第5話 老冒険者、父になる
ジークがザーヴィルに会ったのは、二十年以上前、二十歳を過ぎた頃だっただろうか。
当時ジークは古代竜を退治し、尊敬と名声を集め始めた頃だった。
彼に仲間になってくれと頼んで来たのだ。
身分を隠していたのだが、その装備の豪華さから、明らかに金を持っているのが分かった。
おそらく、金持ち商人の息子が憧れだけで冒険者になりたいとか言いだしているのだろうと思ったジークは、そのうち飽きるだろうと、同行させることにした。
そしてその通り、サーヴィルは弱かったし、我儘だった。
だが、特に彼を大切だと思っていないジークは彼を甘やかせることはしなかった。
自業自得なら命の危険がない限り助けないし、疲れていても休むことはなかった。
だが、サーヴィルは音を上げることはなく、順調に力をつけて行った。
そのうち、ジークは背中を預けられる相手となり、パーティでかけがえのない戦力となった。
そんな頃のことだ。
彼らに大きな仕事が与えられた。
それが、国家形式をとるまでになったオークにさらわれたジャスナ姫を救う、というものだ。
これは言ってみれば、一国家に喧嘩を売ることに等しいため、かなり危険なクエストだ。
だが、彼らはオークの国へ乗り込んだ。
最初は隠密に進んだが、オークと見た目も違う彼らはやがて見つかり、軍が出動する事態になった。
オークに囲まれつつ、ジークの指示で地形をうまく利用して、姫を助け、逃げることに成功した。
救出されたジャスナ姫は、絶対不可能だと思ていたあの大軍のオークから逃げ延びたのはジークの手腕であることは見ていたし、当時美形でもあったジークを間近で見えいたため、当然ジークに惚れてしまった。
そして、親を通じてジークに結婚を持ちかけたのだが、ジークはまだ女遊びにふけっていた年頃であったため、それを断った。
それから別の街に旅立とうという時、サーヴィルがパーティーを抜けると言い出した。
自分がアルメル子爵の息子だった、そしてそろそろ後を継がなければならないから、と言っていたが、それまでの態度から彼がジャスナ姫に惚れていることは分かっていたので、求婚に行くのだと思ったジークは、それを止めなかった。
あの時の彼は言うまでもなく、ジークの親友だった。
そして、次に会う時も、身分がどれだけ変わり果てていても、親友だと思っていた。
「それが、俺と親友サーヴィルとの関係だ」
「……はー」
ジークの膝の上のマーキィが感心するように口を開く。
「お父様のご親友の方とお会いできて、お話が聞けるとは思いませんでした……!」
感動するように、シャラナが言う。
「しかも、奇遇にも今日この日、この街に来て、私たちを妖魔メルディアから救っていただけるなんて……運命、としか思えませんね」
神に祈るように、両手を合わせて目を閉じるシャラナ。
「それで、お願いが、あったのですけれど……」
そう言えば紹介とお願いと言ってた。
「妖魔メルディアはまたこの家を襲撃に来ると思います。私たち姉妹は何故だか分かりませんけど、妖魔に好かれているようです……食べる、という意味で」
「そう言えば、あいつも潜在能力がどうの、と言っていたな」
「私も聞きました。ですが……私たちに、特に秀でた才能なんてありません……これまでも、普通に育ってきました」
シャラナが憂い気に言うが、潜在能力というのは、あくまで潜在している能力であるため、きちんと育てないと顕現するものではない。
例えば、魔力が豊富で魔法に秀でた才能を持つ人間が、魔法に一切触れなければ、そのまま一生魔法を使わないまま過ごすこともある。
そして、妖魔はそんな「才能」を食べるとそれを吸収出来るのだ。
その妖魔が彼女たちを食べたがるという事は、彼女たちがかなりの潜在能力を持っている、という事だ。
そして、それは目に見えないから、鍛えようにも才能が分からない。
つまり、何の才能かは分からないが、潜在能力があるから、妖魔に好まれる、という事だ。
「私たちには自分たちを守るすべもなければ、守っていただける人もおりません……お一方だけ、それをしていただけると申し出る方がいらっしゃるのですが……ちょっと……」
苦笑。
