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第一章 双頭の牛事件 その5

     九


 松則は紳士だし清潔(せいけつ)だし親切でなかなかのイケメンよ。出会ったばかりで好きとかそういう感情はないんだけど、仲良くなりたい、とは思う。世間話をいっぱいして、もしかしたら何かの拍子に、お互いを異性として意識するようになって――て、ああああ。なに乙女妄想モードになっているのよ、今は事件の真っ最中よ、集中しなきゃ。

 松則くんの家へ到着し、鉄の門を通り狭い庭を進みドアの前へ。松則くんはカギを取り出し中へ消える。そして数秒で戻ってきた。ひとり勝手にドキバクしていると、なんとビックリ、彼は飼育部の活動内容が詳細に記されたレポート用紙を手渡した。それで終わり。おいおい。

「勉強したら、かなり楽になるから」

 などとどうでもいいことをにこやかに言っている。

 拍子ぬけしたけど仕方がない。松則くんのことをまだ何も知らないし、彼はただ単純に鈍感なだけであって――ちょっと待って、なんだかワタシが恋をしているみたいな思考に陥っているんですけど。

「おや~」視線を落として頓狂(とんきょう)な声を上げる松則少年。


 頓狂……①あわてて間が抜けていること ②だしぬけで調子はずれなこと ③クールな人にこそ、たまには必要


「ペンリアーズを見てごらん」と彼が(うなが)すので見下ろすと、翼をバタバタ、口をパクパクさせている。苦しそうだ。抱っこしてあげなかったから参っているのかしら。知らないうちに落ちているものでも食べちゃったのかしら。死んじゃう!

「大変! 病院へ連れて行かなきゃ」

「ははは」

 この一大事のときに松則くんが笑い出した。もしかして、ペンが死んだら解剖させてくれ、なんて言うんじゃないでしょうね。そんなことはさせない。いやその前に、ペンをぜったいに死なせない。と焦っていると、松則くんが手を振った。

「何も問題ないよ。ペンリアーズの品種の区別は出来ないんだけど、五十センチくらいだから、おそらくガラパゴスペンギンだと思う。熱さに強い種なんだ、といってもさすがに参っているようだね。こうやって口を開け、翼を動かして、体温を調節するんだよ」

 やっぱり思い込みって怖い。本当に死ぬのかと思った。ふと気づいたけどなんだか『思い込み』と『洗脳』って似ている。どちらも心から信じるようなものだ。固く信じて疑わないことと繰り返し教え込んで思想を改めさせること。もしも松則くんが双頭の牛だとしたら、油断するといつの間にか犯人ではないと思い込まされるかもしれない。ここはひとつ、一定の距離を保っておかなければ。

「松則くんはペンギンのこともくわしいんだね。異変があったらあなたに相談するようにするわ」

「そうだ!」松則くんは何かを閃いたような顔をして、「ちょっと待ってて。こおり水を持ってくるから。とっても喜ぶと思うよ」そう言い残し家の中へ消えて行った。

 ひとりになって松則くんの家をあらためて観察する。木造平屋の一般的な昭和チックハウス。築何年だろう。庭には松則家だけあって松がいっぱい植えてある。四本五本六本ぜんぶ奇麗に刈られている。すごいすごい。と、ぼけ~っと暇を持て余していると頬にポタン。そのあとドザザザー! ちょっとちょっと空はこんなに晴れているのになんで? と驚いている間にビショビショ。ペンはというと重そうな羽根をビッタンビッタン大はしゃぎ。あんたはそうでしょうとも。

「あら。あなたは?」

 雨音の隙間から上品な声が聞こえた。振り返ると白いシャツを着た女性が傘をさして立っていた。今日はずっと晴れていたのに傘を持っているなんて用意周到! というワタシの驚きをよそに、女性は優しげな微笑を浮かべている。松則くんよりも頭ふたつ分くらい高いだろうか。百七十手前くらい? かわいいというよりかっこいい。同性に人気があるだろうと思った。

「松則くんのお母様ですか? はじめまして、同じクラスのツノミと申します」

 お母様? 申します? ワタシは誰?

 ちょうどそこに松則くんが戻ってきた。

「おかえり~」

「おかえり~じゃないわよ。女の子を雨の中に置き去りにするなんて。私はそんな子に育てた覚えはありません」

 なんてすてきなお母様。

「あれ? 雨降ってる」

「そうよ。私の予想が的中したわ。さあ、ツノミさんだったわね、上がって。身体を乾かしましょう」

 そういう流れでリビングに通された。

 暖かい飲み物を持ってくると言ってお母様は退室し、タオルを持ってくると言って松則くんも消えた。ペンリアーズは茶色くて細長い犬、そう、ダックスフントにフシュフシュと匂いを嗅がれている。猟犬だけど知能が高いから襲われる心配はない。ペンも嫌がっていない。だから放っておく。テレビの隣の壁に絵画がかけられている。白い街並みが中央にあり、そのまわりを濃い青色で覆っている。下のほうにある小さな赤い船みたいなのは何だろう。まあいいや。ノネ・ふじなんとか、という人のなんとかの古都だったと思う。絵の下には白い小さなデスク。上にノートパソコンとプリンターがある。右隣にはスライド式の書棚がそびえ立っている。手前と奥に棚があり、手前側が横にずれるやつだ。ちょっと豪華なリビング。書棚には、トーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズやらセルジュ・ブリュソロのペギー・スー・シリーズやらカート・ヴォネガット・ジュニアのタイタンの妖女やらアダム=トロイ・カストロのシリンダー世界111やらレイ・ブラッドベリの恐竜世界といったSFからファンタジーの名作たちで埋めつくされている。松則くんの好みが(もしかしたら家族のかもしれないけれど)なんとなくわかる。手前のジャンルはわかった、奥のほうにはどんな本が並んでいるのかしら? と興味をおぼえ、ズシッとした重量感があったけど力を入れて手前の棚を横にずらした。そして、ワタシはあるものを発見してしまった。

 松則くんと彼の母親が同時に戻ってきて、これで髪を拭いて、お砂糖はお好みでどうぞ、と同時に言う。

「えっと、あの、急用を思い出しちゃったの。ゆっくりしていきたかったんだけど、急いで帰らなきゃ。本当にはずせない用事なの。ごめんなさい」

 茫然と見守るふたりの視線をかいくぐり、犬と遊んでいたペンリアーズを抱き上げ、急ぎ足で玄関へ。どうもお世話になりました、と礼を述べて駆けだす。

 まだ雨が降っていた。幾分、勢いは衰えたといってもまだまだ、これぞ雨、と言えた。何度も水たまりに足を踏み入れ、水を含んで重くなる衣服を(うと)ましく思いながらも、ワタシは先を急いだ。

 その道中、書棚の奥側の上段に置かれていた、《牛の仮面》だけが、ワタシの脳髄に渦巻いていた。


     十


 ドロドロの中からトレスは飛びあがった。酸素を勢いよく吸い込む。粘り気を帯びた液体が彼女の髪の毛から滴り落ちる。赤い、液体。血だと悟った。急いで自分の身体を調べるが、何所にも負傷した形跡はない。(うごめ)く室内を見渡し、トレスは、笑う。横たわる塊を見て、大声で、笑う。「こんなところに居たのねエンリケ。ずいぶん探したんだから。あはは。これからはずっといっしょ。でも、ここは危険よ。すぐに悪魔が駆けつけてくると思うわ。さあ、早く安全な場所を探さなくちゃ」トレスは顔一面に、笑み、を浮かべたままエンリケを《やすやすと持ち上げ》、外へと飛び出した。


つづく

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