第48話 酒場の噂
「ところで、あんたはあの子の親父さんかい?」
「うむ……」
父、と聞かれればその通りなのだが、そう名乗っていいものか、とも思い、少し迷ってしまうジーク。
だが、少なくともそれを否定すれば、オーヴォルが悲しむことだろう。
「私が彼女の──オーヴォルの父だ」
「そうか。ふむ」
マスターは穏やかな表情で彼を見る。
「すまない、オーヴォルの出入りは迷惑だったか?」
「いや、問題ない。ミルク代は支払うし、他の客には癒されると言う者もいる」
確かに、酒場という、場合によっては殺伐としそうな場所に出入りしている幼い少女、というのは癒しにもなる。
オーヴォルは表情こそないが、あの姉妹の、いや、あの父母の血を継いだ、将来を期待できる美少女なのだ。
そこにいて、あの生意気な口調で話をするだけで、笑みが漏れるというものだ。
今も、ジークの隣から既に立って、他の席に話をしに行っている。
顔なじみが多いのだろう。
「最近奥方は見かけないが息災か?」
「うむ、多少疲れがたまっているようでな、酒を飲むのは控えさせているのだ」
「そうか、気をつけるといい」
世帯を持っている親父同士の会話のようにも思えるが、片方は幼い少女だ。
そうか、オーヴォルはここに入り浸っているから、あの口調なのか。
それから、今いる客の席を全て回って戻って来た。
無表情ながら、少し得意げに見える。
「父よ、これが私の日常の世界だ」
「そうか」
「マスター、いつものをもう一杯」
「あいよ」
オーヴォルはおそらく、自分が大人であることを見せたかったのだろう。
周囲は、彼女を子供だと思っているからこそ、優しく接してくれるのだろうが、それは彼女には関係ない。
ちなみに、彼女の「いつもの」はホットミルクにハニーを混ぜたものだ。
甘いハニーの香りがこちらまで漂ってくる。
「この男は見所がある」
オーヴォルは隣のジークを指して言う。
「ほう、どうしてだ?」
それを聞いているマスター、そして、周囲の者も微笑ましい表情だ。
ジークが父であることは先ほど宣言したので、これが父親自慢であることは分かっているのだ。
「この者は一人で巨大なヒグマを倒したのだ」
「ほう、それは凄いな」
実際はもっと凄いものを倒しているのだが、こんな酒場で自慢しても仕方がない。
ジークは黙っていた。
「そして、その実現を補助したのが私だ」
「ほう」
オーヴォルの補助。
いや、実際はユーリィの補助の方が大きかったのだが、確かにオーヴォールの補助がなければ──。
オーヴォルの、補助?
確かに彼女の補助が重要だった。
だが、それは口にすれば──。
「私との口づけで力を得たのだ」
「……なるほど」
マスターが微妙な表情で聞いていた。
見えてはいないが他の者も同じようなものだろう。
「いや、そういうわけではなく……まあ、その通りなのだが、事情があるのだ……」
ジークは事情を説明しようとして、はっとなる。
体液を体内に取り込むと一時的に潜在能力を得られる、というのは、完全に妖魔の能力ではないか。
それを口にする事は、これからもこの街で生きていくつもりのジークには難しい。
「………………」
結果、黙ることになり、ジークは疑惑の目を向けられたまま、居続け、オーヴォルの帰宅と共に去ることとなった。