山下の紙オムツ
【前回のあらすじ】電波的謎の声が聞こえたような気がした露がふざけて終わった。あと、タイトルもふざけていた(平常運転)。
「いやぁ、今日もなかなかのカクレーボンヌでしたなぁ」と言う粉雪はひさびさに立って隠れようとか思ってトイレの壁の陰に潜んだけれど、たまたまほんとにトイレへ行きたくなった露が普通に歩いてきて普通にすぐに見つかっていた。
そして、そんな粉雪よりも部の新人でありまだまだ初心者な桃姫のほうが長時間(実に一時間と二十分間)見つからずにいたのだった。
「ノー。今日のこなはカス。カスれんぼ」
「ぬほっ、言い返せなす」
「もものほうが、かくれんぼしてた」
「けっこう見つからなくて……けっこう見つからないと逆に不安になっちゃうのは、やっぱり初心者だからですか?」と、露と粉雪が帰宅したのではないかと少し疑ってしまった桃姫が言った。これまでの最長記録を更新した喜びはまったくなさそうな様子で。
「初心者だからってのもあるし、それはそれで間違ってないよっていう見方もあるよね?」
「どゆこと?」露が問う。
「わたしとか部長って、ほら、なんかの拍子に部活中ってこと忘れて、更に言うと姫ちゃんの存在すら忘れて本当に帰っちゃう場合もないとは言いきれない自分がどうしようもなく存在している事実を疑うべきではないとかなんとか」
「どゆこと?」露が問う。
「そんな、わたしのこと忘れちゃう時があるかもしれないってことですか?」
「いや、忘れるわけないんだけど、普通はね。でもほら部活とかこの町とか学校とか? なにがあるかわからないじゃん。そういう不確定で突発的ななにかに見舞われた場合に、わたしらかくれんぼ忘れちゃうかもねっていうそういうifの話をだね、つまり、可能性の……」なにを言いたいのかわからない粉雪が、なにかを言っているのは北校舎の二階。二年生、つまり露の教室がある階の廊下だった。
部活終わりに露が「あちき教室にカバン忘れてきた」と言ったので、なぜか全員で取りにきていたのだ。
「どゆこと?」露が再三の疑問符を浮かべた時だった。
すぐ近くの教室から「ふぇ~っきゅ」みたいな超高音の、なんか金属音みたいな叫びが上がった。ほぼ金属音に近かったけれど、かろうじて人の声だとわかるその音の出所に、粉雪たちはすぐに向かう。
「なんだなんだどうしたどうしたーっ!」
粉雪が扉をあけて突入すると、驚いた男たちがこちらに顔を向けている。
「なっ、なんだおまいら~っ!」
どうやらさきほどの叫びはこの男が発したらしい、とすぐにわかる声で喋った男。
囲碁将棋部の部長・山下右肘。
「やました、ひだりひじ」露が指差して言う。
「ひだりじゃねええ、みぎですからあっ!」なぜか脂汗の見える山下部長が、ハアハア言いながら返す。
確か部員が二名しかいなかったと記憶していた粉雪は、ほんとに二名だけだったことに少し感動していた。が、その感動はすぐに霧散してしまう。
感動してる場合じゃねーなということを、身体が教えてくれたから。
「くっ、くっさ~!」遠慮なく、感じたことを感じたままに言ってみる。とはいえ、発言したところで臭いは消えることがない。
「うっ……わたし、居られません!」言って、桃姫はすぐに退室して、そのまま多分帰宅してしまった。
粉雪も追いかけたかったが、それよりも真相究明の好奇心がなぜか勝り、その場にとどまることを選択する。露は、鼻をつまんで立っていた。
「この臭いはいったい?」薄々わかってはいても、答えを聞きたい粉雪。
答えたのは、山下の向かいに座るもう一方の部員兼副部長の白面譜和くんだった。彼も山下部長と同じ二年生で、クラスこそ別だったが貴重な囲碁将棋部の人員だ。そして山下とは違い、それなりに女子からも人気があるようではあったが、大きな特徴によりいまいち人気が上がり切らない側面もあった。
その特徴とは、彼特有の吃音症によりスムーズな会話ができないということだった。
「こ、こここの…………に…………においは……山下のはは排便によるものです」
「ってことはつまり……」粉雪の顔が歪む。
「ややや……………山…………山下が漏らしました」
「でゃまりぇ! この聖戦において、休憩など……戦場を前にして、そこを離れりゅなどぎょん語道断(言語道断)! それにっ! オレはちゃあんと紙オムツを履いているんだからなあっ! 漏らしたなどとは心外も心外! いわばこれはウェアラブりゅトイレのごときものぞ。つまありっ! オレは戦場に居ながらにしてトイレへ赴いたようなものでありぃ、けっして漏らしたわけではないのだよおっ! ええ、おわかりになりましゅかにぇ~っ!」
「いや、トイレ行けし」粉雪も鼻をつまんでいるので、声がおかしい。
「ぶあ~っか! ぶあ~っか! オレたちのジハードは待ったなしの休憩なしなのお! おまいらうるしぇえな早く帰れりょぶあ~っか!」
「なんだこの男……ひどいな。臭い込みで」
「あ…………あ…………これはその、つ…………月に……一度行われる………ぶぶ、部長決定戦なんです」どもりながら、説明してくれた副部長・白面。
「そんなものあるの? ああ、二人しかいないから?」
粉雪の疑問に、返したのは部長・山下だ。
「今までオレの全勝、だからずっとオりぇ様が部長なんだよお!」臭い男が自慢気に胸を張る。
「あっそ。うんこ漏らすわりに、将棋の実力はあるのか……一長一短ってやつか。一短のほうが長すぎる嫌いもあるが……その場合一長二長になるのか? 一長一長? 一長二短?」
あまりの臭いに脳がやられはじめた粉雪は、混乱の様相だ。
「うるしぇえ、もうマジでかえりぇよおまいらよおっ!」
キレた山下が椅子から立ち上がりそうだったので、近寄られたらたまらんと思った粉雪はすぐに教室から退散した。そのあとを、影のように追う露。去り際に一言だけ「くっせ」と呟いたのは誰の耳にも届かない。
翌日、囲碁将棋部の部室となっている教室で朝っぱらから異臭騒ぎが発生した。