第3話 浴室の惨事
「こちらのお部屋をお使いください。部屋を出て奥に水場があり、その向こうに浴場がありますので、そちらをお使いください」
「分かった、ありがとう」
ジークは部屋に一人になると、ベッドにダイブしたい衝動を抑える。
何しろ、乾いてきたとはいえ、いまだ返り血を浴びたままの状態だ。
さすがに一宿一飯の恩を妖魔の血で返すのは失礼にも程がある。
「とりあえず、装備を洗って干してから、風呂に入るか……」
装備、といっても冒険者である彼の装備は軽さを最重視しており、胸の部分に軽量の金属は使われているものの、基本は皮で作られている。
問題は皮鎧は血が沁み込むと、洗うのが物凄く面倒な事と、乾きにくいことだろうか。
晴天の天日で干しても乾くまでに一日はかかる。
明日の朝、出ていくとして、今から時間をかけて洗って、明日までに乾くことはないだろう。
となると、半濡れのままの装備となる。
そうならないようにするには、丁寧に水を取る作業が必要で、作業量が倍になる。
「しょうがねえ、先に風呂に入ってから洗うか」
ここまで血だらけの装備を洗えば、汗もかくし、身体も汚れる。
ありえない選択だが、とにかく疲れていたのだ。
全身が動くことを拒否していたのだ。
まずは疲れたこの身体をほぐしてから作業をしたいと思ったのだ。
とりあえず、水場で装備を脱ぎ、浴室へ向かう。
入り口で全ての服を脱ぎ、中に入ると、そこは、思ったよりも広かった。
「ふう……足を伸ばして入れる、暖かい風呂は久しぶりだな」
つぶやきながら、ジークは全身を湯に浸す。
凝り固まっていた筋肉がほぐれていくのを感じる。
疲れに疲れた今日一日を思い出し、ため息とともに意識が徐々に遠く──。
がたがた、と脱衣所から物音がする。
タオルでも持って来てくれたのだろうか。
タオルは自前のがあるが、貸してくれるならありがたい。
「エミルンの姉よ、脱がすのだ」
「いい加減自分で脱げるようになりなさいよ! もう十歳でしょ?」
「自分でも脱げる。だが、甘えたい年頃なのだ」
「……はい、手を挙げて? マー! まだ行っちゃ駄目!」
「はーい! あれ? でももう入ってるよ?」
「シェ姉? 食事作ってるって思ったのに先に入ってたのね」
まずい、これはジークがここにいることを知らない女の子たちが、今まさにここに入ろうとしている。
「シェ姉! 入るなら言ってよ! 今日は怖いからみんなで一緒に……い……た……」
ジークが湯舟を堪能していると、少女が一人、飛び込んで来た。
先程のロングの少女とは違う。
同じブラウンだがショートカットで、多少幼いのが、その身体付きからも分かる。
衣服を着ていれば分かりにくいかも知れないが、何しろ、一糸纏わぬ全裸を、羞恥や警戒のかけらもなく、ジークに見せているのだから。
「あ……きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
呆然とジークを見ること数秒。
しん、とした浴室は、瞬間に爆発したような悲鳴が支配した。
「な、な、何? だ、だ、だ、誰……ああっ!」
その場にしゃがみ込み、胸を押さえ、身体を隠すようにうつむきながら、完全に狼狽する少女。
もちろん、狼狽の理由もジークには分かる。
姉──おそらく先程の少女が、風呂に入っていると思ったら、いきなり知らないおっさんが入っていたのだ。
何が起きたのかと混乱することだろう。
「どしたどしたエミ姉?」
「来ちゃ駄目!」
後ろからの声に、少女は狼狽しながらも叫ぶ。
「もう一回服を来て、出ていきなさい! シェ姉呼んできて!」
「うん……」
おそらく声は妹だろう。
毅然とした声で、的確に指示をする。
状況が分かっていなくても、妹を守ろうとする気持ちだけは明確なのだろう。
そして、それで冷静さを取り戻し、しゃがんだままだが、俺をきっと睨む。
「……あんた、あの妖魔の仲間ね?」
「違う。この家の主人に──」
「黙りなさい! この家の主人なんていないわ!」
「ちょっと待ってくれ! 俺は本当に風呂に入れと言われたんだ!」
礼儀として後ろを向いていたが、不穏な気配を感じて少女に向き合う。
ジークと戦う武器を探していた少女は、彼の視線にはっとガードを堅くして警戒する。
「この家には、十年前から主人なんていないのよ!」
「え? あ……!」
先程の髪の長い少女は確かに、自分を「主人」と名乗った。
だが、多少曖昧な言い方をしていなかったか?
「一応は主人のようなもの」という感じだった。
ならば、彼女の名前を告げれは、目の前の少女も分かってくれるだろう。
「主人と私に名乗ったのは事実だ、名前は確か……あー……」
名前を度忘れした。
人の名前が咄嗟に出て来なくなる、というのもまた、この歳にはよくある事だ。
「もういいっ! 分かったから出てって!」
相手の少女も自分ではジークに敵わないと分かったのか、出ていくことを命じている。
最悪追い出されることも致し方がない。
相手は子供とは言え、屋敷に住んでいる婦女子の裸を見たのであれば追い出されても仕方がない。
だが、それでも誤解だけは解いておきたい。
「裸を見てしまったことはすまないと思っている。だが、私は本当に──」
「大人しく去るがいい。今なら見逃してやろう」
誤解を解こうと話を始めたその時、少女の後ろからそんな声が聞こえ、悠々と歩いてくる影。
その声は舌足らずで極めて幼いし、その影も小さく、それは完全に少女のそれだった。
「オー! 出ていきなさいって言ったでしょ!」
ショートカットの少女が叱るように言う。
彼女はおそらくこの妹たちを守るために逃げなかったのだ。
「安心するといい。エミルンの姉。マーキィの姉は服を着て出て行き、シェラナの姉を探しに行ったようだ」
「あんたもそうしなさいって言ってるのよ!」
「だが、ようまの襲撃を撃退したとはいえゆだんはならない。後は私に任せるといい」
その、小さな少女、おそらく十歳前後と思われる彼女は、呆然とする姉の前に出て、悠然とジークに対する。
「今なら命だけは助けてやる。にげるならいまだ」
本人はおそらく毅然と言っているつもりなのだろうが、少女、いや、少女の幼い声で、しかも舌足らずなので、緊張感はまるでない。
しかも、十歳前後と思われるその幼女は、まるで羞恥心もなく、堂々と全裸の身体を隠すことなく、それどころか威嚇するように両手を上に上げていた。
「あー!」
何だか、襲いかかってきたので、その手を掴んだジーク。
「む、く……っ!」
その小さな腕は想定以上に力が強く、一度は押し返された。
「あー! あー! あー!」
だが、体格差があまりにもある二人の力の差は歴然で、幼女を持ち上げるジーク。
ぶら下がりながら、脚ををバタバタさせ、まだ戦意を失っていない幼女をどうやって追い返そうか考えていた。
「オー! 下がるわよ!」
背後から姉の少女が急いで抱えて、そのまま浴室を出て行った。
そのまま向こうで急いで服を着ているような音が響き、走って出ていた。
ジークはしばらく、いつになったら脱衣所に行けばいいのか迷った末、音がしなくなった脱衣所に誰もいないのを確認して、服を着ることにした。