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【-10-】

 馬鹿なんじゃねぇのってくらい露天風呂は寒かった。掛け湯をして、体を洗っている最中も強風を浴び、これは死ぬかも知れないというところで浴槽に入る。体の芯から温まるほど心地良いのだが、髪を洗うのを忘れていて再び浴槽から出たところで、また体温を奪われる。死ぬかも知れないと思って浴槽に戻り、そこから頭だけを出してシャワーを使って髪を洗い――というか、一度、大衆浴場の方で髪を洗っているのだから、また髪を洗っているのは、どうなんだと思いつつ、リンス入りシャンプーの泡をシャワーで洗い流し、浴槽に深々と浸かった。


 もう外に出たくないなぁと思いながら、意を決して、部屋へと戻る。その時のまた体温を奪われてしまったが、しかし部屋に入ってしまえばこっちのものだ。僕の体は安穏を感じ、生きた心地がしないとはよく言うが、生きている心地がするとはこういうことなんだろうなと思った。


 入浴は実は体力を使うものであるのだが、今回はいつもの倍くらいに体力を奪われてしまった。ハチが使ったバスタオルには目を向けることは極力控え、備えられていたもう一枚のバスタオルで髪を拭き、体の隅々まで水気を払う。その後、替えのパンツと肌着を着て、男物と思われる青い柄の浴衣を着た。ハチが着ているところを見て、昔を懐かしんだというのもあるが、やはり旅行なのだから少々、普段とは違う格好で寝るのも悪くないと思ったのだ。


 間仕切りの襖を開けて居間に戻ると、ハチはテレビとは違う方向を眺めていた。


「……覗いたな、お前」

「な、なにを、言っているのか分からない」

 どう誤魔化そうと耳を赤くしているんだから、分かってしまう。


 男に覗かれていたらそれはそれで気色が悪くて吐き気を催すほどドン引きするが、女性に覗かれる場合、それほど嫌な気がしないのはどうしてなのだろう。これが初めてなので、今後もそう思うかどうかは別なのだが。


「僕は覗かなかったのに、ハチは覗くなんて」

「ほんっと―のほんっとーに覗いていないと言える?」

 なんだその反抗的な態度は。覗いた側が明らかに悪いだろ。

「覗いていない」

「一秒も?」

「覗いていない」

「……覗けば良いのに」

「いや、意味が分からないから」

 僕を変態にして、警察に突き出すつもりか。でも、ここって二人部屋で僕たちは多分、旅館の方々にもカップルだと思われているから、警察の御用にはならないだろう。カップルで着ている以上、そういう場面を目撃してしまうのは致し方無しという部分がある。

「だから覚悟は出来ているんだって」

 言いつつハチはテレビを消して、洗面台で髪を梳き、そして整え始めた。その後、歯磨きを終えたのち寝室に行ったので、僕もまた洗面台で髪を整え、歯磨きをしたのち、少しだけ伸びていた髭をシェービングを使って丁寧に剃って、洗面台と脱衣所の照明を落とす。続いて居間の照明も落とし、ハチが使っているベッドの奥にあるもう一方の枕元にスマホと、冷蔵庫にあった水の入ったペットボトルを置く。あと、“ゴム”の箱をソーッとハチのベッドとの間ではなく、壁際にあった手が十二分に滑り込ませることのできる床へと置いた。ハチの言い方からして、そういうことが起こりかねない、というか多分、僕が起こすかも知れない可能性が八割方あったので、置いておかなければならない。

 目薬を差し、先にベッドに潜り込んでいるハチを気にしつつ、寝室の灯りも薄暗くして、僕もまたベッドへと体を滑り込ませた。


「三柳?」

「なんだ?」

「変わったよね、三柳って」

「どこが?」

「ちゃんと話すようになった」

「そりゃボソボソ喋っているだけじゃ仕事出来ないからな」

「私の目もちゃんと見るようになったし」

「女慣れした……なんだその目は? 話すことに慣れただけで、経験豊富じゃないからな」

「そういう風に、私を馬鹿にするようになった」

「してないだろ。なんだよ、その被害妄想」

「髭が生えるようになってた」

「高校でも髭はちょっと生えていたんだけどな……」

「あと、私より背が高くなった。それが一番悔しい」

「別に良いだろ、背ぐらい高くなったって」

「うるさい、私より小さかった頃の三柳を返して」

「返せないよ、昔の自分なんだから」


 なんだこの修学旅行で経験するようなやり取り。


 僕は修学旅行では大変だったんだからな。男子から「八宮と付き合ってないの?」と何度訊かれたことか。そして「八宮のこと好きなんじゃないの?」とも訊かれた。


 あの時、僕は強がりで全部否定していたけど、肯定していたら、なにか変わっていたんだろうか……いや、その頃のハチは先輩に恋をしていたはずだから、肯定していたって結局、なんにも変わっていないだろう。


