恋愛ごっこを始めてみよう
「なぁ、俺たち付き合わないか? なんかもう、そっちの方が楽かなぁ……と思ってよ」
「あー、いいねぇ。んじゃ、それで」
こんな適当な理由で俺ーー『岡田将虎』と幼馴染ーー『新田黎』は付き合うことになった。
俺たちは家が隣同士、そして互いの母親が高校の大親友。だから生まれた時から一緒の兄妹みたいな幼馴染だった。
付き合うことになったのには少なからず理由がある。それは俺がずっと黎のことを好きだったからではなく、黎が俺のことを好きだったからでもない。そんな恋愛漫画のようなものは俺たちにとってはどれ一つ当てはまらなかった。
理由はただ一つ。
ーー面倒だったからだ。
小、中、高と俺たちは登下校を共にしていた。小学校時代はそれでも良かったかもしれない。しかし、中学に上がると思春期からか周りの友達は「男女が共に帰る=付き合っている」という思考回路が出来上がっていた。
もちろん俺も黎もお互いに恋愛感情など持ち合わせていない。だから「付き合ってるの?」と聞かれると「ただの幼馴染」と定型文を返していた。
ずっとその定型文を言い続けることもできた。しかし、ずっと言い返すのもめんどくさい。
では、どうする?
黎と喋らない?
いや、今更無理。
黎じゃない恋人でも作る?
気になる人もいねーしな。
引っ越せば?
いや、金。
だったらもう、付き合っちゃえばいいんじゃね?
なんと短絡的な考えだろう。うん、自分でもそう思う。
この考えを高1の冬、いつものように俺の部屋にやってきた黎に提案してみたところ、いとも簡単に了承を得てしまった。
しかし、ここで問題発生。
恋人になったのはいいものの、恋人とは一体何なのか。俺たちは既に初歩的な恋人同士がすることを気が付かぬうちにしてしまっていた。
恋人になったら……
・登下校を共にする。
・手を繋ぐ。
・ハグをする。
これらが恋人入門編とでも言おうか。
友達が言っていたのを聞いたことがある。
しかし、俺たちの場合は……
登下校を共にする。
小学校から既にクリア。
手を繋ぐ。
もはや兄妹のようなもの。手ぐらい息をするのと同じ簡単に繋げる。これもクリア。
ハグをする。
生まれた時から一緒だ。今更恥じらいなんて生まれない。寒い時に黎は俺に抱きついてきていた。これもクリア。
照れすらない。
まるで熟年夫婦のようだった。元々、黎もそんなに女の子女の子している方じゃない。どっちかと言うと男勝りなサバサバ系女子。照れ屋で初心な可愛いそこら辺の女子とはまるで違う。
とりあえず「恋人」として付き合っているが、今までと何が違うのか。と、気づいたのが昨日のこと。「恋人」として1ヶ月が経過した頃だ。友達に言われるまで気づかなかった。
では、どうするか?
またしても自問自答タイム。
別れるか?
いや、言い訳を考えるのもめんどくさい。
このままでいくか?
