第79話 エミルンの成長
「どうぞ、何もないですけど」
そう言って招待された部屋は、思ったよりも広く、机とは別にテーブルもある。
従者の部屋というのは過去にも見たことはあるが、彼女は余程優遇されているのだろうか。
「思ったより広い部屋だな? 君は側近だから優遇されているのだな」
「ここに働く者は大抵同様の場所に住んでおりますが。もちろん人によって給金は異なりますが」
「そうか……ベックは裕福なのだな」
零落したとはいえ、子爵家の子女と結婚しようと考えるほどには上位の貴族だったのか、それとも親に実力があったのか。
彼自身も頑張ればこれからがあるかも知れないな。
裕福で本人が誠実であるならば──。
いや、そういう話はまだ早いな。
「私も主人には感謝しています。王国兵をクビになって冒険者に身をやつしていた私に職と裕福な暮らしを与えていただきました」
「ふむ……強いとは思っていたが、なるほど、元王兵だったのか」
王兵、とは、そのまま王城を守る兵の事だが、もちろん戦争があれば戦闘を切って戦う、のは騎士たちだが、その後ろから戦う兵たちだ。
当然強いことは大前提だが、王族貴族と相対することも多いので、礼節も重要となる。
彼女は冒険者にしては気品があると思ってはいたが、元王兵だとは。
「長くいたわけではないですし、結局辞めてますから、今は関係ありません」
「そうか」
その表情は、これ以上何かを話したくはない、という事だろうか。
彼女の年齢を考えると、確かに長くはいなかったのだろうし、折角王兵になったのに、すぐにクビになった、というのはおそらくいい思い出ではないというのは分かる。
「ま、過去には誰でも色々あるさ。それよりもエミルンのことだが、どうだろうか?」
「そうですね、彼女は非常に筋がいい。あのように一度言ったり見たりしただけで、自分のものにしてしまうような、ある意味恐ろしさもあります」
「ふむ……」
潜在能力を持っている、というのは本当に凄いものだ。
あの大人しいエミルンですら、こうして才能を見出されているのだから。
「おそらく、後一年ほどなら教えられると思いますが、その後は場合によっては私を追い抜くと思います。私も近衛の仕事がありますので、自らを鍛える時間もありませんので」
「そうか……」
エイシャはベックの近衛という仕事がある。
、エミルンにも教えてもらっており、その分いくらかの手当ては渡しているが、それはおそらくベック邸の給金からすれば僅かであり、厚意でやってもらっていると考えている。
彼女は、自分が仕事を辞めて、剣技の向上の修業をすれば、まだ教えられ続けるが、このまま仕事を続けるなら、一年後にはもう教えることもなく、練習相手にすらならない。
それくらい成長する、と言いたいのだ。
通常、師匠が弟子を教えるのは五年くらいで、後はそれぞれが考えて修行しなければならない。
そして、早ければ十年で師匠を追い抜く、と言われている。
もちろんそれは早い方で、本来はだいたい二十年、つまり一世代であり、師匠の老いと弟子の成長も関係する。
場合によっては生涯師匠を追い抜けない者もいる。
つまり、エミルンは規格外の成長をしているという事だ。
「あの歳であの成長度なら、将来は確実に名のある剣士になれるでしょう。もちろん貴族の子女ですから、成長を止めることも出来ますが」
「もったいない、と言うことか」
才能はある。
だが、貴族の娘には、貴族の娘と言う役割もある。
それを全うさせるのなら、強くさせ過ぎるのもまた、問題もある。
「いや──」
彼女たちの実の父であるザーヴィル。
彼ならば、なんと言うか?
「手数でなければ、あなたの出来る限りまで、教えていただきたい」
あいつが、自分の娘の成長を止めるとは思えない。
ジークはそう確信していた。