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ラクガキとつぶやき

作者: 沙玖羅


――本人さえも無自覚なその温かさで、

無条件に純粋に皆から愛され甘えられそうな君は、

皆から疎まれいじめられそうな君は、

   いったい誰に甘えたら良いのだろう?――



「君は当たり前のように、皆を信じ愛しているよね。でも誰が、君を愛すの?」

「え…?」

「君だって、愛が欲しいでしょう?」

 君自身が、気づいていなくとも。愛して欲しいと、心が叫んでいるだろう。施すだけでなく、施されてもいいはずだ、と。

「そんなことないわ。私はそれを欲しいなんて望まない。だって、自分で抱く希望なんて、絶望のキッカケでしかないじゃない」

 柔らかく微笑んでそう言う彼女の言葉には、冷たさがにじんでいるようだった。

 外に向ける温かさと内に向ける冷たさは相対して、正反対の方向を向くことでバランスを保っているかのようで。君が温かければ温かいほど、君が自身に向ける関心が薄れていくような。冷たくなっていくような…。

 つまり君は、君以外に向ける柔らかさの分だけ、君自身に向ける鋭さを増している。

 でもそのことに気づかないふりをしていて、君自身の心が傷ついて血を流していても、分からないし守れない。それに、自分で治すのはとても無理だろう。

 君には、君の外から注がれる柔らかさが必要で、しかし君はそれを求めていないというのだ。

「誰よりも優しい君が傷つくのを見るのは、僕がつらいんだ」

 そう言ってみたけど、彼女は変わらない笑顔でこう答える。

「そう。じゃあ見なければいいんじゃない?」

 彼女のその言葉は正論だと思う。けれどそれでは、誰も救われない。君のことが心配で気にかかっている僕の気持ちが晴れないという理由をこじつけて、自己満足だと言われてもいいから、彼女の手を握りたいと、彼女を抱きしめたいと思うのだ。

 彼女は自分に向けられる愛情を知らない。だから自分を愛することができないのだろう。

「…じゃあ、誰が君を見るの?」

「…? 誰も。誰にも見られなくていいからさ」

「それはうそでしょ?」

「どうして?」

「自分の存在を認めてくれる人がいなければ、この世界にはいられないでしょ?」

「そうなんだ? 私は誰にも気づかれないうちに、そのまま消えていけるなら嬉しいけどなぁ。…こんな、嘘の塊みたいなものはいない方がいいだろうし」

「え?」

「ねぇ、君はどうして私にそんなに執着を見せるの? 私にそんな価値はないよ? 君はその目で、もっと他の人を見てあげなよ」

「……」

 僕は思わず黙ってしまう。だって彼女は、感情が見えない、真剣な顔でそう言ったから。彼女がいつもたたえている、微笑みでさえもなかったから。

 そうして黙ってしまった僕に、彼女はいつものようににっこり笑って言った。

「さっ、こんな話は終わりにしよう。誰にも理解わからないことだから」

 そんな彼女に、僕はやっぱり何も言えなかった。


  ◇ ◇ ◇


彼女はよく、人気のない夕暮れの教室でひとり、黄昏を眺めている。

窓際の自分の席。しかし椅子ではなく机に腰を掛けて。

声を掛けることもできずに、彼女と同じものを見ることもできないまま、僕はときどき廊下を通りすがる他の生徒の一人にすぎなかった。

 彼女は、本当に不思議な人だ。笑っているのに、ときどき人を寄せ付けない雰囲気の時がある。大体は来るものは拒まずに、周りから面倒を押し付けられることだって少なくはないだろう。でも、彼女は、誰かに自分の胸の内を話したりしない。

 だから、彼女がなにを考えているのか、僕にはほとんど分からなかった。

 でもある日、僕は見つけてしまったんだ。彼女の机の裏側、ほとんど人の目につかない所に小さく、刻まれた言葉。

『信じたい』

 たった一言。何を、とかそんなことは分からない。もしかしたら、彼女が刻んだ言葉じゃないかもしれない。でも、僕は彼女に伝えたい事があることに気づいたんだ。


◇ ◇ ◇


 そうして、僕は、夕暮れの温かいオレンジ色に染まる教室で、彼女に声を掛けた。

「ねえ、ちょっといいかな?」

「なあに?」

「うん、ちょっと君に話したい事があってさ」

「そう。そう言えば、今日、私の机にラクガキがあったの。ほら見て、『君が好き』って。短いけど、悪趣味なラクガキだよね」

「…それの犯人は僕だ、って言ったら?」

「そうなの? へえ、でも、あなたのことも嫌いじゃないよ」

「僕のこと、も(・)?」

「うん。私は、誰のことも好きにならない。でも、みんなのこと、嫌いなわけじゃないんだよ?」

 そう言う彼女は、強がっていたり無理を言っているわけではなく、本当にそう思っているように見えた。

「…君は、何を想ってるの?」

「なにも」

「そんなこと、無理じゃない? それに、自分ひとりで生きるのは、寂しくない?」

「……うん、痛いよ。でもね、なにも信じられないの。そんな自分が一番嫌いだし、もうどうしたらいいかなんてわからない。なんにも分からないけど、死にたくはないから、当たり障りなくこの世界にいる。使えない、面白くない自分を分かりながら、必要ないことに気づきながら。往生際が悪いって思うよね。私もそう思ってる。でもね、死んでしまうのも、どうしようもなく怖いんだ。自分のこんな感情も分からなくなって消えることが出来るなら、それが一番、私にとっての幸せだ、って言える。こんなの、誰にも与えてもらえるものではないでしょう? 本や映画みたいな綺麗な世界の、空気に溶けてなくなってしまうように、人間は消えたりできない。それも、苦しみもなくなんてことは、人間としてありえない。…ねえ、理解できないでしょ? だから、私は諦めることにしたの。死んでしまう未来は、どうしたって変えられない。それまでの時間だって、自分の好きなように出来る時間は本当に少ない。それこそ生きている意味がわからないくらいに。でも、それでも、私にはどうしようもないんだよ」

 泣きだしそうに、でも静かに、微笑みを浮かべてそう話した彼女の、そのたった一つの望みは、たしかに絶望的なものだと思った。けれど。

「それでも、僕は少しでも君の隣にいたいって思うよ」

 僕の言葉は、今の彼女には届かないだろう。でも、僕は彼女に伝えたいと思ったのだ。だからもう一度、自分の言葉で、彼女に向けた言葉を放つ。

「僕は君のことが好きなんだと思うよ。僕のことを嫌いじゃないって言ってくれただけでも嬉しいから。だから、少しだけでもいいから、この世界には僕みたいなのもいるってことを、知っていて欲しいな」

 僕は微笑んでそう言って、いつか本当の意味で彼女の手を優しく、強く、つかめたらいいななんて、微かな希望を込めた願いを笑顔の裏と胸に大切に抱いた。

「変なの……」

 彼女がそう呟いて、でも笑ってくれて。

 もしかしたら僕は、彼女の心にほんの一歩だけでも近づけたかもしれないなんて、そんなことを思うのだった。




 ――これがとある日の、僕と彼女の話。ラクガキとつぶやきの、小咄。




     Fin.


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