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ハチとは八宮 菫のことなのだが、彼女は友達からは下の名前で呼ばれている。僕だけが彼女に対してハチというあだ名を遣うことを許されていた。ハチは割と誰とでも話をするタイプの子で、笑顔が特に印象的な、とにかく明るい子である。
小学生からの縁なのだが、気弱で地味な僕にも話し掛けて来て、最初は邪険にしていたのだが、徐々に徐々にその明るさと、強引過ぎる会話に心を許した――いや、許したというより折れた。
どれだけ嫌がっても、どれだけ無視しても、構わず話し掛けて来るから、もうなにをやったってこの子には話し掛けられ続けるんだろうなと諦めたのだ。
そこから僕とハチの友達関係は始まったのだが、ハチは可愛いというより綺麗な子なのに活発的で、校庭に引っ張り出されては嫌なドッジボールをやらされたり、嫌な鬼ごっこをやらされたり、嫌なかくれんぼをやらされたりと、インドア派の僕はひたすらアウトドアな遊びに付き合わされた。そのたびにほとほと参って、学校に行くのをやめようとも思ったのだが、ハチの無垢な笑顔を前にしたら全てどうでも良くなった。
特段、恋をしていたわけではないけれど、徐々にそのハチの言動にも慣れ始め、中学生、そして同じ高校の通うようになると、大抵の休み時間には僕はハチと喋っていた。
そのことを一部の反抗期に入ってやたら高圧的な生徒にからかわれることもあったが、ハチは躊躇わず彼らに噛み付いた。物理的にでは無く、言葉で威圧した。順序立てて説明を求め、ハチが納得する理由を持って話すようにという、その覇気にやられて、彼らは僕とハチの関係をとやかく言わなくなった。逆にハチが誰かにイジメられるような事態にも陥らず、噛み付いた生徒に嫌がらせや復讐を受けるかも知れないということで、彼女の友達、そしてクラスメイトが休み時間や登下校に目を光らせるようになり、ある意味で高校一年生の頃は一番、クラスの団結力が高かったのではないだろうか。
高校三年生にもなると、僕とハチが喋っていてもなにをどうこう言う奴は居なくなり、喧嘩を売って来るような輩もゼロとなった。みんなハチが怖いというより、ハチを守ろうとする彼女の友達が怖かったのだろう。その三年間で僕は男友達も出来ていたが、ハチが現れると友達もやや狼狽することが多かった。
僕はハチのリードを繋いでいる飼い主みたいな扱いだった。動物に喩えてしまうのも酷い話ではあるけれど、僕にとっては忠犬のハチであったが、僕に害する奴に対しては狂犬のハチだった。
女の子に守られているというのも、一時期、嫌だったので「ハチ」という嫌と言いそうなあだ名を付けたのだが、何故だか受け入れられてしまい、その時のなんだか嬉しそうなハチの顔を僕は今も憶えている。それを思い出すたびに、「もうちょっと女の子らしいあだ名を考えれば良かった」と後悔してしまうということも、付け加えておく。
同窓会でもハチは大人気で、友達と一緒にお酒を飲んで大声を出さずともワーワーキャーキャーと嬉しそうに話し込んでいたのを見ていたので、僕は自身の友達と長く語らっていたわけだが、お開きになるタイミングで、さすがに声を掛けないわけにも行かなくなった上に、大体、ハチは僕の住所を知っているのに、なんで僕はハチの連絡先の一つも知らないんだという感情と、お酒の勢いに揺り動かされたのだ。現住所は知っていても、スマホの電話番号とメルアドは知らないようだったし、僕は僕でなにもかも知らなかったので、それらを互いに交換し、晴れて同窓会になにかを残すことも無く、満足して社宅に帰った。
次の日は、若干の二日酔いにやられつつも、スーツを仕事用の物にちゃんと着替え直し、同窓会のために早めに帰ったことで、やはりやって来ていたシワ寄せを処理するために外回りに出て、頭を下げながら懇意の取引先とのプランを進めて行った。
年度末は十二月程度、或いはそれ以上に仕事が入る。十二月には今年の思い残すことが無いようにと色々と溜め込んでいた仕事を処理させられ、年度末には、来年度に向けて残っていた仕事を始末する。どちらも同じで、どちらも厄介である。
正直なところ、忘年会と新年会、そして四月には必ず開かれるだろう歓迎会などやらずに、その日を仕事にさえ割り当ててくれれば、少しは楽になるのにと毎度のことながら思う。なのに忘年会と新年会、歓迎会等があるたびに「そんなことどうでも良いや、はっはー」みたいなテンションで社宅に帰るのだから、まったく酒の席というのは怖ろしい。
そんな風に、多忙の極みに至っていた僕の元に、ハチからメールが届いたのは社宅で入浴を済まし、寝る直前だった。
時間が合えば、旅行でもしないか? メールの内容を掻い摘んで説明すると、そんなところだった。