うーん。今後の恋愛観に影響しそう。
じゃあ、恋愛ごっこでもしてみよう。
どうやら俺には短絡的な考えしかできないようだ。
とりあえずは黎を照れさせてみよう。俺だって漫画のように照れて可愛い女の子、というものを見てみたい。
ということで、岡田将虎。
恋愛ごっこを始めてみようと思う。
■□■□
「マサーー!」
今日もいつものように隣の家から黎の声が聞こえる。聞こえる時点で家の設計ミスだと思うが、これよりももっと大きなミスがある。
「窓開けてーー!」
そう、近さだ。
岡田家と新田家はもはやくっついているんじゃないか、というぐらい近い。俺の部屋と黎の部屋も例外ではない。
俺はいつものように部屋の窓を開けた。まだまだ外は寒い。窓を開けるのと同時に冷たい風が入ってきた。
「さみぃから来るなら早く来い」
「ん、受け止めてね。……とぅ!」
そして黎は新田家の黎の部屋から岡田家の俺の部屋へと飛んだ。飛んだと言ってもほんの少し。下手したら1メートルもない。俺たちの部屋はベランダからベランダまで飛び移れるほど近いのだ。
俺は部屋の中でいつものように黎をしっかりと受け止める。窓を開けてなければ飛んだ勢いで窓に激突する。高校にもなれば身体もそれなりに成長した。勢いも前に比べて増したと思う。
「お前体重増えたんじゃね?」
「えっ、マジ? 正月の餅が今きたか……」
やっぱりこの通り黎に恥じらいはない。抱きついている状態+体重のこと。もしかしたらこいつは女じゃないのかとしれない。
俺は黎を解放し、窓を閉める。
「あー、さみぃ。冬は玄関から入ってこいよ」
「えー、だって靴履くの面倒だし、服も着替えるの面倒じゃん?」
黎は既に俺のベッドに寝転がっていた。一応ここは男の部屋なのに。まぁ、俺も黎の部屋に普通に入れるし、お互い異性として意識していないから俺も強くは言えない。
黎の服は部屋着でとても彼氏に見せる服ではない。そして漂う男の匂いではない、甘い匂い。誘われた俺はカブトムシ。風呂から上がりたてなのか髪はまだ少し濡れていた。
「まだ髪濡れてんじゃん。ベッド濡れるから寝転がるなよ」
「えー、自然に乾くし」
「風邪ひくだろ。ちょっと待ってろ」
黎が風邪を引くとタチが悪い。普通の人より熱の耐性がないのか、微熱程度でも顔を真っ赤にしてフラフラと危なっかしい動きをする。インフルにかかった日にはいきなり倒れて病院に搬送されたこともある。将来、生活していけるのだろうか。一人暮らしで孤独死なんてのも冗談にならないから怖い。
俺はタンスからタオルを取り出す。女のくせに身だしなみを気にしないのか濡れたまま俺の部屋に来ることも多々ある。だから常に俺のタンスには黎専用のタオルが入っていた。
今の黎の髪は肩ぐらいの長さ。今までで1番長いかもしれない。
小学校の頃は男子と間違えるほどベリーショート。一緒に帰っている時、よく近所のおばあちゃんに「ぼく、飴食べる?」と言われていたのはいい思い出。
中学に上がると多少は色気づいたのか少し髪を伸ばし始めた。と言っても他の女子に比べれば短い。部活はテニス部。焼けた肌が痛いと夏は隣の家からよく悲鳴が聞こえたものだ。
黎は俺が乾かしてくれるのをわかっている。変なところは覚えるのだ。エサの時間になるとペットが寄ってくるのを彷彿とさせる。ベッドから起き上がり、乾かしてもらう気満々。
「お、乾かしてくれんの?」
「風邪引かれると面倒だから……あ」
「何?」
そして俺はあることを思いついた。
思いついた即行動。俺はタオルを持って床に胡座で座った。そして両腕を広げる。
「黎。おいで」
俺がやりたいのはあれだ。
座っている彼氏が両手を広げ、その上に彼女が座るというやつだ。んで、後ろから彼女の髪の毛を乾かしてやるやつ。
呼び方はもはや犬を呼ぶのと大して変わらないが。
「なんだ、珍しい感じだな」
普通なら多少は甘い雰囲気が生まれるはずだ。付き合って1ヶ月なら彼氏に髪を乾かしてもらうのも恥ずかしいはず。
これはいけるぞ。
黎の照れた顔がやっと見れる。
恋人らしいことがやっとできる。
