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RedWing ~光翼のクレイン〜  作者: やいろ由季
第六章 トロイの鷹
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決別③

「遅かったな」


 そう言ってきた雪輝の声は、普段と何ら変わりなかった。


 しかし千鶴は、雪輝が見慣れないパイロットスーツに身を包んでいるのを見て、嫌な予感が的中したことを悟った。だがそれを信じる気にはなれず、雪輝に直接聞かずにはいられなかった。


 千鶴は恐る恐る雪輝の方へ歩み寄った。


「雪輝、ここで一体何を――」

「そこまでだ」


 雪輝はさりげない動作で千鶴にハンドガンを向けた。


「そこから動くなよ。動いたら撃つ。ゴム弾やショック弾なんて生ぬるいものは入れてないんだ。死にたくなかったら撃たせるなよ」

「どうして……!」

「どうして?」


 雪輝は鼻で笑った。


「そりゃお前にはわからないさ。能天気に生きてきたお前なんかにはな」


 そう言うと、雪輝は千鶴の後ろへ視線を向けた。


「陽介、武器は全部下に置け。言う通りにしないと千鶴が死ぬぞ」


 僅かな沈黙の後、床に何かが並べられていく音が聞こえてきた。背後の陽介が言われた通り身に着けていた武器を置いているようだ。


「アサルトライフルにハンドガン、閃光弾、スタンガン、ワイヤー、ナイフ……か。おいおいナイフは何本あるんだよ。腰のそれは弾薬だろ? それも置けよ」


 陽介が弾薬を床に置く音が聞こえた。床に並べられた武器を見渡し、雪輝は嘆息する。


「さすが葉山家の人間だな。事前に教えてやったとはいえ、よくもまあこれだけ装備して間に合ったもんだよ」


 その雪輝の言葉に、陽介が短く息を吸ったのが聞こえた。


「まさか、リークしてきたのは雪輝!」


 雪輝はその笑みを答とした。


「あんな計画を実行させるわけにはいかなかったからな。千鶴も莉々亜もあそこで死んでもらうわけにはいかなかったんだ」


「千鶴と莉々亜ちゃんが狙われていることをいつから知ってたんだ!」


「最初からだ。二人があの時間あの場所にいることをやつらに教えたのは俺だからな」


 突然腰から何かがすり抜けたと思ったら、千鶴の前に陽介の背中があった。

 雪輝に銃口を向けて、ハンドガンを両手で構えている。陽介は千鶴が背中に挟んだままだった銃を一瞬で抜き取ったのだ。


「雪輝がそのつもりなら、僕だって容赦しない」


 雪輝と銃口を向け合う陽介は、そう声を低くした。


「やめて! こんなのやめてよ! なんで二人がこんなこと……!」


 莉々亜の悲痛な声が響く。


「陽介、そこをどいてくれ。雪輝の銃口は俺に向けられたものだ」

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろ!」

「雪輝と話がしたいんだ! 頼む」


 陽介はしばらく黙って動かなかったが、結局は短いため息と共にわずかに横にずれた。それでも銃口は雪輝に向けたままだった。


 雪輝の銃口は再び千鶴を捉える。


「こんなの嫌よ! みんな友達じゃない! あんなに仲良く過ごしてたのに……!」


「友達だって?」


 雪輝はおかしそうに目を細めた。


「よくもそんなことが言えたもんだな! 俺たちを騙しておいて、どの口が友達だなんて言えるんだか!」


 言葉を失った莉々亜の代わりに、雪輝は声を落として続けた。


「次世代戦闘機ファルコン。これには特殊機能『人工ROP(ロップ)システム』が搭載されている。生体の代謝経路を模してつくられた、自己エネルギー生産システムだ」


 難解な言葉が続く雪輝の説明に、千鶴は必死に耳を傾けた。


「人工ROPシステムに利用されたのは、Ropw(ロップダブリュ)タンパク質群が関与する特殊な代謝経路だ。この代謝経路を持つ生物は、体内でとんでもない量のエネルギーを作り出すことができる。普通の生き物のエネルギー生産量とは比べ物にならないくらいにな」