「ねぇ、三柳は? 三柳は、私についてなにか変わったって思うところある?」

「はぁ?」

「ある?」

「……男勝りじゃなくなったな」

「私、そんなに男勝りだった?」

「少なくとも、男子は結構、怖がっていた。あと、スカートを履きこなすようになった」

「あー、昔はスカート嫌いだったからねぇ」

「立ち振る舞いが女らしくなった」

「だから、私は昔から女だったって」

「お前は知らないだろうけど「三柳には忠犬でも、周りには狂犬だよな」と言われていたからな」

「なにそれ」

「僕がハチって呼んでいたから、忠犬ハチ公となぞらえているんじゃないか?」

「それ、私が犬っぽかったってこと?」

「なんでそうなるんだよ……」

「あとは?」

「あとは、えーっと、そうだな」

 何気なくハチの方へと体を横にしたら、ベッドの中の彼女と目が合った。

「可愛くなった、綺麗になった。そこらの女性なんか目じゃないってくらい、美人になった。昔から美人だったけど、今はその倍くらいになった」


「……恥ずい」


「高校の時にフッた先輩は後悔しているんじゃないか」

 考えずに出てしまった言葉だったが、そこで「まずい」と思い、彼女の様子を見る。

「……あれ、フラれたのって三柳のせいだから」

「責任転嫁も甚だしいな」

「だって告白したら『君は三柳と一緒の方が絶対に良いよ。俺なんかより、三柳と一緒に喋っている時の方が、楽しそうだし、三柳みたいに君と接することって、俺じゃ無理だから』って言われた」

「へー」

「『へー』で済ますな!」

 あー駄目だ。もう駄目だ。そういうことを話すのは反則だ。

「ハチに凄く、訊きたいことがあるんだけど、良いか?」

「なに?」

「僕は、同窓会でハチに出会って、昔の想いが再燃して、まず間違いなくハチのことが好きなんだけど、ハチは僕のこと、好きか?」

「なんでそんなこと訊くの?」

「だって、分からないんだよ。先輩を好きになっていたはずのハチが、いつから僕のことを見ていたのか、分からない」

「私がもう三柳のこと好きってこと前提で話しているんですけどー」

「あー御免」


「……先輩にフラれてから、改めて三柳との友情? を考えたんだよ。初めて声を掛けたのは、なんでだろうとか、なんで素の自分を出せるんだろうとか、三柳の変な噂が聞こえるたびに、文句を言いに行ったのはどうしてだろうとか、沢山。そうしたら、頭の中、全部、三柳だけになっちゃったんだよ。だから、大学は近場のところに通って欲しかった。二つ先とか、あの頃の私にしてみれば、もう二度と会えない距離だったから。なのに私の言うこと全然利かなくて、むしろ反抗して来て、あの口喧嘩になった。なんで私は三柳のことをこんなに考えているのに、三柳は私のこと考えてないんだ、って嫌になった。でも、三柳と疎遠になるのは嫌だったから、そのあとはいつも通りを貫いた。内心じゃ、嫌だったけど……大学生になっても私の頭の中はずっと三柳。毎日見ていて安心できていた顔を見ることが出来なくて、死にたくなった。でも死んだら絶対に会えないし……大学生になった頃から、同窓会のことを意識し始めた。私、幹事だったから、クラスメイトの連絡先は毎年、更新していたし、早く同窓会を開いて、三柳に会いたい。それだけを考えて、大学生活も就職活動も頑張って、仕事も頑張った。それで、待ちに待った同窓会で、三柳がやって来たけど、なんか私のこと忘れているっぽかったから、悲しくなって……話し掛けるタイミング、見失って……また会えなくなる。今度は絶対、もう二度と会えなくなる。そう思っていたところで、声を掛けて来て……とても、とても嬉しかった。この旅行、最初は大学の後輩と行く予定だったけど、後輩に急な仕事の予定が入って……本当に申し訳ないけど、それを口実に三柳と行ければ、って思って。それで……こうなりました」


 なんで最後は敬語にするのか。


「……なぁ、ハチ。このあだ名、嫌いじゃないか?」

「嫌いじゃないよ。だって、三柳が付けてくれたあだ名だし。他の人に言われるのは腹が立つけど、三柳が言う分には、嫌じゃない」

「実はこれ、蔑称なんだよ。お前がずっと僕に構って来るから、ムカついて、ハチってあだ名を付けたら怒って、もう話し掛けて来ないだろうって思ったんだよ。でもお前、嬉しそうにそれを受け入れるから、僕も引き返せなくなって、ずっとハチって呼ぶようになっていた」

「私もなんか、ハチって呼ばれるのに慣れていたし、蔑称でも気にしてないけど」

「それで、まぁ互いに友情じゃなくて、あの頃に感じていたのは恋心だったんだという結論が出たということで、このあだ名はやめにしようと思うんだ」

「なんで?」


「ちゃんと、下の名前で呼びたい。スミレって、呼びたい」


「あぅ」

「スミレ」

「……は、い」

 僕は“ゴム”の箱を手に取り、それを持って自身のベッドから出る。

「スミレ」

「……ぁあああ! 何度も呼ばないでよ」

 箱をベッドとベッドの間にあるサイドテーブルに置き、彼女のベッドに近付く。

「覚悟しているって言ったよな?」

「……言った」

「スミレが覚悟しているって言ったから、僕もよけいに意識しちゃって、もう抑えられそうにないんだけど……良い?」

「一々確認を取って来るな」

 スミレはベッドのシーツを手で持ち上げ、僕を招き入れる。

「恥ずい」

「これからもっと恥ずかしいことになるんだけど」

「そういうこと言うな!」

 スミレは顔を真っ赤にしつつ、叫ぶ。


 友情で育った蕾は、愛情を受けて花開く。


 夜は更けて行く。


 子供だった僕たちはいつも口にしていた。早く大人になりたいな、と。

 でも、大人になった僕たちはいつも口にする。子供の頃に戻れたら、と。


 けれど、もうそんなことを言わなくなりそうだ。


 僕たちは、大人しか出来ないことをした。

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