【-8-】
「美味しかったなぁ、晩御飯」
色々相談し、大衆浴場をまず楽しもうという話に落ち着き、料理前に今日一日の疲れを取り払って、僕たちは食堂に向かったのだ。
「和食のコース料理も捨てたもんじゃないよなぁ、やっぱり」
海が近いということで、海鮮料理のコース料理を堪能し、もう食べられないというくらいまで胃の中に収め、食堂――正確に言うと、僕たちは個室で食事をしたのだが、その帰りに、この料理を提供してくれた方々にお礼を言いつつ、部屋へと戻った。
「さぁ、次は部屋の露天風呂だー」
「なら僕は寝室で待っているから」
「えーなにその言い方、恥ずい」
なんだかよく分からないが、いわゆる体を綺麗にしてベッドに来るのを待っている的な感じに受け取られてしまったらしい。
「誤解なんだよなぁ。そこの窓から露天風呂が見えるんだよ。ついでに間仕切りが襖だから、ハチの脱いでいるところが影絵みたいに見える」
もうこの際、全部話した方がハチも気を遣うはずだという方向に切り替えた。
「……三柳、私のことはどうとも思ってないんじゃないの?」
「そうじゃなくて、男が女の脱衣やら入浴やらを意識したら、頭の中がおかしくなるんだよ」
「でもさっき浴衣の着方を教えてくれた時は平気そうだったじゃん」
大衆浴場から帰って、部屋で一息ついた時に、部屋に用意されていた浴衣に彼女は着替えたいと言い出した。なので僕は居間と寝室を区切る襖を閉じ、着替えを待ったのだが、しばらくして帯の締め方が分からないと言い出し、仕方無く僕はそれを手伝うことになった。この時点で、もうブラの上にシャツ一枚、下は文字通り下着一枚というかなり危ない状態で、浴衣の着方から間違えていた彼女のために、視線を出来る限りそっちに向けないように浴衣を整え、そして帯を締めた。
浴衣の着方は父ちゃんから教わった。今も元気だが、古風な人で休日は絶対に浴衣で過ごしていたので、僕も中学生に上がる前くらいまでは浴衣をパジャマ代わりにして着ることが多かった。今じゃジャージ上下で寝た方が落ち着くが、でも着付けを忘れたわけではない。ひょっとしたら男女で違いがあるのかも知れないが、腰に帯を回して、余った帯を折り畳み――とかなりハチに急接近しながら着付けをした。夕食でお腹が膨らむと苦しくなるだろうということも踏まえて、やや緩めに、しかし絶対に解けて行かない絶妙なところで帯を締めたが、これに物凄くハチは喜んだ。
浴衣を着付けたことだけでそんなに喜ぶわけがないと思ったが、耳朶の赤くなっていたので、彼女も彼女であの時間は緊張していたに違いない。
……なにをやっているんだろうな、僕は。
浴衣の着付けを手伝ったりしたこともそうだが、旅行に誘われた際にオッケーしたこともそうだし、男女二人切りの旅行になってしまっても、それを敢行することにした自分の精神も、なにかおかしくなっている。
「あのさ、ハチ。もう隠すの、やめるから。夜になったら絶対に気に掛かることだから、言っておかなきゃならない」
でないとハチも眠れないだろう。
「僕は男で、ハチは女性。それはここに来る前から分かっていることだろ? というか、小学生の頃から分かっていたことだ。でも、あの頃と違って僕たちは大人になってしまった。ハチは、僕を昔からの友情からこの旅行に誘ってくれたのかも知れないけど……僕も途中までは男女の友情はあると自信を持っていたんだけど、ハチと一緒に居ると、それを強く思えなくなった。もう、ハチを見ているだけで夜のことばかりを考える。ハチが寝たあと、手を出しそうな自分が居る。それでなくても、今ここで、ハチを押し倒したいって思っている。だから、ここでキッパリと言ってくれ。僕のことなんて気味が悪いと。そんなことを考えていたなんて信じられないと。近付かないでくれ、と。嫌いになってくれ」
でないと僕は、友情に甘えてハチを男として襲ってしまう。それだけは絶対に嫌だ。そんなのは、ハチの信じる僕じゃない。
そうなるぐらいなら、彼女に距離を置かれていた方が、安心できる。さすがに嫌われている相手に手を出せるようなメンタルは持っていない。もしそれでも僕が襲い掛かっても、ハチなら金的ぐらいわけないだろう。そうすれば、僕の邪な感情も鎮まる。その後、帰るまでどう話したら良いかは分からないけれど。
「分かってるよ、そんなこと……分かってるよ!」
ハチは大声を出し、帯を解き始める。
「三柳の中で、私はずっと昔のハチのままで居て欲しいんでしょ?! でも、そんなの嫌! “昔”の私じゃない! “今”の私をちゃんと見て! 覚悟ぐらいしてる! 三柳以外とこんな風に、二人切りで旅行なんてそもそも行かないし!」
そう言って、浴衣まで脱ぎ、ハチは今にも泣きそうな顔をしていた。
恥ずかしさからなのか、それとも、僕への苛立ちからなのか、それは判断できなかった。