俺の脳内プランは完璧だ。あとは黎が俺の上に座り、照れるだけ。
心の中はニヤニヤ。しかし、顔面は至って普通の顔で。両腕を大きく開いて待った。
しかし、それは妄想に終わった。
黎はベッドから起き上がり、俺のところまで来るとあたかも普通のように俺の上に座った。なんというか図々しい大きな猫を飼っている気分。犬なのか猫なのか。まぁ、「女」ではない。
そして、そのままスマホまでいじるリラックスぶりときた。俺はリクライニングチェアかなんかか。猫の方がもっと可愛げがある。
「はぁ……お前はそういうやつだった」
「んー、なにぃ?」
「なんもねぇよ」
確かに作戦一発目で成功してたら苦労しない。いや、苦労してやろうとはしてないのだが。失敗に終わった。もうやることは髪の毛を乾かすぐらい。
俺はしょうがないからタオルでわしゃわしゃと髪を乾かした。
「いやぁー、ハゲる!」
「ハゲちまえ」
嫌と言いつつもケラケラ笑っているあたり、黎らしい。
「ほい、終了」
「ん、ご苦労であった」
髪は案外すぐ乾いた。タオルを近くに置き、黎の頭を軽く撫でた。これが終了の合図。
乾かしている間も黎はずっとスマホをいじっていた。ハマっているゲームがあるようだ。この間も招待のメールが来た。
俺は未だスマホをいじる黎の左肩に顎を置いた。ちょっと低い。そしてそのまま画面を覗き込む。
「何してんの?」
「ゲーム」
「なんの?」
「ちょっ、今忙しいから」
黎は一向にスマホから目を離さない。これだからスマホ中毒は。スマホするぐらいだったら自分の部屋でやればいいのに。
よし、邪魔してやろう。
「ふぅー」
少しいじめたくなった。だから耳に息を吹きかける。黎は耳が弱い。リクライニングの逆襲だ。
黎は身体をよじりながら必死に耳を庇う。画面の中のカウントダウンは刻一刻と0に近づいていく。ラスト3秒。
「うひゃぁっ!」
「色気もクソもねぇ悲鳴だな」
ラスト1秒。
「あー! 今いいとこだったのにぃ!」
「へっ、ざまぁ。大してゲーム上手くねぇくせに」
スマホの画面にはゲームオーバーの文字が。黎の非難の声がするがそんなものは気にしない。黎だってよく俺の読書の邪魔をする。読書と言っても週刊少年漫画だが。
俺が聞いていないとわかったのか黎はやっとスマホから手を離した。そして不満げな声を出した。
「ほら、やめた。なに?」
「いや、別に用はないんだけど」
「じゃあ離して下さい」
「ダメ。今検証中だから」
そういう俺は後ろから顎を乗せたままそっと黎を抱きしめた。俺は野球部だ。俺と黎の体格差は歴然。身長だって昔はそんなに変わらなかったのに、今では12cmも俺の方が高い。俺の腕の中に黎はスッポリと収まった。
きっと今、黎は不思議そうな顔をしているだろう。
「何? 何の検証?」
「んー……黎が照れるかどうかの検証」
後ろからでは黎の表情は読めない。しかしやっぱり何が起きているかわかっていないようだ。もしかしたら照れているのかもしれない。前から抱きしめた方がよかったか。
とりあえず本人に聞いてみるとしよう。
「どう? 照れた?」
「んー、別に今更だし……あったかいからしばらくこのままでいいかな、って感じ」
「……あっそ」
反応は予想外。今までにないパターン。
黎は俺に寄りかかった。照れるどころか余計にリクライニングチェア感が強くなる。これでは作戦は失敗だ。
でも、後ろから抱きしめたのは正解だったかもしれない。お互いに顔は見えないのだ。今、俺の顔が赤いのも。
俺が照れてどうする。
俺の方が意識してどうする。
「ねぇ、マサ。今照れてるでしょ?」
腕の中から押し殺したような笑いが聞こえた。幼馴染が恋人になると全てをしられている分、やりずらい。例えば照れるタイミングとかも。
「いーや、別にー」
「嘘だ! 絶対嘘だ! 顔見せろー」
「寒いからいーやーだー」
腕に力を入れた。
今、顔を見られたら今月いっぱいはネタにされるに決まってる。
今回は失敗に終わったけど次がある。次は俺がお前を照れさせてやる。
謎の野望を胸に、今は顔の火照りが治まるまで「彼女」を存分に抱きしめた。