第一章 双頭の牛事件 その2
三
阿仁球中学校は地元でかなり有名な学校だった。その理由というのは、スポーツでも進学率でも就職率でも伝統でもなかった。そう、飼育部の存在。松則くんが部長を務める飼育部が近辺に名をとどろかせていたのだ。それもそのはず、小規模な無料動物園なのだから。週末や祝日には子供づれの家族が殺到するらしい。動物たちとの触れあいも自由。松則くんの講義も無料。時折、PTAやら生徒たちの親や一般人から寄付もあるという。だから、動物たちは人間慣れしているし、学校も維持費が高額なこの部活動を認めているのか、とワタシは納得した。
それからこの学校は、動物園がある珍しい学校として、通称、阿仁球中学校とも呼ばれている。まあどうでもいいのだけど。
こういう変わった学校には変わった生徒も集まるのだろうか。うちのクラスには謀有名俳優の娘(安なんとか)やらお寺の息子たち(こちらは双子)やら市長の娘(なんとか刻美)それからトレジャーハンターの娘(立茎ショウ子、この子はワタシが転入してから一度も出席していない。なんでも南米ペルーのマチュピチュ遺跡へ行っているそうだ)までいる。
こういう場所だから変な牛も現れたのだろうか。類は友を呼ぶ?
ちなみに飼育部で牛は飼っていない。本当に居なかったかしら? と記憶をたどり一種一種思い出してみる。右列の手前から、ヒツジ、アルパカ、カピバラ、クジャク、ラクダ。左列の手前から、カンガルー、ダチョウ、ブタ、ウマ、リクガメ。中央列手前から、ウサギ、アヒル、ハリネズミ、イグアナ。ちなみにペンリアーズはイグアナとの同居部屋。今ごろペンは何をしているかしらお腹すいてないかしら爬虫類と鳥類だからいつケンカになるかわからないしイグアナって歯は鋭いし尾の攻撃が強いっていうからけっこう危険な部屋なんじゃない? 隣のリクガメの部屋に移動させようかしら? でもこのリクガメは重そうだから寝ている間につぶされたりしたら、とここまで考えて話が脱線していることに気づいて思考を元に戻す。今、大切なのは牛、考えなくてはならないのは、頭がふたつあるという変な牛なのだ。
仲間たちが居るということで野良牛が紛れ込んだのか。そんなバカな、あり得ない。じゃあ、夜菜の見間違い? だけど幻覚でも勘違いでもなく確実に見た、と言っている。松則くんいわく、彼女はウソだけはつかないという。その言葉を信じるならば、牛の幽霊? しかし夜菜は霊感なんてないと言っている。そういえば、牛の頭をした悪魔の絵をどこかで見たことがある。マラクスやらモレクと呼ばれていたような気がする。たしかマラクスは、《休息》《終戦》《静謐》《安楽》をつかさどっていたと思う。《休息》するために飼育小屋へ? 意味がわからない。ということは悪魔ではない?
すると正体は……はい、わかりません。
静謐……①静かであること ②世の中が穏やかに治まること ③難易度Sの言葉
午前の授業が終わって、調査のついでにお昼ごはんをペンリアーズといっしょに食べようと思い、飼育小屋へ向かった。いろいろな不安もあったけど、動物たちはペンを気に入ったようで安心した。ペンも、なんてはしゃぎっぷり! それを見て、これから学校の日は毎日ペンリアーズを連れて来てあげようと思った。誰も居ない家でひとりぼっちにさせるよりよっぽどいい。
小屋には松則くんがいた。ワタシがやってきたことに気づき、金属製の桶のようなものを足元に置いて、ペンリアーズを部屋から出して、こちらに近づいてきた。ペンもその後を追う。チココチコン、チココチコンと歩いている、かわいい~!
