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第一章 双頭の牛事件 その6

     十一


 体育の授業以外でこんなに走ったことはないわ。しかもペンリアーズを抱っこしたままというのは生まれて初めて。三キログラムくらいなのに今では十キロ以上の重さに感じる。ダイエットさせようかしら、と考えている間にようやく目的地に着いた。

 家ではない。阿仁球(あにたま)中学校。

 正門の前に見知らぬ女性が立っていて、校内をじっと見つめている。傘をさしていないのでビショビショ。ボサボサだろう髪は顔にべったりとくっついている。ちょっとした幽霊だ。顔中に刻み込まれているシワが深いのだけど、見た目より若そうな気がする。学校の関係者かしら? それとも子どもの下校を待っているのかな? ちょっと気になったけど、薄気味悪いから見ないフリ。彼女の脇をすり抜けて門をくぐり、正面に見える職員室のあるA棟へ向かった。中に入ると眼の前に階段があり、廊下が左右に分かれている。迷わず右折。最初にある左手の部屋が職員室。ノックもせず、ドアを開けた。

「先生!」探し人はすぐに見つかった。「双頭の牛事件の犯人がわかったの」

 四、五人ほど教師が残っていた。いっせいにこちらを見る。だけどワタシは気にせず、担任だけを見据えた。美聖はワタシに気づき、眼鏡の位置をクイッと直して立ちあがり、あたりをゆっくりと見回しながら他の先生に会釈してから声を殺しながら言った。

「場所を変えましょうか」

 美聖の先導で職員室を出て、同じ建物内の角にある階段を上る。連れてこられたところは三年二組、ワタシたちの教室だった。もちろん誰もいない。電気をつけて窓際へ寄り、外を見ると外灯がむなしく運動場を照らしていた。吸い込まれそうなほど静かで、昼間の喧騒がウソのようだった。

 ちょっとだけ怖いな、と思っていたワタシの背に、先生は言った。

「本当に、犯人がわかったの?」

 そうです、とワタシはペンリアーズを下ろし、振り返りざま答えた。

「誰なの?」

「飼育部の部長、松則くんです」

「どうしてそう断言できるの?」

「彼の家で、牛のマスクを発見したのです」

 美聖が眼鏡の奥にある眼を丸くした。それはそうでしょう、赴任(ふにん)した矢先、自分が受け持つクラスの生徒が、こんな得体の知れないいたずらをしているのだから、と思ったのだけど、

「あなたは転入早々もう男の子の家に行ったの? ちょっとそれって問題があるんじゃないかしら」などと言うので、違うことで眼を丸くしたことを知った。

 的外れな解釈に大きく落胆したワタシは、「深く追求せずにその場を離れたので、松則くんが何故このような行いをしたのかは謎のままです。後日、彼を問いただそうと思っているので、今回の事件を大ごとにしないでください。もう、終わったことですから」

 頼りにならないと悟ったからそう言ったけど、ワタシは少し、考え込んだ。それというのも、ただのいたずらにしては手が()り過ぎているからだ。はたして事件は、ワタシが松則くんを追及して、もう二度としませんごめんなさい、と謝罪させて、そのまま終わるのだろうか。

 ツコココココという音が突然室内にひびきわたった。驚いて顔を向けると、ペンリアーズがものすごいスピードでドアを突ついていた。時刻はもう間もなく午後八持を指そうとしている。さすがにこんな時間なのでエアコンは作動していない。おそらく暑いのだろう。話を切り上げるべきだとワタシは判断し、先生に顔を向けた。

「それじゃあそういうことなので、後日、もう一度松則くんと会って、ドカンと説教して、それから、原因を聞き出し、謝らせます」

 美聖はきょとんとしていてワタシの話を聞いているのかいないのかわからない顔を浮かべていた。まったく頼りにならない。ひとりじゃちょっと心細かったから助け舟を借りようと期待していたけど無駄足とはこのこと。わざわざ呼び出したりしてすみませんでしたまた明日、と言い残して教室を出た。

 ペンリアーズがワタシについて来るのではなく前を行く。いつもより早歩きだ。水が恋しいのかしら。そんなペンの背を見つめながら言った。

「ごめんね、あんたまでこんなことに巻きこんじゃって。そう、《こんなこと》なのよ。別に誰かが死んだ誰かが暴行を受けた世界の危機、とかじゃないもんね。ただ、牛のマスクをかぶった松則くんが飼育小屋に潜んでいただけ。本当にただそれだけ。どうもね、事件という言葉を聞くと放っておけないの。見ないフリは出来ないの。だから大騒ぎして、事を大きくしているのはワタシ自身なのかもしれない。はああ、なんだか疲れちゃった。帰ってお風呂にしようか?」