ジークはそれで、その相手の手を借りたくはない、というシェラナの感情を窺えた。
「それで……出来ればしばらくジークさんに滞在していただき、私たちを守っていただこうかと……」
シェラナの言葉は、ジークが想像していたそれだった。
それ自体、問題ないどころかありがたい事だが、今の自分が妖魔に敵うのかどうか、分からないという不安も、なくはない。
「……思っていたのですが、それよりも、私たちの父親に、お父様になっていただけませんか……?」
「…………え?」
だが、その後に続いた言葉は、彼の想像を超えていた。
「お父さまの親友のジークさまなら、私たちのお父様に最適だと思います。お母さまともお知り合いなのですよね?」
「ああ、そうだが……」
「それなら、やっぱり、一番かと思います。今日ここに来られたのは運命だと思いますので」
ジークは、どう断ればいいのかを考える。
確かに親友ザーヴィルの娘たちには懐かしさも感じるし、あのジャスナ姫の美しさを引き継いだ彼女たちを眺めながら暮らしていくのも悪くない人生かも知れない。
だが、ジークは結婚したこともないし、これまでの人生の大半を冒険者として過ごして来た。
零落したとはいえ、貴族の娘として生きて来た彼女たちとはあまりにも生活が違い過ぎるのではないだろうか。
今は望んでいる彼女たちも、すぐに生活の違い過ぎる彼を疎むことだろう。
「ちょ、ちょっと、シェ姉! 何、勝手に決めてるのよ! お父さんの知り合いとは言え、知らない人と一緒に住むなんて!」
慌てて反論するのは、次女のエミルンだった。
彼女の反論は、ジークも納得できる。
「でも、この家を守っていただける方はこの家に住んでいただくのが一番だと思うわ?」
「だけど……!」
「私も住んで欲しい! パパ!」
エミルンを諫めるシェラナをよそに、マーキィはぎゅっとジークを抱きしめた。
「私もこの者を父とすることに異存はない」
そして、四女のオーヴォルまでも賛成する。
「もちろん、ジークさんはこれまで冒険者として、何十年も旅をされてきた方で、私たちとも生活も違うわ。でも、それはお互いに譲り合って行けばいいと思うの。もちろん私たちは今まで通りの生活から少しだけ違う生活になるかも知れない。お風呂も時間を決める必要があるし、だらしない格好で廊下を歩けないかも知れない。でも、人と住むという事は、お父さまが、いるという事は、本来そういう事なのよ?」
「…………」
エミルンはうつむいたまま、だが、おそらく肯定に向けて考えを整理しているのが分かる。
いや、だが、ジークはやるとは一度も言っていないのだ。
まるで引き受けたかのように、言われても困る。
いや、だが──。
「分かったわよ。みんながそう思うなら、それでいい。……でも、悪いけど、私は、お父さんは一人だと思ってるから……その……」
「それでいいと思うわ。私たちはお父さまだと思うけれど、みんながそう思う必要はない。いつでもお父さまだと認めたらその時に変えればいいと思うわ」
素直でないエミルンに、シャラナが微笑む。
「ジークさま、お願い、出来ますか……?」
懇願するような瞳のシャラナ。
大人びてはいるが、ジークから見れば、長女のシャラナも子供だ。
彼女たちが言うように、娘、と言ってもいい年齢だ。
この子達はこれから、何の後ろ盾もなく、守る術も持たず、妖魔から身を守り、また、生活をしていなかければならない。
もちろん敵は妖魔だけではない、何よりこの美しい少女たちが恐れるのは人間の毒牙だろう。
それらから身を守っていくのは、強い守り手が必要だ。
どうするべきか?
ここに留まり、彼女たちの父になるという事は、つまり、冒険者を引退することであり、
もし、ザーヴィルが生きていて、困ったことがあるなら、ジークはそれを助けることだろう。
例え、身を切ってでも。
今目の前で彼の娘たちが困っている。
これは、彼が困っているという事と同じではないのか?
「パパ! パパになって!」
「父よ、引き受けるのだろう?」
「…………」
冒険者を、引退する、いい機会なのか?
「分かった。引き受けよう」
こうして老いた冒険者ジークは、冒険者を引退し、四姉妹の父親になることを決めた。