 そこまで言ってから、雪輝は小さく吐息した。


「だがそれは生体での話だ。この代謝経路に限らず、生物が驚くほど効率的なエネルギー生産方法で生命維持を図っていることは昔から知られていたが、人は今までそれを人工的に再現することができなかった。……だが、人類はついに成功させてしまったんだよ。しかもよりによって、実現すれば核融合に匹敵するエネルギーを生み出すことも可能なROP代謝でな!」


 雪輝の鋭い目が、莉々亜を射た。


「その主導を握り核に代わる兵器を生み出したのがこの女だ。そうだろう、春日部莉々亜。いや、本田莉々亜と呼んだ方がわかりやすいか」


 銃口を向けられているにもかかわらず、千鶴は思わず背後の莉々亜に振り返っていた。


 莉々亜は青ざめた顔で固まっていた。


「何言ってるんだ、雪輝! ただの学生の莉々亜にそんなことできるわけないだろ!」


 千鶴の反論に雪輝は鼻で笑った。


「学生だって? 笑わせるな。防衛省付属櫻ヶ原大学に設置された極秘プロジェクト、そこでこの女は特任研究員として軍事開発に携わっている。七歳で麗櫻国最難関の麗明大学に入学し、十一歳で博士号を取得。麗明大学入学当時、本田莉々亜として有名になった天才児だ。櫻ヶ原大学の学生だなんて真っ赤な嘘なんだよ!」


「本田……!」


 おさげの少女が思い出された。

 幼い頃、櫻ヶ原大学病院で出会った少女は本田と呼ばれていた。病院は櫻ヶ原大学の敷地内にある。滑走路で見かけた莉々亜に似た女性は、白衣を着ていた。


 雪輝の語る莉々亜の素性を否定したくとも、千鶴の記憶と雪輝の話は一本の線で繋がってしまう。


 追い打ちをかけるように、莉々亜の上ずった声が聞こえた。


「どうしてそれを……」

「人工ROPシステムの論文を読ませてもらった。著者が身近な人間だったから驚いたよ。ご丁寧に“Kasukabe, Honda, Riria”と二つの姓が書いてあったからな」


「あれは国家機密の論文よ! どうして雪輝君が読めたの!」


「俺にとってはセキュリティシステムなんて、あってもなくても一緒なんだよ。政府機関の極秘データベースにだって入り込むのは不可能じゃない」


 莉々亜は言葉を失っていた。


 雪輝は千鶴に視線を戻した。


「千鶴、面白いことを教えてやるよ。国家機密のデータベースにあった情報だ。赤色人種の赤い髪、そして赤く変色する目。その赤色はRopwタンパク質の色だ。赤色人種は黒い色素であるメラニンが極端に少なくて、そういう意味では白色人種に近い。目の色が緑なのも白色人種と同じだ。虹彩のメラニン色素が少ないから目が緑色に見えるんだ」


 それは千鶴でさえ初めて知った事実だった。雪輝は続ける。


「だが赤色人種の特徴は、白色人種とは違ってメラニン色素に代わる別の色素が存在することだ。それがRopwタンパク質。このタンパク質は活性化すると赤くなる。活性化して赤くなったRopwタンパク質はROP代謝経路を動かし始め、体内で膨大なエネルギーを生み出す。そしてこのRopwタンパク質は、地球上全ての生物と比較しても赤色人種にしかないものらしい。それが、核に匹敵する兵器として応用された……」


 雪輝は莉々亜を一瞥すると、「つまり」と目をきっと細めて断言した。


「その女は赤色人種を軍事利用したってことなんだよ!」


 突然あらゆるものを突き付けられて、千鶴は混乱していた。


 雪輝は、次世代戦闘機に搭載された人工ROPシステムが赤色人種特有の代謝経路を模して作られたもので、それを作ったのが莉々亜だと言っている。


 その話の筋は理解できたが、雪輝に銃口を向けられているこの状況や赤色人種の容姿の秘密、莉々亜の素性についてなど、色々な衝撃が千鶴の思考を妨げていた。


「千鶴君、ごめんなさい……!」


 莉々亜の悲鳴のような声が響いた。


「ごめんなさい! こんなことになるなんて……兵器に利用されるなんて思ってなかったの! 私は、赤色人種からヒントを得た新しいエネルギー生産システムを多くの人たちの助けとなるように使いたかった! そうしたら赤色人種への偏見もなくなるんじゃないかと思ったから!」


