プロローグ1 アルメル家の日常
「ふむ、いい朝だ……」
起きて部屋から出た、この家の主でもあるジークは、軽く伸びをした。
彼がこの家に来て、四姉妹の父親となり、まだそれほど時は経っていないが、彼自身、色々あって、かなり時間が経過したように思えていた。
彼もこの家に馴染んだと思う。
そして、彼の娘たちも馴染んだと思う。
実際に馴染んだかどうかは、娘たちに聞くべきであろうが。
「おはよう、今日は遅めなのね」
ジークとほぼ同時に出て来たのは、十六歳の次女エミルンだ。
彼女はジークを確認すると、簡単に髪と身なりを整える。
「そうだな、どうも最近は朝が暖かくてな。遅くなっちまう」
「ふうん、ま、いいんじゃない? 今日は用事ないんでしょ? その……お、お父さん……」
少しぎこちなく、エミルンが言う。
どうも彼女だけはまだ少し、ジークを心の底から家族としては認めていないようだ。
まあ、それも仕方がないだろう。
これまで姉妹四人で過ごしていた屋敷に、いきなりこんなおっさんが入り込んだのだ。
しかも父と認めろ、などというのは、十六の娘には無茶な話だ。
「そうだな。今のところ」
「じゃあ、わざわざ朝食に間に合わせる必要もないんじゃない?」
「そうは言うが、朝食をみんなで食べるというのは重要だぞ?」
「夕食はみんなで食べるじゃない。それに朝はマーキィがしょっちゅう起きて来ないわよ?」
「それはそうだが、朝もみんなと顔を合わせておきたい」
「そ、無理していないなら別にいいけど」
厄介払いにも聞こえたが、どうやらジークを心配してのようだ。
彼女も、最初に比べれば喋ってくれるようになったのは嬉しい。
「じゃ、姉さんの支度、手伝ってくるから」
「ああ」
そう言ってエミルンは先にキッチンへと行った。
「む、父ではないか。奇遇だな」
「奇遇も何も、同じ家に住んでいたら会うのは必然だろう」
そうしているうちに起きて来たのは、十歳の四女オーヴァルだ。
小さな身体、舌足らずの声の幼い子なのだが、表情に乏しく、何故か、口調だけが妙に大人びているのだ。
「それはそうと、父よ、私は昨晩怖い夢を見た。ぎゅっとして慰めるといい」
そう言って、オーヴァルは万歳をして、抱きしめてもらう体勢になっている。
ジークはしょうがなく、抱きしめてやる。
手入れされたブラウンのさらさらな長髪が、彼の腕にも降り注ぐ。
「むふー」
オーヴァルは無表情のままそう言って、鼻から息を吐いた。
これがこの子の平常なのだ。
口調で騙されやすいが、ただの十歳、いや、それ以下の精神年齢の幼女だ。
「堪能した。姉にあさげの準備を至急とするよう嘆願して来よう」
要するに満足したので、姉に朝ご飯はまだか催促してくる、ということだろう。
「ああ、行ってこい」
ジークが言うと、オーヴァルはててて、と走っていった。
一番下で、年も離れているから、姉たちに可愛がられて育ったのだろう。
彼女にこれからも愛に包まれた人生を歩ませたい。
「ちょっと! どうして起こさなかったの!」
怒りながら部屋──ジークと同じ部屋から飛び出してきたのは、十四歳の三女マーキィ。
肩で切り揃えられたブラウンの髪は、黙っていれば清楚にも映るが、なにしろ騒がしい子だ。
「起こしたさ、だがお前はあと少し寝たいと言っただろ?」
「言っ……たかもしれないけど、それでも起こしてって前に言ったじゃん!」
「そうだったか?」
「そうだよ! 別にね? わざわざ起こしに来てって言ってるんじゃないよ? 一緒に寝てるときくらい起こしてってこと!」
怒っているように思えるが、実際はそうでないことは、ジークも理解している。
おそらくこの先言うことは、ジークには分かっていた。
「分かった分かった、次からは起こしてやる」
「じゃ、それでいいよ。今回はキスだけで許してあげる」
そして、マーキィは目を閉じて、んー、と唇を尖らせた。
「キスなんて普段からするもんじゃねえ」
「だから! これはお詫びのキスだから! パパはしなきゃ駄目なの!」
やはりこうなったか。
マーキィは事あるごとにキスをしたがる。
それがジークの困りどころだ。
「マーキィ、何度も言っているが俺にとってキスは特別な事なのだ。だからそう簡単には出来ない。分かってくれ」
「分からない! んー!」
「分かってくれ、な?」
しょうがないので、ジークはハグをしてやる。
「分かった。でも、これは貸しだからね?」
そう言いながらも、少し嬉しそうにマーキィが去る。
「ふう……」
朝から騒がしいな、と思うが、これもいつものことになりつつある事に、やっと自分もこの家の一員になれたのだな、と実感する。
「お父さまこちらにいらっしゃいましたか」
キッチンの方からこちらに来たのは、長女で十八歳のシェラナだった。
「朝食の用意が出来ましたので、来てください。それと──」
そう言って、ジークに近づいてくる。
「今日はおはようのキスがまだでしたね? ではお願いします」
「お前もか……」
口を突き出す、十八歳の少女。
シェラナは長女という事もあり、しっかりしているし、もう大人と言ってもいい容姿でもあり、心も大人のはずなのだが、ジークの前ではただの子供になってしまう。
しょうがないので、彼女もハグしてやる。
「……それはキスではありませんよ?」
だが、そんな子供だましに騙されないのがシェラナだ。
「お前は分かっているだろう? 俺にとって、キスは特別なのだ」
「分かってますけど……」
少し、拗ねたようにうつむく。
「また、機会はいつでも来るさ」
ジークはシェラナの肩をぽんぽん、と叩いた。
「そう、ですね……。あ、それよりも、守護者の依頼が来ております」
「そうか。意外と依頼は多いのだな。どんな依頼だ?」
「巨大なクマが出没するようです。それを退治して欲しいと」
「クマか。巨大となると力はあるが鈍重かも知れんな……オーヴォルかな」
「……ですか」
早速機会に恵まれなかったシェラナが少しがっかりする。
「……万一、下手を打つこともあるし、シェラナにも同行してもらうかな」
「はいっ!」
満面の笑みで微笑むシェラナ。
どうせマーキィも来たいと言い出すし、そうなると一人取り残されるから、エミルンも同行するだろう。
結局みんな来ることになる。
守るべき子たちを全員引き連れて戦いに行く、という本末転倒の状況にため息が出る。
だが、そうして自分を慕ってくれることに、むず痒くも嬉しい、というのがジークの本音だ。
「では、朝食を食べてから詳し話を聞きに行くか」
「はい」
元冒険者ジークは、かつて華々しい活躍も遂げて来た。
だが、とっくにピークは過ぎ、身体も衰えてしまった。
「オーヴォル、仕事が入った。今日はお前にキスをするぞ?」
だが、彼は、この最近娘にした四姉妹にキスをすると、ピークをすら遥かに超える力を、一時的にその身に宿すことが出来るようになったのだ。
冒険者を引退したジークだが、彼の街の守護者としての戦いはまだまだ続いて行く。