 ペンリアーズは振り返らずにちま~んと鳴くだけだった。それでもワタシにとっては救いの返事だった。

「そうだ、せっかく学校まで来たんだから飼育小屋へ行こう。みんなにおやすみしようね」と思い立ち、少しだけ寄り道することにした。

 A棟を出る。学校の正門が見える。しかし、先ほどポツリンと立っていた得体の知れないおばさんはもう居ない。誰だったのかしら、と思いながらも、ワタシは歩を進める。A棟の二階からX状に渡り廊下が伸びている。一年と二年生の校舎へと廊下はつながっている。蜘蛛の巣のような構造だ。その下をくぐって校内の奥へ。やがて左手に体育館が見えてきたけど館内のライトは消されていて誰もいない。暗い体育館ってなんだか不気味、と思ったワタシは足を速めた。運動場が見えてきて右折。前方にある飼育小屋を発見。そこであれ? と一瞬とまる。

 壁の上部にある小窓から明かりがもれていたのだ。

 それを見て、誰もいない体育館以上に、恐怖を感じた。

「ペンリアーズ、おいで」と無理やり抱き上げる。ビクッとするけど下ろさない。音を殺しながら飼育小屋の前へ到着。しばらく立ち止まり物音を探る。何も聞こえない。ワタシは気を落ちつけながら、鉄の扉をそっと開けた。天井にずらりと並ぶ蛍光灯が半分だけついている。動物たちは大人しく、寝ている者もいた。視線を奥へ移動させる。イグアナとリクガメのスペースの奥、食糧保管庫の扉の前に――いない。双頭の牛がいるのではないかと心配していたけど杞憂(きゆう)に終わった。電気は、ただの消し忘れね。


 杞憂……①取り越し苦労 ②物書きにとって便利な言葉 ③口にすると鼻につく言葉


 安心はしたけど、あまりにも静かなので、ペンリアーズを遊ばせて活気づかせるわけにもいかず、明日にしましょうね、と言って電気を消してUターン。なんだかドッと疲れちゃった。早く帰って休みましょう、と飼育小屋を出て運動場を横断したところで何気なく振り返ると、部室が並ぶ中央通路に、居た。

 双頭の牛。

 本当に、居た!

 開いたままのドアの前で立っている双頭の牛。向こうもワタシの存在に気づいていて、じっとこちらを見つめている。離れたところにある外灯が数本と、通路の上に取り付けられた豆電球の頼りない灯かりだけなので、はっきりとその姿は見えないけれど、本当に頭がふたつある。ただひとつだけ、夜菜の説明不足な部分がある。それは、下に位置する頭部が、上のよりも幾分小さいということだった。しかし顔の形はいっしょ。草食動物特有の冷たいまなざし。なんの感情も持たない冷めた瞳。ビー玉のような眼球が豆電球のオレンジ色を反射させていて、現実世界に迷い込んだ異物のようだった。

 動けずに凝視していると、不思議なものを発見した。胸の位置に、丸い物体があったのだ。何かしら、と眼をこらす。ちょっと待って、あれって、人間の頭部? 双頭じゃなくて三幅対(さんぷくつい)? 


 三幅対……①三つひと組になったもの ②言葉にするとまず何それ? と言われるので説明すると、そんな言葉知ってるんだ、と感動されること。もしくは、気味悪がられること


 いや、そうじゃない。人間の頭だから違う。双頭の牛が持っているだけ。それからもうひとつ気づいた。双頭の牛が立っている場所って飼育部の部室よ。何をしているの。それに双頭の牛っていうから牛を連想していたんだけど身体は人間! やっぱり悪魔? 松則くんじゃなくて本当の化け物? 急に両足が震えだした。双頭の牛は動かずにまだワタシを見つめている。光を放つ瞳はワタシをとらえて放さない。バッタンバッタンとペンリアーズがいきなり暴れ出した。動物は危険を察知する能力を持っていると聞いたことがある。犬が誰もいないところに吠えたりネコが何もいないところを見つめたり、ペンも何かを感じたのだ。だから暴れているのだ。逃げなければ。今すぐここから立ち去らなければ。

 ワタシは駆けだした。振り返る余裕はない。とにかく先生たちがいる職員室へ。そして大人に、助けを求めなければ。

 運動場を抜け左折した瞬間、ズドスッ、と誰かにぶつかった。

「すぐには帰らないと思ったけど、やっぱりここだったのね」

 美聖だった。

 安心すると同時に、ワタシの眼に涙が浮かんできた。ペンリアーズはまだ暴れている。振り落としてしまわないよう腕に力を入れる。

「そんなにあわててどうしたの?」

「居たんです」ワタシはまっすぐ美聖の顔を見据えて、「双頭の牛が!」と叫んだ。

「ツノミさんはここで待ってて。私が確認してくるから」

 そう言って美聖は小走りで消えて行った。

 ホッとした気持ちが伝わったのか、それとも、知らずに力を入れすぎて死にかけているのか、いつの間にかペンリアーズも大人しくなっていた。

 それから数分後、美聖は神妙な面持ちで戻ってきた。

「どうでした?」

「本当に見たのかしら? 飼育小屋にも部室にも、あやしい人影は、なかったわ」


     十二


 良い場所を見つけた。ここなら悪魔たちにもその使い魔たちにも見つからないはず。周りにあるのは解けた銅や白い木や正方形のガラス。まさに隠すにはうってつけの場所だ。エンリケを二度と失わない。ずっとずっといっしょ。トレスはそう自分にいい聞かせ、薄暗い建物の中で笑顔を浮かべた。


つづく

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