二人の赤色人種①
たとえ薬によって体が自由になっても、偏見による暴力や心無い言葉に晒される日々は千鶴を苦しめた。仕方ない、慣れれば大丈夫。そう言い聞かせても、櫻林館という新しい環境に飛び込むとき、不安で心が震えないはずはなかった。
それでもその日、訓練用パイロットスーツに着替え終えた千鶴は、一生懸命自分を奮い立たせ、笑顔で声をかけたのだ。この手で自分の世界を切り開いていくために。
「俺もその雑誌読んだよ! 今年のこと座流星群はすごいらしいから、明後日が楽しみだよな!」
更衣室のベンチで天文雑誌を読んでいた紺色のパイロットスーツ姿の雪輝は、少し驚いた様子で顔を上げると、やや肩をすくめて言った。
「でもその日は二年生の夜間演習がある。野外照明が明るすぎて星なんか見えないだろ」
好奇の目で見ることもなく嫌な顔一つせず、笑うことすらなかったが、何の偏見もないその反応が千鶴は嬉しかった。
「じゃあ、一緒に流星を聞いてみないか?」
「流星を聞く?」
首を傾げた雪輝の隣に、千鶴は腰掛けた。
「ラジオを使うんだ。遠くの放送局に周波数を合わせると電波が届かなくて雑音しか聞こえないんだけど、流星が通過すると一瞬だけ電波が届くんだって」
「ああ、流星の電離ガスを利用するのか。電離ガスに反射した電波を受信するんだろ?」
「すっげぇ! どうしてそんなこと知ってんの!」
そうして天文の話で盛り上がり、雪輝の部屋でラジオによる流星の観測を実際にやってみることになった。
二日後の夜、千鶴と雪輝は生きた化石と言われるラジオをなんとか手に入れて、雪輝の部屋で雑音に耳を澄ませた。雪輝は机の椅子に腰かけ、千鶴はベッドの上であぐらをかいていた。
しばらく黙ってじっと聞いていると、ザーッと流れる雑音の中に、ほんの一瞬クリアな音が割って入った。流星の電離ガスに電波が反射した瞬間だった。
「流星だ! 本当に聞こえた!」
千鶴のハイタッチに雪輝は戸惑いながらも応じて、それから二人で笑った。
初めの方は雑音に紛れる流星の数を数えていたが、いつしか他愛ない会話の方が盛り上がって数え忘れ、結局ラジオも消して、いつの間にか喋り疲れて眠っていた。朝が来て、千鶴がベッドを占領していたため、机に伏して眠るしかなかった雪輝に怒られたのも覚えている。
今思えば、科学本好きの雪輝ではあるが天文の本を読むのは珍しい。雪輝が天文の本を読んでいるのを見かけたのは、後にも先にもこれきりだった。しかしそれが雪輝に声をかけるきかっけとなり、そして彼は赤色人種だった。
雪輝は千鶴をどう思っていたのか。真っ赤な髪とエメラルドの瞳を晒して声をかけてきた千鶴に、何も思わなかったはずはない。
千鶴は静かなコックピットの中で、閉じていた目を開けた。
トロージャン・ホークへの強制通信を入れてからしばらく経ったが、あちらからの通信回線は一向に開かなかった。それが雪輝がそこにいることの無言の肯定であるのは明らかだった。
「雪輝、来ないね」
松波からの通信画面の中で、陽介がぽつりと呟いた。
「待っても、来るのかな……」
陽介が口にした不安は、千鶴が静寂のコックピットの中で何度も飲み込んでいたものだった。先ほどの呼びかけを雪輝が聞いていたかもわからないし、聞いていたからと言って雪輝が出てくる保証はない。かといって力づくというわけにもいかない。
もう一度強制通信をいれてみようかと思った時だった。沈黙に伏していたレーダーに反応が見られた。
急いでその方向の光学視野を拡大すると、紫の戦闘機が暗闇の宇宙に浮かんでいた。
「雪輝だ!」
陽介の張りつめた声が聞こえた。
輸送船の方から接近してきた戦闘機型のファルコンは、クレインに対峙するように向かい合って停止する。そしてすぐに通信回線が開かれた。




