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RedWing ~光翼のクレイン〜  作者: やいろ由季
第七章 檻の中
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邂逅①

 目を開けると、驚くほど美しい満天の星空が広がっていた。少し冷たい空気が漂う夜のどこか。何千何万と散りばめられた星屑またたく夜空が、辺りを包んでいる。


「どこだ、ここ……?」


 星空を仰いで寝そべったまま、千鶴は小さく呟いた。


 すると、その呟きに応えるかのように、突然夜空に窓が開いた。建物はなく、空にぽっかりと窓が開いている。そこからそろりと顔を覗かせたのは、赤い髪の少年だった。


「赤色人種……!」


 千鶴は目を見開いて上半身を跳ね起こした。


 初等学生くらいのその少年は、窓から眼下を見下ろしているようだった。頭上に広がる美しい星空になど見向きもせず、ぼんやりと下ばかりを見つめている。その顔はとても暗く、疲れていて、気だるげに目をやっと開いている様子だ。


 千鶴にはその少年の苦しみがよくわかった。笑えないのも、意識がクリアにならないのも、目を開けているだけが精一杯なのも、千鶴がよく知る感覚だったからだ。まるで幼い頃の自分を見ているようで胸が締めつけられた。


「大丈夫か?」


 千鶴は空の窓にいる少年に手を伸ばした。少年は千鶴の声が聞こえたようで、不思議そうにこちらを覗きこむと、唐突に窓枠の外に上半身を乗り出した。


「おいおい、それは危ないだろ!」


 受け止めるには難しい高さから少年は身を乗り出している。目はとろんとしていて、この高さを理解できていないようだった。


「落ちる、落ちる! 危ないって!」


 千鶴が必死に手や首を振って制していると、少年の背後から顔を真っ青にした女性が現れた。


「何してるの!」


 そう叫んだのは、見紛うはずもないよく知った人物だった。


「花江先生……!」


 しかし花江は千鶴には気づかぬ様子で、少年を抱きかかえて中に引きずり込んだ。


「危ないでしょ、千鶴君!」


 花江はそう言ったが、千鶴と一度も視線を合わせることなく窓を閉めてしまった。


 ひとり取り残された星空の下、混乱している頭を整理して、千鶴は気がついた。


「あの子供、まさか俺なのか!」


 千鶴がそう叫んだ瞬間、千鶴を中心として世界は高速回転を始め歪み始めた。




 ねじ切れそうな意識の遠くで、鉄板が鈍く叩かれる音が響く。広い空間に反響しているその音は、だんだん近づいてくる。音は次第に鮮明になり、音の源が目の前にあるとわかり始めた頃、その手に走る激痛も現実となった。


「ここから出せ! ここから出せよっ!」


 七歳の千鶴は、檻の中で必死に鉄の扉を叩きながらそう叫んでいた。


 この時はまだ千鶴という名前すらない。無機質な記号で呼ばれていた、研究所で飼われていた頃。


「出せよ! こんなところは嫌だ! 外に出せっ!」


 腫れ上がった手は熱を持ち、叩く度に痛みが全身に行き届く。激しい痛みの中心、手の骨の部分には電撃のような痛みが貫いたが、千鶴はその痛みによる悲鳴を全て『出せ』という言葉に変えていた。


 静まり返った空間に、扉を叩く音と自分の大声が響き渡る。周りには同じように檻に入れられた子供たちがいるのに、抗っているのは千鶴だけだった。隣の檻の子供など、隅で身を縮めたまま本など読んでいる。


「うるさい……」


 隣の子供は蒼白な顔でそう呟いて、また分厚い本に目を落とした。彼も『出せ』とは言わない。本を持つ手や肩が震えているというのに、隈のできた顔を隠すように本を抱え直している。