「莉々亜ちゃん……」


 千鶴の代わりに声を絞ったのは陽介だった。


 莉々亜は否定どころか認めてしまった。


 千鶴は両拳を握り、やり切れずに大きく吐息することしかできなかった。震わせながら吐ききった後には、奥歯を噛みしめた。


「千鶴、これで楽になったろう。辛いとか苦しいとか言ってたが、赤色人種を軍事利用してるとわかれば、こんな女のことなんてすっぱりあきらめられるんじゃないか?」


 千鶴は雪輝を強く睨んだが、雪輝はしれっと肩をすくめた。


「まあ、色々と喋ったが、俺の置き土産はそんな感じだ。代わりにファルコンはもらっていく。あっちにも手土産を持っていかないと、ねちねちと文句を言ってくる鬱陶しいやつがいるんでね」


「どうして……どうして雪輝がこんなことを!」


 低く絞り出した千鶴の問いに、雪輝は冷ややかに言った。


「どうしてだろうな。俺もそれが知りたいよ。俺もあの時誰かに助けられていたら、こんなことはしなくて済んだのかもな」

「あの時……?」


 千鶴が聞き返しても雪輝は答えず、銃を降ろして背を向けた。


 千鶴は咄嗟に陽介を手で制止した。


「ショック弾だって知ってるだろ!」

「あっちは実弾だ! ここで撃ち合いは危ない!」


 陽介は莉々亜を一瞥して、悔しそうに構えかけた銃を降ろした。


 雪輝はファルコンの胸の位置にあるコックピットへ続くタラップを登った。登り切ると、雪輝の操作でファルコンのハッチが開く。


「無理よ、雪輝君! あなたではファルコンは動かせないわ!」


 莉々亜の声に、雪輝は冷めきった目で振り返った。


「ああ、確か人工ROPシステムには操縦アシスト機能もあるんだったな。確かにアシストがないと、こんな複雑な機体の操縦なんてできそうにないな」


「そうよ、それは簡単には動かせない。次世代戦闘機を動かせるのは赤色人種だけよ!」


 それは莉々亜の切り札のようだったが、雪輝には全く効果がなかった。


 雪輝は不敵に笑うと、片目に手を伸ばした。


「誰が、赤色人種じゃないと言った?」


 その手が離れた時、雪輝の片目は鮮やかなエメラルドになっていた。


「俺は火星で生まれ、あの日研究所からたった一人助けられることのなかった赤色人種。戦うための道具として飼いならされた鷹なんだよ!」


 千鶴は愕然とした。追いかけて止めるべきなのに、足が動かない。


「千鶴、先に行ってるぞ」


 雪輝は莉々亜を一瞥した。


「どうせあと一機や二機、似たような次世代戦闘機を隠してるんだろ? 千鶴、お前なら乗れるはずだ。お前にはまだ話すことが残ってるんだよ」


 雪輝がコックピットに乗り込むと、ハッチが閉じてファルコンの目が緑色に光った。

 四肢が動いて固定具が破壊されると、とたんに格納庫の警報機が鳴りだした。


「火星航路で待ってる」


 ファルコンから雪輝の声が響いた。

 雪輝はそれだけ言い残すと、ファルコンで格納庫を壊し、滑走路へ歩き出す。


 半壊した格納庫は電気系統の破壊による火災が起きていた。瓦礫が落ちる中、千鶴は莉々亜をかばいながら火の手の上がる格納庫を飛び出した。


 滑走路に目を向けると、ファルコンは戦闘機に変形すると、驚異的な加速で滑走路を突き抜け、あっという間に夜空の彼方へ消えてしまった。

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