【-12-】
伝票に送り先の住所を書き込み、配達手続きを終え、僕たちは部屋に戻ってチェックアウトの準備に移る。できることならこの部屋で永住したいのだが、そうも行かない。僕たちは部屋を使わせてもらった感謝の意を込めて、出来る限りの掃除を行い、浴衣から着替え、下駄を上がり框の隅に置く。忘れ物が無いかを確かめ、まずスミレのコートをハンガーから外して手渡し、続いて自身のコートを着込む。
「お菓子は食べたけど、アイスは食べられなかったね。なんだか勿体無い」
「こんな強風の日にアイスなんて喰えるか。昨日の夕食も今日の朝食もお腹一杯になったし、胃に放り込む余裕も無いし」
「料理が美味し過ぎるのが悪い」
「悪いことじゃないけどな」
靴を履き、扉を開けて彼女が部屋を出て鍵を掛ける。
「僕も二年くらい前まではオートロックじゃないところは鍵を開けっ放しにしてチェックアウトしてたんだけどな」
「私も鍵を掛けるようになったよ。特に自分の使ったタオルを盗まれたりしたら物凄い嫌だし」
女性としてはそこが気になるのか。僕はドライヤー等の備品が盗まれる可能性があるから鍵を掛けるようにしたんだが。
フロントでスミレがチェックアウトの手続きを済ましている間、僕はソファに座り、待つ。
「……いや、昨晩のことを思い出すのは違うだろ。違う違う違う」
そればかりが想い出になるなんて最低野郎だ。もっと楽しかったことを上辺だけでも良いから想い出にしておきたいものだ。
「どうかした?」
チェックアウトを終わらせたのだろうスミレが僕の隣に座る。
「独り言だ」
「また?」
「癖なんだよ、知ってるだろ」
「呪詛なら知ってる」
「いつまでそれを引っ張るつもりだよ」
「それもそうだね。今の三柳と、昔の三柳は違うもんね。車で駅まで送ってくれるってさ。電車の出発時刻も踏まえて、十分後にだけど」
「そっか」
「それと、旅館を出る前に記念写真を撮ってもらうから。考えたら、ツーショット写真、一枚も撮ってないでしょ?」
「そうだったっけ?」
部屋やらなんやらと、スミレはデジカメで、僕はスマホで撮りまくっていたのでそういうイメージが全く無かった。
十分後、旅館の方にお願いして入り口で二人切りの写真を撮ってもらい、車に乗って駅まで送ってもらった。
駅のホームに停まっていた電車に乗り込み、間もなくして発車する。
乗り換えを行いつつ、車窓の景色は海辺の町から田園風景を経て、都市部らしい雰囲気へと移り変わって行き、お昼を岐阜駅で済まし、再び電車に乗り込んで、夕方頃には見慣れた駅へと電車は停まっていた。
改札口を通り、スミレが大きく背伸びをした。乗り換えが多かったので眠りはしなかったものの、移動の疲れは昨日の比では無かった。
「スミレはここからバスか?」
「うん。三柳はまた電車?」
「ああ。特急じゃ停まらなかった駅に戻らなきゃならない」
今度は青春18切符は使えないのでICカードを使わなきゃな。
「住んでいる場所って駅に近いの?」
「いんや、そこからバスに乗って、もうちょっと遠くだな」
「……そっか、じゃ、今度、会えるのっていつになるだろうね。もしかしたら、もう二度と会えないかも」
寂しそうに言うスミレを見て、僕はなんとも言えない気持ちになり、様々な想いに背中を押されて、これはいよいよ甲斐性を見せなきゃならないなと、覚悟を決める。
「あのさぁ、スミレ。僕がお前と一緒に旅行して、で、その場の勢いで……まぁなんて言うか、そういうことをして、それでさよならもう二度と会わないって言うような最低最悪な男に見えるか?」
公共の場であったので、「その場の勢いでヤッて」とは言えなかったので、さすがに言葉を選んだ。
「僕はスミレが好きだし、スミレも僕のことが好きなんだよな?」
「……うん」
「じゃぁ、まだ言っていなかったけど、付き合って下さい。出来れば、結婚を前提にお願いします。スミレ以上の女性とは、絶対、出会えないと思うから」
軽率な言葉に聞こえるかも知れないけれど、二十五歳の僕にはもうそろそろ、これを本気で言わなきゃならない時期が来ている。
なにより、逃げたくない。
スミレはこの旅行で僕に対し「覚悟しているから」と、本気を見せた。その本気に、本気で応えないわけには行かないのだ。
「私、結構、馬鹿だよ?」
「知っている」
「料理は最近、勉強し始めたけどまだ全然だよ?」
「そうだろうと思っていた」
「三柳となんて、釣り合いが取れないよ」
「だったら、重い分、僕がそっちに行けば良い」
僕の中じゃ天秤理論じゃなくシーソー理論なんだ。シーソーは重い方が内側に進めばいつかは釣り合いが取れる。それで重い方が楽しいかどうかは別として、けれど、一緒に遊ぶことは出来る。
釣り合い云々を引き合いに出すのなら、僕がスミレに寄れば良い。歩み寄れば良い。そうするだけで、いつかは軽さも重さも違っても、シーソーは水平になる。
「……昔は私に引っ張られてばっかりだったのに、生意気」
「男が甲斐性見せてんだ。さっさと答えて欲しいんだが?」
「……良いに決まってんじゃん。三柳がそこまで言うなら、付き合う。結婚だって、考えてやっても良い」
「なんだよその上から目線」
「うるさいなぁ、嬉し過ぎて、どう返事をしたら良いか分かんないだけだよ」
その日に見た涙は、いつかの悲しい涙では無く、嬉しさから来る綺麗な涙だった。




