第19話 そのゴブリン、元貴族につき
「こちらの名前も伝えておこう。私はゼス。万一生きていられたなら覚えておくといい」
「──了解した」
知能のある、というレベルを遥かに凌駕したゴブリンのゼス。
「では、勝負と行こうか」
「うむ」
ジークは剣を構える。
「私の体型なら本来は鉈辺りが合っていると思うのだが、こっちの方が慣れていてね」
「……慣れて?」
「昔の話だ、では、参る──!」
ゼスが、動く。
「……っ!」
筋肉の塊。
そこから繰り広げられる、攻撃は、速かった。
ジークの間合いの外側にいたゼスは、一瞬で間合いを詰めた。
至近距離のゼス。
瞬時に離れるが、これは失敗だった。
細身剣の攻撃は、ある程度の間合いが必要だ。
であるから、離れれれば、その間合いに入ってしまう。
ジークの剣も至近距離では従来のパフォーマンスを発揮できない。
だが、細身剣よりは十分に攻撃出来るのだ。
だからジークはそのまま攻撃するか、より至近距離に寄せた方がよかった。
だが、瞬間に目の前に現れた筋肉の塊に、思わず引いてしまったのだ。
そして、それを読んでのゼスの寄り。
脇を狙われたが、ギリギリで避けた。
「…………」
一旦離れて、構え直す。
少なくともこのゴブリンは、通常のゴブリンの知能ではない。
いや、そのレベルを遥かに超えている。
「……お前──いや、貴殿は、ゴブリンではないな?」
「いや、ゴブリンではある。それには間違いない」
ゼスは片手に細身剣を構えながら答える。
それはとても様になっており、何らかの剣術を嗜んでいるのではと思われる。
「ただ、私には前世の記憶がある。前世で私は人間であり、貴族だったのだ。実際に戦場に出る事のない私は、護身術としての剣術を学んでおり、特に細身剣を使った剣術は最も得意で、貴族内の大会では常に勝っていたのだ」
「…………」
「もちろんそれは、実際の命の奪い合いとは全く関係のない、ただの貴族のごっこ遊びのそれだった。人間としての私が強かったかと言われれば、そうではなかった。だが──」
ゼスがふん、と全身に力を入れる。
「この筋肉。そして瞬発力。これだけで、ただの貴族の嗜みが圧倒的な攻撃的剣術になるのです──っ!」
言うが速いか攻撃を繰り出してくるゼス。
それを横跳びで避けるジーク。
「私は身体を造る栄養素を摂り、見所のあるゴブリンにもそれを教えた。そして勢力を拡大しようとしているところだ」
だが、その高速はジークを過ぎた向こうで一瞬で止まり、ジークを振り返る。
あえて通り過ぎたのは、自分の間合いの範囲となるため。
バランスを保てないジークは──。
「ぐぅっ!」
その脇腹に、細身剣が突き刺さる。
鎧のおかげで辛うじて貫通はしていないが、激痛、そして、出血は避けられない。
だが、攻撃後には隙が出来るはずだ。
そこを狙って──。
「……っ!」
だが、一瞬でゼスは遠くに移動していた。
そして、次の瞬間、また攻撃に転じる。
今度は構えていたため、何とか避けられた。
──と、思ったのだが、そのまま次の攻撃に。
そして、更に攻撃。
「ぐ……ぐぁっ!」
何とか肩の、鎧の厚い部分に攻撃させることが出来たが、これはしまった、と思った。
肩の負傷は動きに影響する。
「貴殿、若いことは名を馳せた英雄と見た。だが、今は動体視力はあるが、身体がついてきていないようだ」
「…………」
言い返すことのできない図星であった。
「若い頃の貴殿と戦いたかったものだな……」
「くっ……!」
そこから先は言葉はなかった。
ひたすらゼスが攻撃し、ジークが防御するだけだった。
だが、攻撃は避け切れてはいないし、体力も全く違う。
そろそろ息が上がるであろうジーク。
これは、まずい。
勝つことは不可能だと悟る。
とにかく、生きて帰ることが第一だ。
他のゴブリンが周囲を囲っている。
だが、妨害も攻撃もしてくることはないだろう。
ただし、逃げるようなことがあればまた、違うかも知れない。
となれば、後退しつつ戦いを続けるしか──。
「!?」
向かう先、入り口をチラ見すると、そこにエミルンが隠れてこちらを見ていた。
何故そんなところにいるんだ。
逃げろと言っただろう。
言う通りしなかった彼女に腹が立つ。
「──帰るなら、帰るといい」
「!?」
ゼスが言う。
「生かして返した方が私の名前も広がる。その方が私としてもいい」
これは、チャンスだ。
彼には敵わない、というのは戦って理解した。
今更自分に守るべき名声はない。
逃げ帰って、隊を組んでもう一度来るというのもありだ。
問題は、安心して逃げ帰っているところを狙われる可能性もある事だ。
「いや、まずは、彼女を帰したい、話をする時間を戴きたい」
まずはエミルンを先に逃がし、その後自分も逃げることにしよう。
「よかろう。話すといい」
「感謝する」
ジークは念のため、周囲のゴブリンに気を使いつつもエミルンのいるところまで戻る。
「あ……あの……」
「なぜ帰らなかった? ここは危険だと言っただろう?」
「帰ろうと思ったけど、もしあなたに何かあったらと思ったら……」
「何かあるかも知れないから帰したのだろう! それくらい分からないわけではないだろう?」
「いえ……その……」
「何か理由があるのか?」
「……私には、潜在能力があるんでしょ? それを使えば勝てるんじゃないかなって」
「!?」
それは、考えてすらいなかった。
「いや、だが、それは出来ない……!」
「どうして?」
「つまり、キスをするという事なのだぞ?」
「分かってる」
「お前は、その、経験はあるのか?」
「な、ないに決まってるじゃないの……」
少し頬を染めるエミルン。
「……シェ姉にはしたんでしょ?」
「あれは緊急事態だっただけだ。ああしなければ、シェラナを守れなかった」
「今も緊急事態じゃないの?」
「いや……」
ゼスは帰してくれようとしている。
それに乗れば帰ることは出来る。
少なくとも、エミルンにとっての緊急事態ではない。
「緊急事態では、ないな」
「……勝てるの?」
「いや、だが、撤退をさせてくれる様──っ!」
それ以上、ジークは喋ることが出来なかった。
目の前にはエミルンの顔。
無理やり、エミルンにキスをされたのだ。
キスは、ミルクの味がした。
朝に飲んだミルクだろう。
ジークに飲ませるように舌を絡ませて来る。
引き離すことも出来たが、折角の彼女の勇気を、ジークは受け取ることにした。
「まったく……」
「負け、ないで……?」
口を離した後、潤んだ目でジークを見上げる。
負けることは死、確かにそう言ったかもしれない。
彼女はジークが死ぬのが嫌だったのだろう。
「分かった──勝って来よう!」
ジークはエミルンに背を向ける。