第121話 死んだ…?
その人物を見た瞬間、キーラとクレスは同時に思った。
――死んだ、と。
まさか自分達が、この化け物の相手に手を出していたなんて、思いも寄らなかった。
傭兵の中でもトップクラスに強い自分達が、見た瞬間に勝てない、逃げないといけないと判断させるような相手。
それが今目の前にいるヘルヴィだ。
クレスがあの馬鹿な雇い主の手紙を部屋に届けに行った時、確かこの女は相手の男とヤっていたはず。
つまりその相手の男というのが……テオだったということだ。
(あっ、そう考えると興奮します)
初心だと思っていた男の子がまさか朝っぱらからヤっていたと思うと、クレスは興奮したが……そんな考えは一瞬でなくなる。
(私のテオで卑猥な妄想をするとは、いい度胸だな)
(っ! この人、直接脳内に……!)
クレスの考えを覗いていたのか、脳内にヘルヴィの声が流れてきた。
そんな魔法があるのか知らないが、魔法使いであるクレスはその魔法のすごさがわかる。
(相手の考えを見抜く魔法ですか……確実に高度な魔法で、しかも魔法力で差がないとおそらく使うことは出来ないはず……つまり、私でも魔法力にそれだけの差があるということですね)
(察しがいいな。聡い奴は嫌いではないが……相手が悪かったな)
あの倉庫でも絶対に敵わない、敵対してはいけないと思っていたが……やはりそれは間違いではなかったようだ。
それを今、改めて実感したクレス。
ほとんど同じことを、キーラも感じていた。
(うはぁ……逃げる隙が、全くないっすね。今少しでも逃げるようなことをしたら、一瞬で八つ裂きになる未来しか見えないっす)
キーラは振り向いてヘルヴィの姿を確認してから、即座にその場から逃げないといけないと判断した。
しかしどう逃げようとしても、上手くいかないと簡単に想像出来てしまった。
いや、想像ですらない、確信だ。
今逃げたら、絶対に死ぬと確信していた。
(やっばー……生まれてこの方、こんなにも死を身近に感じたことないっすよ)
あの倉庫の時にすぐに逃げると判断したのは間違いではなかった。
そして逃げ出せたのも自分達の力ではなく、ただヘルヴィが見逃しただけというのも正解だった。
だが今回は……終わった。
化け物が、悪魔が本気で怒ってしまった、怒らせてしまった。
悪魔からは、逃れられない。
キーラとクレスは、死を覚悟した――しかし。
「あっ、ヘルヴィさん、おかえりなさい」
天使が……微笑んだ。
固まっている二人の間を通って、ヘルヴィに近づくテオ。
「服屋に行ってたんですよね? 服はどうだったんですか?」
「服……あ、ああ、そうだな」
ヘルヴィはテオと部屋で分かれる時に、そんな言い訳をして部屋を出たのを思い出した。
「いくつか服は出来ていたようだが、まだ出来てないものもあったからな。明日以降、取りに行くつもりだ」
「あっ、そうなんですね。じゃあその時は一緒に行っていいですか? やっぱり一人で街を回るより、ヘルヴィさんと一緒にいた方が楽しいです!」
「……そ、そうだな。私も、テオと一緒にいた方が、楽しいぞ」
「っ! ふふっ、よかったです!」
怒りを通り越して殺意を抱いていたヘルヴィだが、テオと接しているとそれが消えていくようだ。
「あっ、このお二人は、一人で街を回ってたら知り合って……僕のために、刀を買ってくださったんです」
「……ほう、そうなのか」
ジロッと睨むように二人のことを見るヘルヴィ。
ビクッと震える二人だが、それに全く気づかないテオ。
「キーラさんとクレスさんです」
「そ、その……キーラっす……」
「……クレス、です」
テオに紹介されて、生きた心地があまりしないまま言う二人。
「ヘルヴィだ。私の、夫が、世話になったみたいだな」
「へ、へー……テ、テオ君、結婚してたんすねー」
「お、お綺麗なお嫁様ですね。とても、お似合いだと思います、はい」
白々しく冷や汗を背中に流しながら言う二人。
「そ、そうですか? えへへ、嬉しいです……!」
そんな白々しさに気づかないテオは、「お似合い」という言葉にただただ喜ぶ。
今までテオとヘルヴィのことを見てそう言う人はいなかったので、ただただ嬉しがった。
「……そういえば、テオは刀を買ってもらったんだったな。代金を返さないとな」
「い、いいっすよ、それくらい、ほんと」
「ええ、大丈夫です。むしろもっと上げたいくらいです」
「いや、そういうわけにもいかん。刀の代金は、これくらいだな」
先程、武器屋で確認した刀の代金を麻袋に入れて、ヘルヴィが二人に近づいて手渡しする。
その際に……テオには聞こえないように小さな声で喋る。
「まだ未遂で……そして、テオが貴様らに好印象を持っているようなので、今回は見逃して……いや、あとで仕置だけで済ましてやる。ただ次はない、いいな?」
「う、うっす……!」
「はい……ヘルヴィ、様……」
そう言ってヘルヴィが離れると、キーラとクレスは足が震えるのを我慢しながら早口で言う。
「じゃ、じゃあ、とてもお似合いで最高の夫婦の邪魔をするわけにもいかないっすから、うち達はこれで!」
「そうですね、ええ、とても名残惜しいですけど、ええ、またお会い……したいようなしたくないようなわかりませんが、今日はこれで失礼します」
「えっ、あっ、はい、じゃあまた……行っちゃった……」
それを言い切った二人は高台の階段を落ちるように下っていった。
テオはいきなり帰っていってしまった二人を、目をまん丸にしながら見送った。
「ヘルヴィさん、あのお二人知り合いだったのですか?」
「……ふむ、知り合いというわけではないが、まあ顔は知っていた程度だ」
「そうなんですね。あっ、お昼どうしました? 僕もお弁当を作ってたんですけど、あのお二人に刀のお礼で差し上げたので食べてないんですよ」
「何? テオの手料理を? では代金を渡すんでなかったな」
「いやいや、僕の手料理くらいで刀の代金を帳消しには出来ないですよ」