 どうして我慢していられるのか理解できなかった。千鶴はとにかく外に出たい一心で叫び続け、叩き続けた。


「またお前か!」


 白衣を来た男たちが五人、荒々しい早足でやってきた。


「違う……違う!」


 千鶴が後ずさりをして首を振っても、男たちは扉の鍵を開けてぞろぞろと檻の中に入ってきた。一人が千鶴の腕をつかみあげる。


「違う、それじゃない! やめろ! それは嫌だあああぁぁっ!」


 四人がかりで腕や足を押さえ込まれ、身動きがとれない。そんな千鶴を白衣の男たちが覗き込んでくる。


 すると、彼らは突然赤い光で包まれ、揺らめき始めた。それはまるで炎のようだったが、熱はなく、全身に鳥肌が立つほどの異質な冷気を放っていた。


 そして冷たい炎は揺らめきながら、次第に真っ赤な鳥の姿になった。


「あ……赤い鳥が……! 来るな! 来るなっ!」


 四羽の鳥が千鶴を覗き込む。


「わああああっ!」

「目が赤くなるぞ! 急げ!」


 立っていた男が振り返った。細い注射器を片手に千鶴に迫りくる。近づくにつれ、その男も赤い鳥になった。


 千鶴は叫びながら暴れたが、押さえられているので敵わなかった。腕に針の小さな痛みを感じると、千鶴の意識は強制的に深い眠りの中に引きずり込まれていった。


 沈められた意識は波に揉まれて時を越え、まるで水面に浮かび上がるように体に舞い戻る。


 時を越えたその意識は、罵声によって目を覚ました。


「早く起きろ!」


 気が付くと千鶴は冷たい床の上に転がっていた。起き上がろうとしたが、全身ががくがくと震えて力が入らなかった。


「どうして反撃しようとしない! 動きは一度映像を見て覚えただろう!」


 天井のスピーカーから罵声は響く。千鶴はよろめきながら立ち上がった。自分よりわずかに年上の赤い髪の子供たちが千鶴を取り囲んでいる。彼らは構えの姿勢をとってはいるが、とても怯えた様子だった。


「だって、痛いと思うから……」


 千鶴は身を縮めながら恐る恐る小声で言った。

 案の定、返ってくるのは罵声ばかりだ。


「これはお前の訓練なんだ! さっきの映像からシステマを体得したことを証明してみせろ! そうでないと今度はこいつらに罰を与えるぞ!」


 目の前の子供たちの首輪から電子音が鳴り、小さな光が点滅を始める。電流が流れる合図だ。子供たちの顔がさらなる恐怖に引きつった。


「やめて! ちゃんとやるから!」


 電子音と点滅が消えた。子供たちが怯えながら構えをとる。


 緊張感が張りつめる狭い部屋の中、千鶴はなんとか肩の力を抜いて顔を上げると、飛びかかってくる子供たちの方へ静かに足を踏み出した。


 歩くように足を運びながら、映像で一度見ただけの技を再現してゆく。千鶴にとっては造作もないただそれだけのことが、大人たちには珍しいらしい。


 映像で見た通り、自分の体の力は抜きつつ、相手の重心を崩していくことに意識する。そうすれば相手がたとえ自分より大きくとも、小さな動きで軽々と複数の相手を地に落とすことができるはずだった。


 両手は赤く腫れ上がっているので、できるだけ足技を使う。思わず手を使ってしまったときは、歯を食いしばって悲鳴を飲み込んだ。


 そうして見よう見まねで動いているうちに、千鶴の足元には向かって来た子供たちが呻きながら転がっていた。


「よくやった。やはり動体視力も記憶力も群を抜いている。再現性も完璧なようだ」


 褒め言葉は珍しいものだったが、それを聞いている余裕は千鶴にはなかった。

 いつの間にか、冷たく奇妙な空気が足下を這っていたのだ。


 覚えのあるその冷気は千鶴の足を這い上がり、体を登って首筋を取り巻き始める。全身に鳥肌が立ち、息も詰まるようだった。心臓も震えはじめる。


「あの鳥が、来る……」


 小刻みに早くなる呼吸の合間に、意図せず声がこぼれる。


 床に伏していた一人が、頭を抱えて震えていた。冷たい空気はそこから湧き出てくるようだった。


 彼は震えながら蒼白な顔を上げ、千鶴を見上げた。その目は真っ赤に染まっていた。

 千鶴は首を横に振りながら後ずさった。


「嫌だ、来るなっ!」


 千鶴には赤い目の少年ではなく、炎のような赤い鳥が見えていた。それは床を蹴り千鶴に飛びかかってくる。


「来るなあああぁぁっ!」


「幻覚症状か。連鎖的に二名が発作を起こした」


 天井の舌打ちなど、千鶴が気付くわけもなかった。真っ赤になった思考は千鶴の理性を吹き飛ばし、迫りくる赤い恐怖に暴れて抵抗するので必死だった。


「手が付けられない。強制的に落とすぞ」


 真っ赤な冷たい恐怖の中、聞き覚えのある電子音が聞こえた。そして体がバラバラにされるような強い衝撃に貫かれ、千鶴の全ての感覚は吹き飛ばされた。


 吹き飛んだ意識は恐怖の海に落ち、溺れていた。怖い、怖い、怖い。その言葉が意識を埋め尽くす。


 光の届かない深海まで沈み、真っ暗な闇の中で千鶴は震えていた。


「誰か助けて!」


 心の悲鳴が深海に響き渡る。

 すると真っ暗な闇の底を赤い光が照らした。見下ろすと、赤い何かが翼を広げるようにすいすいと泳いでいる。


 それはまるで炎のように赤く揺らめいているが熱はなく、代わりにぞくぞくするような冷気が海もろとも千鶴を冷やした。


 次第に赤い光は勢いを増し、海底は火の海のようになった。下から迫りくる赤い揺らめきが千鶴を飲み込もうとする。


「飲み込まれたくない! 助けてっ!」


 海面の方へ手を伸ばした。すると突然太陽が顔を出したかのように明るくなり、千鶴は恐怖の海から目を覚ました。

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