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第一章 双頭の牛事件 その8

     十五


 十二世帯アパートの二階の一番奥が、美聖の部屋だった。1LDKで、恋人はいないと言っていたので、独りで住むにはぜいたくな広さ。さすがは公務員ね、と感心した。

 ワタシはリビングに通され、白いダイニング・テーブルの前に腰をおろした。先生は汗を流してくると言って浴室へと消えた。

 大きく深呼吸をし、落ち着いたところで事件のことを考える。浮かんできたのは部員たちの顔。それだけではない。夜菜が教室で双頭の牛を目撃したといって教室で泣きわめいていたとき、周りはいたって冷静だったことも思い出した。おかしいよこれ。変だよみんな。そう思っていたけれど、今では納得。だって、みんなが牛の仮面をかぶって夜を徘徊していたのだから。

 目的は?

 ワタシの耳を刺激するシャワーの音。思考の邪魔をしているけどなんとか事件に意識を戻す。眼を閉じ、推理する。

 一度、謎を整理してみよう。


 お寺に集まって何をしていたのか、何を行おうとしていたのか。

 飼育小屋で何をしていたのか。

 飼育小屋にあった人形の腕と黒い液体は、牛事件とどういった関係があるのか。

 部室の前に双頭の牛が立っていたとき、持っていた人間の頭部ははたして本物か。

 何故みんなは牛の仮面をかぶっているのか。

 何故、現れたのか。

 何が起こっているのか。

 双頭の牛事件の真相は?


 ふう。まったくわかりません。出ました、不可解な謎。

 はっきり言って情報量が少なすぎる。これじゃあ、ポワロでもホームズでも九十九十九(つくもじゅうく)でもコナンくんでも解決は無理。真相がとても気になるけど、夜出歩くのは怖いから、明日学校で松則くんを追及しよう。

 ここでもうひとつの選択肢が脳に浮上する。

 ワタシに危害を加えるようなことはない。ただ不気味なだけ。ならば、忘れてしまうのはどうだろう。

 などとネガティブな方向へ行こうとする思考を元に戻す。逃げちゃダメ。どっかの誰かさんみたいなセリフだけどそう思うのだから仕方ない。

 逃げずに戦って、きっとこの謎を解き明かしてみせる、双頭の牛事件を解決してみせる、と決意をあらたにしたところで、あれ? と気づく。ちょっとちょっとおかしいよこれ。なんてバカ。なんて鈍感。今までにも何度も何度も言っていたじゃない。

 双頭の牛って。

 そう、『双頭』。お寺や路地で見た牛仮面たちは、頭部がひとつだけだった。

 双頭だったのはたった一匹。(頭がふたつあると一匹なのか二匹なのかわからないけど)

 部室のドアを開けていたアイツだけ。他はニセモノ? 信者? 尊崇(そんすう)? 仰望(ぎょうぼう)

 仮面をかぶる理由は?


 尊崇……①尊びあがめること ②相手の頭に?を浮かばせる魔法の言葉


 仰望……①尊敬して慕うこと ②言葉にしても呪文にしか聞こえない言葉


 そこでさらに推理する。

 部室にはカギをかけているのかしら。それは部員に聞かないとわからない。ちゃんと施錠しているとしてもその日はたまたま開いていたという可能性がある。この件は保留。

 部員が犯人だと仮定して考えてみる。

 ヒミヨはどうか。口と態度はデカイけど、根は優しいような気がする。

 夜菜はどうか。すぐ泣くし変な笑い方をするけど、悪い子ではない気がする。

 栃宗はどうか。話すスピードが遅いし無表情だし何を考えているのかわからないけど、悪人ではない気がする。

 やっぱり松則くんだろうか。優しいしかっこいいし頭がいいのだけど鈍感。

 ふう。彼らの誰かが犯人とはとても考えられない。ということで振り出しに戻る。明日から部員の家を一軒一軒見てまわろう。不審な点を見つけて奇妙な行動を取る謎を解明し、双頭の牛の秘密を探ろう、と決意したところに、濡れた髪をタオルで拭きながら美聖が戻ってきた。カーキ色のバスローブから漏れ出る熱気が、眼鏡を曇らせている。いや、曇っているというか、ビショビショ。

「お母さんには私から電話しておくからシャワーでも浴びたら?」

 ワタシはかぶりを振った。

「そんなことよりも、気づいたことがあります。みんなが仮面をかぶるのは、もしかしたら儀式のようなものかもしれません」

 美聖が、ちょっと待ってて、とキッチンへ。しばらくして、口の広いピンク色のティーカップをふたつ手にして戻り、ワタシの向かいに腰を下ろした。紅茶の甘い香りが部屋中に広がった。

 湯気の後ろにある美聖の顔が笑顔になり、「さあ、あなたの考えを訊かせてちょうだい。その前に紅茶、冷めないうちにどうぞ」と言った。


     ☆


 渓谷のような深いシワを刻んだ顔が、上方(じょうほう)をにらんでいた。その眼に色はない。何も、映していない。よくこういう眼を死んだ魚の眼と表現されるが、彼女の眼は、ミイラとしか言いようがなかった。死んだ、ではなく、ミイラのように乾いた、眼。そのほうがしっくりくる。生きた人間が持てる眼球ではなかった。

 女性は重力を感じさせないほど(かろ)やかに動き出した。

 音を立てず、そして無表情のまま、眼の前の階段へ向かって歩を進めた。


     ☆


 ペンリアーズはツノミの部屋で、ちまんちまんと何度も鳴いていた。鳴きながらベッドの上に飛び乗り、布団を(つつ)く。そして、ちまんちまん。場所を変え、布団を突く。そしてまた、ちまんちまん。それを何度か繰り返した後、ある一点で視線を止めた。意を決したようにベッドの端へ移動し、勉強机の上にジャンプした。そのまま端へ移動し、もう一度ジャンプ。そうやってペンリアーズは窓枠へ飛び乗った。固く閉ざされた窓。くちばしを器用に使ってカギを開けた。ベランダから下を覗くペンリアーズ。臆することなく手すりの隙間からダイブした。

 二階という高さはペンギンからすると五、六階くらいに相当(そうとう)する。それなのに躊躇(ちゅうちょ)はなかった。ゴオオオオと落ちてバキ グチャ チ~ン、ではなくてボチャンだった。庭にある小さな池に落ちたペンリアーズは水浴びなどせず、すぐに陸へ上がり、門をぬけて駆け出した。短い脚を交互にすばやく出し、必死に、走った。


     ☆


 ペンリアーズの後を追うひとりの牛仮面の姿があった。つかず離れず、一定の距離を保って、牛仮面はペンギンを追跡した。


     十六


 悪魔は、どんな能力を有しているのかわからない。能力とは個別なものなのだから。腕力が強い者、動きがすばやい者、言霊(ことだま)を操る者、悪魔の使いを多く従える者。今回は後者だろう。ならば、想像以上に強力な悪魔だ。しかしだからといってトレスは戦いを放棄する気はなかった。悪魔の使いを倒せるということは、悪魔本体を、殺せるかもしれない。悪魔祓いを試してみる価値はある。エンリケのために、自分のために。復讐を果たすには武器が必要だ。沼へ行こうかしらそれとも小川?

 いいえ、あそこがいい。


つづく

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