第33話 当然の欲求
「父よ」
ジークが廊下を歩いていると、オーヴォルに出くわした。
万歳のポーズで待ち構えていた。
「ああ、オーヴォル。どうした?」
ジークはぎゅっとしてやりながら、聞いた。
「姉たちはみんな師匠を宛がっていると聞く。私もそろそろ師匠が必要だと思ったのだ」
「ふむ……」
要するに「お姉ちゃんたちばかりずるい! 私も師匠が欲しい」と言いたいのだろう。
とは言え、そう簡単に師匠を連れてくるわけには行かないのだ。
「オーヴォルよ、姉たちはそれぞれ、潜在能力が分かったからこそ、どの方向に鍛えればいいか分かったのだ。お前はまだその方向が分からない。何を鍛えれば、将来その道を究められるのか、見当がついていないのだ」
「……ふむ……」
分かった感じに頷いたが、おそらく理解していないのだろう。
「姉たちの潜在能力が分かったのは、偶然なのだ。たまたま偶然が重なって、潜在能力を発見できたところがあるのだ。だから、お前の潜在能力はそう簡単に分かるものではない。焦らずともいつか分かるさ」
「しかし、私は出来る限り早く修業をしたいのだ」
もちろん、その気持ちが分からないジークではない。
姉たちが自分の潜在能力を見極めて、次々と師匠を得て、教えを乞うている。
自分だけがそうでない、というのは、取り残された気持ちになるのだろう。
オーヴォルの潜在能力を理解するのは、そう難しい事ではない、彼女とキスをすればいいのだ。
そして、彼女も潜在能力を見極めたいと願っている。
だが、それでも、抵抗がある。
ただのキスならばいい、それは親娘の愛情だ。
だが、しなければならないのは体液を口にする事であり、つまりは、舌を入れてのそれとなる。
それは、親娘でやるものではない。
十歳の女の子、それも自分を父だと思っている彼女に、キスをするなど出来る限りしたくはない。
さすがに四人姉妹全員のキスを奪ったとなると、死んだザーヴィルとジャスナ姫に申し訳が立たない。
「……姉たちは、父の討伐について行ってからすぐに潜在能力を身に付けた」
「……いや、言いたいことは分かるが」
「では、次の討伐には私もついて行くというのはどうだろう」
「駄目だ」
「何故だ」
「討伐とは危険と隣り合わせだ。命を落としたり、一生消えない怪我を負ったりすることもあるのだ」
「…………」
「足を切断したり、顔に一生消えない傷が残ることもあるのだ」
マーキィのように勝手について来ないよう、具体例を出して脅すジーク。
それが十歳の少女には恐怖であることを理解して、それでもついて来ないよう、口にする。
確かにジークの言う事は間違えてはいない。
実際、足をポイズンドッグに噛まれ、切断した者を見て来たし、油断して顔面に火焔を浴びて、二目と見れない顔になった女性冒険者もいた。
だが、この街にはユーリィがいる。
彼女ならば毒の解除など楽勝だろうし、傷一つ残さず火傷を治すことも出来るだろう。
とはいえ、それを今口にするとややこしくなる。
「なあ、お前はまだ若い。潜在能力を知る機会など、これからいくらでもあるさ」
「…………」
オーヴォルは、何か言いたそうに、彼女の頭を撫でるジークの顔を見上げていた。
「ヒグマが下りてきた?」
「うむ。ヒグマは北方に住んでいるのだが、出産育成の時期には南方に下りてくる。とはいえ、この街の近くまで下りてくることはほぼないのだが、この前、旅の者がこの近くでヒグマを見たと言っていたようだ」
「そうか」
「それで、調査と討伐をして欲しいのだ。出産育成時期のヒグマは凶暴だからな」
「そうだな」
ヒグマとは、ただの獣、ではなく魔獣の類の事だ。
おそらく昔はクマの一種であるヒグマという存在がいたと言われているが、少なくとも今は魔獣のヒグマしか存在しない。
それは、獣の見た目をした鬼のような存在だ。
ある程度知能はあるし、獣である以上、動きは人がついて行けないほどに高速だ。
その上での圧倒的な怪力。
「だが、その旅行者はよく助かったな? 見かけた、ということは倒していないのだろう?」
出産育成時期のヒグマは遭遇した時点で相手は完全に戦闘以外を考えていない。
会ってしまえば逃げることは出来ないのだ。
「それは、その者が私の知り合いの魔法医の者で、咄嗟に眠らせることが出来たそうだ。その間に逃げて来たそうだから、奇跡的に助かったと言ってもいい」
「そうだな……」
興奮状態の相手には睡眠系の魔法は効きづらい。
ユーリィの知り合いならそれなりの腕の魔法医なのだろうが、それでも眠らせるまで効いたのは奇跡的と言ってもいい。
「まあ、そうでなくとも、彼女なら身を守ることは出来たと思うが、だが、そのまま街について来かねないため、どうしても眠らせる必要があったのだ」
「そうなると、かなり信憑性が高いようだな」
「ああ、だが、たまたま南下して来ただけかも知れん。とにかく調査を兼ねて討伐に行く必要があるだろう」
出産育成で外敵から我が子を守るのは生物として当たり前の事だ。
だが、それが人に害をなす可能性がある以上、ジークたちは人を守るために外敵である彼らと戦わなければならない。
「分かった。では、詳しい遭遇場所を教えてくれ」
「ああ、それと、今回は私もついて行くことになっている。構わんか?」
「!? 構わんが……」
ヒグマは確かに強敵ではあるが、それと戦うのがジークの役目であり、少なくとも魔法医に同伴してもらう程の事ではあるまい。
どうしてもという時にはシェラナを連れて行った方がいい。
「それと、もう一人、彼女も連れて行く」
「彼女……?」
ヒグマに遭遇した知り合いの魔法医だろうか?
そう思って彼女の後ろを見るとそこにいたのは──。
「オーヴォル!? 何をしているのだ」
「…………」
オーヴォルは無表情なまま、ユーリィの背後からじっとジークを見つめている。
「彼女がどうしても自分の潜在能力を知りたいというのでな、お主は危険だから行くなと言ったのだろう。それは当然だし、真っ当な判断だ。だから、私もついて行って彼女を守る。それならばよいだろう?」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
それに、何の意味がある?
そこまで潜在能力を急ぐ必要があるのか?
「……才能は早ければ早いほど多くを習得できる。お主もこの子を育てる責任を負ったのなら、早々に確認すべきだと思う」
「だ、だが──」
「分かっている。『それ』は緊急事態でなければすべきではない、という事だろう。ならば緊急事態の起こりそうな場所に連れて行ってやろう、ということだ」
「…………」
「構わんだろう? 誓って彼女に怪我はさせん」
そこまで言われるなら、連れて行くしかないだろう。
「分かった。だが、緊急事態を期待するような行動はやめて欲しい」
「もちろんだ。私はただ、ついて行くだけだ。加勢もせんが、邪魔もせん。致命的な時には助けよう」
「ああ、頼む」
こうして、ヒグマの調査は、ジークと、ユーリィ、そして、オーヴォルの三人で行くことになった。