第36話 ヒグマをも倒す力
「む……ん……っ!」
自分からやれと言った割に、身体が、口の中も強ばっていた。
それが、いつもの言動の背伸び具合を髣髴させ、微笑ましかった。
幼い口の中からは、甘い味覚が漂ってくる。
オーヴォルの好きな蜂蜜の菓子だろうか。
それがジークの罪悪感を倍増させた。
小さな身体からは、父と呼んでいる年の離れた男を受け入れる心と、戸惑っている心が交錯するように微妙な力が、完全に彼に身を任せていないのが分かる。
だが、それも最初の数秒だけで、その後は完全に彼に身を委ね、全ての力を抜いた。
「……本当に、よかったのか?」
「構わない。これで私の全てが分かるのだから」
表情のないオーヴォル。
彼女が、少しだけ微笑んだ気がした。
障壁の外では、まだヒグマが破ろうと攻撃を加えている。
これが破れるかどうかはジークには分からないが、ユーリィの表情からその恐れもあるのだろうことは分かる。
だが、オーヴォルの何らかの潜在能力を得ている今なら、倒せるのではないか。
「ユーリィ、障壁を外せ」
「分かった。だが、次は二度と戻せないぞ?」
「分かっている」
今回は助けられたが、次に弾き飛ばされたら、障壁を一度解除して助けるのは難しい。
そうユーリィは言ったのだ。
今はオーヴォルの潜在能力を信じるしかない。
そして、これに関しては、ある程度予測もついている。
オーヴォルはこれまでにも素質を匂わせていた。
「行くぞ!」
「ああ!」
ジークはヒグマに向かって構え、そして、ユーリィは、ヒグマの攻撃の間をついて障壁を解除した。
「耐物理防御壁!」
そして、ジークを外に出して、障壁を張り直す。
咆哮するヒグマが、その太い腕でジークを攻撃する。
「ふんっ!」
ジークはそれを受け止め──。
「ヴァッ!」
弾き飛ばした。
先ほどまでの、身体全てを使っての防御ではなく、ほぼ片手のみで弾き飛ばしたのだ。
「ヴァァァァァァァッ!」
だが、ヒグマの攻撃は止むことはなく逆の手を振り上げての攻撃を──。
「はぁぁぁっ!」
「ヴァァァッ!」
弾き飛ばすことなく、その太い腕を切り落とした。
魔獣であるヒグマの体毛は金属のように固く、そして、その身体は何らかの魔術によって 防御されているのだが、それらをあくまで腕力のみで切り落としたのだ。
そう、オーヴォルの潜在能力、それはこの人ならざる怪力からの力技だ。
実際オーヴォルはその小さく幼い身体からは想像もつかないほど力がある。
それを鍛えぬけば、あらゆる魔獣を凌駕するような力を得られるのだ。
「ヴォォォォォォォォッ!」
腕を失って怯むヒグマ。
だが、今度はジークが攻撃を止めない側だ。
「ふんっ!」
警戒を怠っていたその脳天に、剣を振り落とす。
ヒグマの強化された体毛、骨、筋肉の全てを、その一刀で両断する。
「ヴァ……!」
断末魔の悲鳴も上げることなく、ヒグマは倒れる。
立っているのは、血まみれのジークのみ。
「すまないな……育成時期に気が立つのは生物として当然のことだと、分かってはいるのだが」
ジークは、倒したヒグマに詫びる。
「だが、我々にも、守るべき街があり、守るべき子供がいるのだ」
街に、ヒグマが出没すれば、大きな被害となるだろう。
ヒグマが子供を守るために攻撃をするのなら、我々も、自分の街と子供を守るためにヒグマを攻撃せねばならない。
どちらが正しい、間違っている、ではない。
それが自然の摂理なのだ。
「終わったか?」
「ああ、それでは帰ろうか」
ジークは剣を収めて、顔の血だけを拭いた。