第2話 妖魔の襲撃
「……どうするかな」
気だるさと共に屋敷を出る。
もう空は暗くなっていた。
これから泊まる先を見つけるのは一苦労だ。
夜が更けてからの来訪者は、警戒される。
いつもより説得に体力を使う上、気力も尽きかけている。
先ほどの戦いで受けた打撃も痛みを発している。
野宿、はこの気温では危険だ。
若いころならともかく、身体を冷やして風邪を引くことだろう。
最近の野宿は、暖を取りながら徹夜して、明るくなるころに睡眠をとることにしているが、睡眠時間がずれると長い期間体調が悪くなる。
「仕方がない、他の屋敷を当たってみるか……」
ジークは痛む足を引きずり、街を徘徊する。
「この家は、そこまで広くはないが……ふむ」
広くはない、とは言ったが、宿場町に住んでいる人間の家屋を考えるとかなり広い。
先ほどのベックの家を考えると狭い、この街では通常の大きさの家だろうか。
ただ、ジークが目を引いたのは、灯の数だ。
家の広さに比べて、灯の数が少ないのだ。
この暗さだ、少なくとも人がいる部屋には灯りがついていることだろう。
つまり、灯の付いていない部屋が多いという事は、使っていない部屋が多いという事で、人を泊める部屋があるということだ。
「よし、ここを当たってみよう」
ここが駄目なら、もう野宿を考えるしかない。
野宿ではしばらく眠れないが、少なくとも身体を休めることは出来る。
なにより、もうゆっくりと身体を休めたいのだ。
ジークは屋敷の屋内に入ると、ドアをノックする。
「夜分遅くに失礼だが、話を聞いていただけないだろうか?」
声を出すが出てくる気配もない。
「失礼。話だけでも聞いて欲しい」
ジークは注意深く、屋敷の入り口の扉を開く。
屋内は他社の侵入を拒んでいるかの如く薄暗かった。
だが、誰もいないと思われたそこには、一人の女が立っていた。
「あの子達が呼んだのかしら? ふふっ無駄なのにね」
それは、肌が恐ろしいほど白く、長い髪も輝く白──銀髪だった。
爛々と輝く赤い目といい、その美しくもあるが、人を恐怖させるような表情といい、この世の人という生物ではない。
「妖魔の類か。こんなところで何をしている?」
ジークは背の剣をいつでも抜けるようにしている。
「何もしていないわ。ここに住んでる子達を食べに来ただけよ。別にこの街の他の住人には手を出さないわ。興味もないし」
妖魔が言う。
自分には手を出さない、というのだろう。
だが、気を許すな、相手は妖魔だ。
とにかく、時間を稼いで隙を狙うしかない。
「何故ここの住人だけを食べるのだ?」
「ここの子たちは特別だからよ」
「特別?」
「私は食べた人間の潜在能力をこの身に出来るのよ。ここの子たちの潜在能力は相当なものがあるわ。他の雑魚なんて比べ物にならない程」
「そうか……それで、その、この屋敷の住人たちはどこだ」
「どこかに隠れているわ。ま、私にかかればすぐに──」
その、瞬間だった。
ジークは一瞬で妖魔との距離を詰めた。
「…………!?」
油断した妖魔は、驚いた表情を浮かべ──
「グ……ハァァッ!」
鮮血。
胴から肩にかけて、ジークの剣が切り裂いた。
「グァァァァァァッ!」
先ほどまでの穏やかな淑女然とした態度が一変し、本性を見せ、断末魔のような悲鳴を上げる妖魔。
その返り血を全身に浴びるジーク。
「く……っ! 魔力を消費し過ぎた……人の形を保てない……」
みるみる融けていく妖魔。
「また来るからなぁ……!」
地獄から響くような声。
「絶対……絶対また来るからなぁっ! 貴様を殺して、全員食ってやるからなぁぁぁぁっ!」
そう叫ぶと、泡のように消えて行った。
ジークの身体に、鮮血だけを残して。
「ふん……妖魔の血か」
ジークは返り血をぺろり、と舐める。
「甘っ!?」
その血は、果実のように甘かった。
ジークは顔についた血を舐める癖があるが、こんなに甘いのは初めてだ。
妖魔の血には砂糖でも混入しているのか?
それとも、血に糖が混じる病気だったのか?
そう考えると少しだけ、親近感を持ち──いやいや、俺はまだ糖尿じゃない、と首を振った。
「…………ふう」
そして、剣を鞘に納め、それを杖にした。
「あ、あの……」
おそるおそる、という感じの声が、背後から聞こえてくる。
振り返ると、そこには長い髪の娘が立っていた。
先ほどベックの屋敷で対した、元冒険者のエイシャよりも更に若い、十七、八だろうか? ジークでなくても少女と呼んで差支えのない年齢だ。
ブラウンの長い髪は少しだけ癖があり、波打っている。
ロングスカートのシンプルながら高価な衣服や、その仕草から、教養のある少女だと分かる。
「この屋敷の者か? 失礼、玄関を汚してしまった」
「いえ……見ておりました。妖魔メルディアを退治していただいたのですよね?」
「あれはメルディアと言うのか? ま、一時的に撃退したな」
妖魔はそう簡単には死なない。
人間なら致命傷と思われるあれほどの攻撃を受けても、魔力の存在である妖魔は死ぬことはない。
消滅させるには、再生出来ないほどの魔力を消費させなければならない。
「ありがとうございます! 助かりました! 本当に……本当に……!」
おそらく、だが、駆け寄ってすがり付こうとしたと思われる少女は、ジークの姿を見て、ぎょっとした。
「ああ、返り血か。すまないな、生々しいものを見せてしまっている」
「い、いえ……これは、メルディアのものですよね……? あなたにお怪我は?」
「ない……はずだ」
「で、ですが、そのように足を震わせていらっしゃるので、どこかお怪我をされているのでは?」
「これは、そうではない。筋肉を酷使してしまっただけだ」
ジークの足は、剣を杖にしないと立っていられないほどに震えていた。
もちろん妖魔が怖かったから震えているわけではない。
先程の瞬発の攻撃で、隙を見て一瞬で近づいた時に酷使し過ぎた筋肉が、今になって使い物にならなくなっただけだ。
「でしたら──」
今度は躊躇うことなく近づき、ジークの両足に手を触れる。
触れられた部分から、熱い、いや、暖かい何かが流れ込んで来る。
これはもちろんジークにも経験がある。
ヒーラーのような強力なそれではないが、回復の魔法だ。
ジークの足は完全に回復するわけではないが、少なくとも杖なしに立てるようにはなった。
「誰にも教わっていない自己流ですので、完治は出来ませんが、楽になられたなら幸いです」
「ああ、ありがとう。何とか立てるようになった」
「私はこの屋敷の……一応は主、という事になりますね。シェラナと申します。本日はもう夜となりましたから、他にお宿がないようでしたらお泊り下さい。お夕食の用意もさせていただきます。そちらでお話をさせていただきましょう」
ジークは妖魔から助けたお礼に、この屋敷での宿を許されたようだ。
もちろん、それに甘えることにした。