「様子を見に来たのかい? 大丈夫、このとおり、とても楽しそうにやっているよ」
「それもあるんだけど――」
「それも、ということは、真の目的は他にあるんだね」
するどい。頭いいのね。好青年だし、さぞかしもてるだろうと思った。
「双頭の牛の謎が気になって」
「双頭の牛?」
「教室で夜菜ちゃんがパニックを起こしていたでしょ」
「ああ、あれ」そう言って松則は頭の上でピコーンとなったような顔をした。「ボクは早朝にもここへ寄ったんだけど、牛なんていなかったよ」
ワタシは室内を見渡した。いつものメンバーしか眼に入ってこないし足元に視線を落としても床に敷き詰められている赤い土に牛の足跡のようなものは残っていない。だけどワタシは推理の手をゆるめない。簡単にはあきらめない。何かあるはずだという感を信じるしもうひとつ疑いの眼をむけなくてはならないことがある。それは、松則くん率いる飼育部の部員全員とは言わないまでも誰かが、足跡を消した、という可能性があるからだ。
「ここへ一番乗りしたのは松則くんなの?」
「いつもそうだよ。次に栃宗、夜菜さん。ヒミヨさんは一番遅い」
ヒミヨ? ああ、高飛車女ね。
「松則くんは、『双頭の牛』のことをどう思う?」
その質問に顔をしかめ、そのまま口を閉ざしてしまった。好青年のダンディーな顔がプードルのようになっている。なんでそんな顔をするのかわからなくて、何も答えない松則くんにワタシもなんて言えばいいのかわからなくて、鼻の下を縮めて口をへの字にした。何か言いなさいというアピールのつもり。
ちま~ん!
ビクッとして音がしたほうを見る。ペンリアーズがいつの間にか離れていて、ルームメイトのイグアナの部屋の前で全身をモゾモゾさせ短い尻尾をフリフリしていた。え? そんなところでウンチ? ダメよ、トイレは所定の場所でやりなさいと教えたでしょ、と焦って駆けだす。急いで抱き上げようと伸ばした腕がピタリと止まった。ブリブリボトボトチーンだったわけではない。ペンリアーズは、床に小さな斑点となって固まっている謎の物体をしきりに気にしていたのだ。
「何かしら?」というつぶやきに、追いかけてきた松則くんが答える。
「何だろうね」
「ペン。あんたは向こうへ行ってなさい」
ペンリアーズに邪魔をされないよう、持ち上げてイグアナの部屋へ入れた。木の板で仕切られた部屋は横長になっており、真ん中に網目の仕切りがある。左半分がリクガメの部屋で、ふたつのエリアは水を共有していて、陸地も続いている。リクガメとイグアナの連なる部屋に、エコだね、とワタシは感心した。そんなことは置いといて、ワタシは腰を下ろし、「もしかして、血?」と言って、触れようとしたけど松則くんがそれを制した。
「血だとしたら、これは事件だ。普段ならケガで済むんだけど、次期が時期だからね。むやみにさわらないほうがいい」
「現場の維持ね?」
「そういうこと。だからこのままにしておこう」
「それにしても妙な物体ね。まるで捨てたばかりのチューインガムよ」
飼育小屋の中は動物の健康を考慮し、つねに適温を保っているそうだ。だから固まらなかったのだろうか。黒くてふにゃふにゃで一円玉くらいの大きさが五個六個。その内のひとつをつまんでグニグニいじる。何だろう。舐めてみようかしら、と思ったけどそれはやめた。
舐める……①舌の先でなでる ②味わう ③辛いことや苦しいことを経験する ④相手、または事を、頭からバカにしてかかる ⑤④はやめましょう
「さわっちゃダメだって言ったじゃないか」と慌てる松則くんを無視して、「朝はなかったのよね?」と、彼を見上げた。
松則くんはワタシの指先を凝視しながら頭を縦にふった。
「それ、血に見えるけど、ちょっと違うね」
「そうね」ワタシは指についた黒い物を下に置き、指先を見せた「赤い色がつかないもの。匂いはないわ。変なの。双頭の牛事件と何か関係があるのかしら」
「事件事件と、少し、大げさに考えすぎじゃないかな」と松則くんが呆れたような表情を浮かべた。
だけどワタシはそれを諌めた。
「楽観視は禁物。騒動が大きくなり、収集がつかなくなり、そうして、大勢の死者を出すかもしれない」
「そんなバカな!」と今度は両手を広げた。だけどワタシは下がらない。
