」
初めて老夫婦以外に料理を振る舞う、しかも自分の奥さんにということで気合が入るテオ。
「何が好きとかありますか?」
「そうだな……肉と、あとは甘いものも結構好きだ」
「あ、僕も甘いもの好きです! じゃあデザートあったほうがいいですね!」
「デザートか……」
(食後のデザートで、テオを……いや、やめておこう)
ヘルヴィは何かを言おうとしたが、やめた。
「さて、そろそろ帰るか。死体は全部持っていったほうがいいのか?」
「そうですね。こんなすごい魔物をどう剥ぎ取ればいいかわからないので、できれば全部そのまま持っていければいいですけど……」
「わかった。簡単だから大丈夫だぞ」
テオの心配を覆すように、キマイラの頭と胴体を浮かした。
簡単に運べることを示すために、指を振るとそれについてくるようにキマイラの死体も空中で動く。
「おー、すごいです!」
「これで大丈夫だな。じゃあ帰るか」
「はい!」
そして二人は洞窟を後にし、街に戻る。




