【-5-】
「いやー、思えば遠くへ来たもんだ」
「岐阜経由で今、愛知か? そっからはどういうルートなんだ?」
「あ、もしもし……はい、今、大垣駅です。はい……はい、すみません、ありがとうございます。それじゃ、迎えの車、よろしくお願いします」
無視してスマホで電話をしていた。いや、それよりも妙なことを言っていたぞ、コイツ。
「迎えの車?」
とんでもない言葉を口にしなかったか、今。そんな接待を受ける宿泊施設って、相当だぞ。
「割と高めの宿を選んだから。あと地方だと、こういうのはよくあるよ」
「ただのビジネスホテルに泊まるのかとばかり」
「なんで旅行でビジネスホテルに泊まるんだよ。もっと華やかな宿が良いでしょ」
「ちなみにどんな宿?」
「源泉掛け流しの露天風呂付き大衆浴場&露天風呂付き二人部屋」
「おい待て、この際、露天風呂どうこうのところは目を瞑ってやるが、二人部屋ってなんだ?」
「だってそこしか空いて無かったし。カスミンと行くなら、別に二人部屋でも良いかなーと」
一人一人別々で泊まらせてくれ、マジで。
「部屋に露天風呂付きってのは?」
「高級感溢れるねー、大人になってから旅行で泊まるならそういうところじゃなきゃね」
「お前、馬鹿だろ」
じゃぁなにか? 部屋に付いている露天風呂を使うとしたら、ハチは僕の前で半裸で歩き回る可能性があるわけ?
さすがに脱衣スペースはあるだろうから全裸は目撃しないだろうけど、場合によっては半裸を目撃しかねない。二人部屋ってそういうところだ。別名カップル部屋。異性同士だと心を許した相手じゃなきゃ、絶対に入ってはならない部屋だ。ある意味、ラブホテルの雰囲気が無い分、合意だという感覚が強くてヤバい。
煩悩が暴走する前に、遁走したくなって来た。でも、キャンセル料も発生するだろうし、行くしかないのか……。
「部屋に付いている露天風呂は利用禁止な」
「えーそれ目当てで来ているのに」
「今年が始まってまだ三ヶ月しか経っていないが、三月にしてはまだ寒いだろ。下手したら風邪を引くからやめろ」
「寒い中で入る露天風呂もありだよ」
ハチの中でありだろうと、僕の中では無しなんだが。
思えば、ハチにはなんと言うか、僕に対してだけ物凄く、ものすごーく貞操観念? っぽいものが薄いところがあった。小学生からの付き合いだから、そういう一面を見ても大して悶々とすることもなかったが、この歳で僕にだけ貞操観念が薄いとなると、本当にベッドに押し倒しかねない。
「だから、違うって」
もう女として見ている自分が悲しい。男女の友情を僕は守り切るんだ。野獣のような欲望になんて、屈してたまるか。
大体、なんでハチは大丈夫そうな態度を取れるんだよ。普通は嫌だろ。なんで嫌じゃないんだ。友達だからか? 友達だからなのか?
「ハチと居ると、なんか疲れて来る」
「それ、昔も言ってたいたよね。いい加減に慣れてくれない?」
態度を改めるという気は、今後も一切、無いらしい。
「……もう良い。ハチの好きにすれば良い。なにせ、ハチが企画した旅行なんだからな。予定の関係上、僕と一緒になってしまったけど、それ以外はほとんど任せ切りだし、僕がとやかく言う筋合いは無いもんな」
「そうそう、そうやって諦めてくれるとこっちとしても非常に助かる」
ハチは屈託の無い笑顔を僕に向け、それから駅のホームに停車している電車に鼻歌を唄いながら乗り込んだ。僕は当然、そのあとに続き、ハチが座っている座席の隣に腰を降ろす。
「大学の講義は難しかった?」
「そんな言うほどでも無かったな」
「えー、有名な大学に行ったのに?」
「好きな学部学科に入って、好きな科目しかやらないんだから、必修科目以外で面倒だと思うような講義なんて無いもんだよ。それでも入学してからフェードアウトしていった奴らは居たな」
「私のところも居た居た。勿体無いよね。まぁ、三柳の行った大学に比べたら三流だけど」
「出身大学をどうこうなんて僕は言わないし、講義の質がどうこうも言わない。どこの大学に入ろうと、馬鹿にするわけないだろ。そういうこと言って来るのは圧迫面接ぐらいだった。僕はともかく、隣の女性は泣いていたからな。その面接は通ったけど、腹が立ったから電話で断りを入れたくらいだ」
「変なところで筋が通っているよね、三柳」
「ハチのせいだろ。基本、僕の筋が通っている部分はハチが基準だから」
こういう時、ハチはどう思うだろうか。この場面なら、ハチは絶対に文句を言いに行くな、とか。全部、心の中のハチで決める。それくらい僕は、昔の彼女の生き様に憧れたのだ。
「……へへー、そういうこと言われると、ちょっと照れちゃうなぁ」
珍しく、ハチはなにを言うでもなく、耳朶を赤くしていた。彼女が照れているところなんて、もしかしたら今日が初めてかも知れない。