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RedWing ~光翼のクレイン〜  作者: やいろ由季
第五章 星空の下で
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赤い目④

 櫻林館の寮の一室、八階建ての最上階。昼間は海が見える窓には、夜の今は暗闇が広がっている。


 優雅なピアノの音色と芳ばしいコーヒーの香りが部屋を満たす休日の夜のひと時。雪輝はカップを片手に椅子に背を預け、手元の資料に目を落としていた。


 不意に机に置いていた軍用小型通信機が鳴る。


 雪輝はカップを置いて音楽を止め、資料に目を落としながら通信に出た。


 雪輝が言葉を発する前に、嫌味な男の声が聞こえてくる。


「失敗ですよ、失敗! どっちも逃げちゃいました!」


 いつもにやにやしている佐古であるが、今はかなり不機嫌な様子だ。


「だから前から言ってるだろ。あんな私兵、使い物になるかよ」

「うるさいですね! それでもオリジナルのセリフですか!」


 雪輝は鼻で笑った。


「あんなやつらと一緒にされちゃ困る。この世に俺は一人だけだ。遺伝子が全く同じでも意思や行動パターンまで一緒じゃないんだよ。つくづく馬鹿だな。同情するよ」

「なんですって!」


 佐古が声を荒らげたところで、すぐに穏やかな雨宮の声が続いた。


「久しぶりですね。いつも連絡は佐古君を通してましたから。元気そうで何よりです」


 どうやら佐古が通信機を取り上げられたらしい。雪輝は雨宮に「そりゃどうも」とそっけなく返した。


「で、さっそく今後の行動なんですけど、打ち合わせ通りにお願いしますね」

「変更がないならわざわざ通信入れるなよ。こっちはちゃんと予定通りに動いてるんだ。俺からしたらお前の私兵があいつらを取り逃がすのも予定のうちなんだよ」


「これはこれは、耳に痛いお言葉ですね」

 雨宮の朗らかな笑い声が聞こえる。


「でもここからは本当に予定通りにいかないと困るんですよ」


 穏やかではあるが、今度の雨宮の声には鋭さがあった。


「操縦は本当にできるんでしょうね?」

「実物に触ってないからなんとも言えないが、操縦方法もコックピットの構造も全て頭に入っている」


「知識は完璧なわけですね」

「俺を誰だと思ってんだ。あまりなめるなよ」

「そうツンケンしないで下さい。僕は君を必要としているんです。君が力を貸してくれるなら、僕はしっかり君のことを守りますから」


 その軽薄な言葉にはもううんざりだった。雪輝は反論するのも嫌気がさし無言を返事とした。


「僕はいつでも君の味方ですからね」


 そう追い打ちをかける雨宮の声は限りなく優しく、そしておぞましかった。


「お前、方針は変わっていないだろうな」

「方針?」


「お前はこの世の否定と改善を世界に訴えるために武力がほしいと言っていた。その武力はあくまで発言力を高めるための後ろ盾。俺はただの飾り。それでいいんだろ?」


 しばし沈黙が流れたが、くすりと雨宮の声がこぼれた。


「もちろんです」


 信用できないが、信じるしか道はなかった。


「それならとことん飾りに徹してやるよ。世界がお前に反論する気が失せるような飾りにな。……ただ、代わりにひとつ頼みがある」


 その言葉に、「おや、これは珍しいですね」と雨宮は驚きを見せた。


「何です? 珍しい君の頼み事ですから、できうる限り聞きましょう」


 雪輝は少しためらったが、結局言うことにした。


「火星に行きたいんだ」

「火星に?」


 雨宮が意外そうな声で反芻した。


「ここを出たら、その足で火星に行きたい。必ずそっちへは戻る。渡すものもちゃんと渡す。だから、ほんの少しだけ見に行きたいんだ。……自分が生まれた場所を」


 しばし雨宮は黙っていた。だが沈黙の後、「いいでしょう」と穏やかな声が続いた。


「僕たちはもう火星にも地球にもいられなくなる。最後に一目見ておくといいでしょう、君の故郷を」


 故郷。その響きに不思議と違和感はなかった。理由や手段はどうあれ、確かにあの場所で自分は生み出されたのだから。


 その場所をもう一度見ておきたかった。同じ場所で生まれ、全く違う人生を歩む彼と共に。


「感謝する。その証に、仕事はしてみせる」

「信じていますよ。僕らのトロージャン・ホーク」


 その言葉を最後に、通信は切れた。


 目的を達するため、雨宮は敵の内部に木馬ではなく鷹を差し向けた。トロイア戦争では木馬はギリシャ人によってトロイアに運ばれ、木馬の中に隠れていた複数のギリシャ兵たちによってトロイアは滅亡し、ギリシャは勝利した。


 だが雨宮が送り込んだ鷹はたった一羽。トロイの木馬(トロージャン・ホース)と違って、孤独だ。


 雪輝は資料を机に置いた。

 資料には細かい文字と図で次世代戦闘機の操縦手順が書かれている。タイトルには『FALCON』という文字が大きく記してあった。


 机の上の写真立てを手に取り、雪輝はそれに目を落とした。


 その日のピクニックはバースデーパーティーを兼ねてくれていたが、それは櫻林館に潜入する際、書類上必要になって適当に佐古が決めた誕生日であった。


 雪輝は自分の本当の誕生日など知らない。だがその写真たての中の写真には、そうとは知らずに心から祝ってくれた友人たちの笑顔が並んでいる。


 その写真を雪輝は静かに机の上に寝かせた。そして、握りしめた通信機を思い切り振り下ろした。


 写真立てのガラスに、蜘蛛の巣のようなヒビが大きく広がった。

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