第8話 エミルンと話す
「結局どういう事だったの?」
帰りの道でエミルンが聞いてくる。
話題作りというよりも、純粋に気になったのだろう。
「俺が昨日戦った妖魔の血を浴びてしまったから、一時的に妖魔の力を得てしまった。だが、その発症を先ほど止めてもらったんだ」
実際の話とは異なるのだが、正直に「俺は半妖魔になった。いつ人を襲っても仕方がないが、何とか抑制してもらった」と言っても怖がられるだけだ。
だから、分かりやすく言い方を変えた。
「それって……大丈夫なの?」
「昨日マーキィやオーヴォルを食べたいと思ったが、思っただけで、実際に食べるところを想像しなかった。だから問題ないし、更にさっきそれも抑止してもらった。だから問題ない」
「そう。それで、私たちの体液を口にするとって? 何だか栄養の話してたけど」
「簡単に言えば、俺は冒険者の最盛期に比べると能力が劣ってしまっている。それを復活させるには、お前たちを食べるのがいいと、本能的に食べたいと思ったようだ。その代替行為として、血を口にすることで、お前らの能力を一時的に使う事が出来るようだ」
「血を、飲むの……?」
「飲まないさ。俺はお前たちを傷つけることはしない。俺の能力が劣ったのは俺だけの責任だ。他人を傷つけて、特に守るべきお前らを傷つけて補填するものじゃない」
「……そう」
ほっとした、というのとは少し違う、微妙な表情のエミルン。
それでも安心できないのか、それとも、血くらいなら飲ませるつもりだったのか。
「あの、さ……」
「どうした?」
「わ、私は、人見知りって言うか、知らない人に緊張して、だから、知らない人が一緒に住むって聞いて反対しただけで、別にあなたが嫌いとか、そういうことじゃないから」
「別に気にしなくてもいい。俺も冒険者として長く生きていれば、人の善意も悪意も分かるようになる。お前に悪意がないことは理解しているし、知らないおっさんがいきなり一緒に住むことになれば警戒するのは若い女なら当然のことだ」
「うん、そうだよね……?」
むしろ、他の四人、特にシェラナがおかしいのだ。
もちろん彼女の考えも理解出来る。
妹たちを守らなければならない。
大抵のことなら守れるが、妖魔に来られるとどうしようもない。
だから、無理やりジークを父に見立てたのだ。
「うちを守ってくれるっていうのは分かってるし、感謝してる。多分、シェ姉もほっとしてる。でも、私はシェ姉みたいな社交性もないし、マーやオーみたいな無邪気さもないから……」
「気にするな。お前が怒ろうが反抗しようが、俺が気を悪くすることはない」
冒険者として長年生活して来たジークからすれば、十代の女の子の文句や怒りなど、微笑ましさしかないのだ。
これまでもてはやされても来た、見下されても来た、揶揄われてきたし、脅されても来た。
落ち込んで、傷ついて、立ち直って、それを何度も何度も繰り返して今があるのだ。
「お前はこれまで通り振舞えばいい。気を使わなくてもいい」
「うん、分かった。そうする」
エルミンは少しだけ嬉しそうに笑った。
そうしているうちに屋敷に到着した。
「おかえり、パパ!」
「父よ、お帰りのきゅーをしてもよいのだぞ?」
帰った途端、マーキィとオーヴォルの連続攻撃を受けるジーク。
マーキィに飛びつかれて抱きしめられ、オーヴォルは近くで万歳のポーズをしている。
「ただいま、悪いが少し休ませて欲しい。身体中が痛くてかなわん」
「え? そうだったの?」
「うむ、昨日筋肉を酷使し過ぎて、今になって痛くなってきたのだ」
昨日は、一日中歩き詰めの後、ベックの屋敷での戦い、妖魔との戦いで、筋肉を限界まで酷使してしまった。
その時にも痛みは感じたのだが、それが今になってじわじわと再び痛くなってきているのだ。
「だ、大丈夫なの? その……」
「ああ、少し休めば問題ない」
「そう……」
冒険者時代は筋肉が痛くても休めなかったことも多いが、そうすれば数日は痛みが残る。
だが、一日休みを取ればほぼ回復することもまた、経験から分かっている。
「そっかー、じゃ、一緒に寝よっ!」
「こらっ! 疲れてるって言ってるでしょ? 一人にてあげなさい!」
マーキィがまたジークと寝ようとするが、それをエミルンが止めてくれる。
「でも!」
「駄目よ」
「私ならうるさくもないし、ちょうどいい暖になる」
「駄目。あ、おやすみなさい」
「ああ、ありがとう」
ジークは妹たちをエミルンに任せ、部屋に戻った。
「……仕事が早いな」
部屋に戻ると、既に彼の荷物はそこになかった。
そう言えば、家族側の寝室に移る手はずだった。
「どの部屋か分からんなあ」
迷ったが、このままこの部屋で休むことにした。
片付けも済んでいるので、二度手間になるが、筋肉疲労の回復を優先させたい。
掃除をする時には手伝おう。
そう考えて横になる。
身体の疲れから全身の力が抜けて意識が剥がれてく。
しん、とした室内に、遠慮がちにドアを開ける音。
「…………もう、寝た……?」
気遣うように確認する声は、エミルンのそれだった。
返事を返そうと思ったが、思った以上に疲れていたのか、声が出なかった。
「新しい部屋の方に案内しようと思ったんだけど……しょうがないか」
ドアが閉じられる。
悪いことをしたな、と思ったが、そのまま意識が──。
「私ってさ、本当は女騎士になりたかったんだ。でも、この歳まで鍛えてなかったら、無理だよね?」
「!」
帰ったと思っていた、エミルンは、部屋の中にいた。
そして、一人で話を始める。
「こんなこと言ったら贅沢って言われるのは分かってるけど、女騎士なくっても、剣士でも冒険者でも何でもよかった。私に教えてくれる人か、危険でも冒険に出たかったな……」
ベッドのすぐ横に座りながら、つぶやくエミルン。
ああ、この子は確実にザーヴィルの子供だ。
あいつは男だし、親も健在だったから抜け出して冒険者に身をやつすことも出来たが、エミルンは幼い頃に父を亡くし、母を助けて生きていくしなかったのだ。
「ねえ、私に剣を教えてくれる……?」
ジークの意識は、もはや半分以上、失われていた。
であるから、この出来事は真実かどうか、彼自身も分からないかも知れない。
エミルンが、彼の眠るベッドに入り込んで来た。
十歳のオーヴォルや十四歳のマーキィではない、十六歳の人見知り、エミルンが、だ。
「お父さん……私たちを守って欲しい、そして、私にみんなを守る術を教えて欲しい……」
耳元で、そう囁かれた。
……気がした。




