思わせぶりなサンドイッチ③
「おやおや、千鶴さん。顔を赤くしたりため息なんてついちゃったりしてますよ」
ひっそりとたたずむ大きなクスノキの上から、陽介が軍用双眼鏡を覗いて言った。
「どれどれ?」
陽介より上の枝に足を引っかけた雪輝は、逆さまにぶらさがったまま手を出した。その手に渡された双眼鏡で、雪輝はバス停の方向を覗いた。
ゴミ袋を背負った千鶴が肩を落として歩いている姿が見える。
「かなり複雑な顔してるな。今声かけられたら面倒臭そうだ」
雪輝は双眼鏡を陽介に返した
陽介は再び双眼鏡を覗く。
「せっかく二人きりになれる機会を作ったけど、少しは進展したのかなぁ。莉々亜ちゃんも泣きながら何か言ってたみたいだったけど……」
「泣きながら! まさか、千鶴が泣かせたのか!」
「さあ。話してる内容まではわからなかったよ。マイクも仕込んでおけばよかったな」
「お前は密偵か……」
雪輝がつっこんでも悪びれた様子もなく、陽介はため息をついて双眼鏡を下ろした。
「今日はここまでか。莉々亜ちゃんも帰っちゃったことだし、次の機会に持ち越しだね」
「ずいぶんな世話焼きだな」
「だって、じれったいんだもん」
陽介は不満気に口を尖らせると、「それに千鶴には借りがあるからね」と小声で続けた。
「借り? なんだよ、それ」
躊躇するように呻ってから、陽介はそっけなく答えた。
「大げさに聞こえるかもしれないけど、千鶴のおかげで自分の道をみつけられたって感じかな」
陽介は双眼鏡を片付けながら続ける。
「僕が葉山流現代舞踊家元の長男であることは雪輝も知ってるでしょ? 将来決まってるようなものだけど、自分で決めたわけでも好きなことでもなかったし、いつも逃げ出すことばかり考えてた。そんな時に千鶴はべそをかいてる僕を励まして、厳しい稽古にまで付き合ってくれたんだ。それからなんだかんだで実家を継ぐ決意もできたから、そのきっかけをくれた千鶴には感謝してるんだ」
そう言いつつ双眼鏡を入れたバックパックを背負った陽介に、雪輝は「お前も大変なんだな」と肩をすくめた。陽介は「まあね~」と他人事のように笑った。
「でも、お前がそこまで気にかけなくても、あんなの放っておけば勝手にくっつくだろ」
「だといいけど、千鶴って絶対超奥手だもん。ああ見えて自信ないみたいだし」
陽介の意外な見解に、雪輝は思わず目を丸くした。
「あんな怖いくらいにプラス思考の能天気なやつが?」
「能天気になろうとしてるんだと思うよ。そうじゃないと乗り越えられないことがいっぱいあったからさ」
「へえ……」
雪輝は逆さの姿勢を解いて、足を引っかけている枝に座り直した。
「そうやって幼馴染が世話を焼いてくれるなんて、あいつはホント恵まれたやつだよ」
「そう言えば、雪輝は幼馴染とか中等学校までの同級生たちと連絡取らないの?」
見上げて聞いてきた陽介に、雪輝はしばし考え込んでから自嘲した。
「そういうのって面倒だろ?」
陽介が不服そうな顔をしているが、気にせずに雪輝は話を打ち切ることにした。
「ほら、もう降りるぞ。こんなところにいるのが教官に知れたら厄介だ」
「僕ミーティングあるって言っちゃったから、まだ部屋には戻れないや。雪輝の部屋に避難させてよ。今度美味しいケーキ屋さんのマカロン買ってくるからさ」
そう言って両手を合わせておちゃめにお願いの仕草をする陽介に、雪輝は呆れた。
「なんだよその交換条件。俺はお前の彼女か!」
「甘いものは生物界の至宝だよ! 男も女も関係ない!」
「甘いのは今日のケーキで充分だ。ブルーバードのコーヒー豆なら手を打とう」
そう言って雪輝が降り立った後、陽介も頬を膨らませつつクスノキから飛び降りた。