「いいえ、油断が――取り返しのつかない悲劇を招くことがあるの」脳裏に兄の姿が浮かぶ。「ね? あなたもそう思うでしょ、ペンリアーズ」と言って、同意を求めた。
水浴びをしていたペンリアーズが名前を呼ばれて顔を上げる。その口には、妙なモノがくわえられていた。
「なにそれ?」と、口からもぎ取る。
茶色の細い棒。一方の先端はちぎれた感じでギザギザ。反対側はヒトデのような形状をしている。突起物は五本。気づいた。その瞬間、小さな悲鳴を上げてワタシは棒を放り投げた。いや、棒ではない。それは、人間の腕だったのだ。肘から下の部分。干からびた腕。ギザギザは食いちぎられた跡。やはりこれは殺人事件。双頭の牛という化け物の仕業。
「牛がここで人を殺し、食べたのよ! そしてこの腕は、食べ残し! ひいいい」
「落ちついて」と松則くんがワタシの肩に手を置いて、「人間のじゃなくて、人形の、ではないかな?」
え? とよく観察してみると、たしかに、軽いし固いしボロボロで茶色。
なあんだ、と安心して、全身の力が抜けて何気なく出入り口を見ると、担任の美聖が歩いて来ていた。やましいことはないのだけど、無意識に人形の腕を隠した。
先生はワタシたちのそばまでやってきて、眼鏡の位置を直しながら言う。
「やっぱりここに居たのね、ツノミさん。あなたに伝えたいことがあってさんざん探したのよ」「伝えたいこと?」「そうよ。みんながあなたのように動物を連れてきて飼いだしたら、この学校は動物に支配されて自然公園になっちゃうものね、だから校長先生から飼育の許可をもらってきたの。これからペンリアーズは、正式に阿仁球中の仲間入りよ」
「やった! よかったわね、ペン」ペンリアーズは小首を傾げる。
「その代わりある条件が出されたわ」なんですか? と訊き返すと、「それは、ツノミさん、あなたの入部よ」「入部ってまさか」
「そう、世界動物愛護飼育部への」
無言の笑顔で手を差し出す松則部長。ワタシはしぶしぶ、彼の手を握った。
授業が迫っていたので、ワタシはペンリアーズにバイバイをして、松則くんは動物たちの状態を最終確認。彼が終わるのを待って、飼育小屋をあとにしようとしたとき美聖が動こうとせず、動物たちを見回していたので早く出ましょう、と声をかけると、さっき騒いでいるようだったけど何かあったの? と言った。べつに何でもありませんと答えると、美聖はにこりとしてこちらへ身体を向けた。それにしても本当にミニ動物園ね、とてもすてきなところ、と言いながら駆け出した。
翌日。ホームルームで美聖がとんでもないことを口走った。
「昨日の夜、夜食を買いに外へ出かけたとき、双頭の牛を目撃したの」
ざわめく教室内。
居たのだ、現実に。ワタシ、は恐怖におののいたけれど、謎の究明に乗り出さなくては、と兄を思い出しながら、勇気を奮い起した。
四
右手にぶら下げているのは、赤い、クモ。白のシャツにデニムのパンツ、普通の装い。そう、悪魔は、人間の男性の姿をしているのだ。年の頃は四十代半ばで、髪の毛の薄くなったシワの深い顔。だけど、トレスは知って、いる。それはかりそめの姿だと。外見の内に潜む異形の影を見抜いている、だまされてはいけない。惑わされてはいけない。警戒していると悪魔は、トレスとキリン頭のすぐそばまで近づいてきて足を止めた。ふたりをゆっくりと見回し、それからキリン頭の首をグイッと引きよせ、それからすぐ横に払った。壁に激突するキリン頭。一連の動作の間、トレスは脚の震えを止めることが出来なかった。唯一、失禁、だけはガマンした。悪魔はトレスの前に移動し、手にしていた赤いクモをバクリと飲み干した。それから顔を近づけ、毒を吐く息をトレスに吹きかける。流れ落ちたヨダレが床の上でジュウジュウと音を立てる。「またお前は悪さをしたのか?」と、空気を振動させながら悪魔が言った。その揺れは、トレスをさらなる、恐怖、に突き落した。涙をいっぱい浮かべながら首を横に振り、身の潔白を主張した。「ウソをつけ! あいつが泣いているじゃないか」と、悪魔はキリン頭を指さした。「何度も何度も俺たちを困らせるこまったヤツだ」そう言って悪魔は立ち上がり、自分の腹の中に腕をつっこみ、赤いヘビをズルズルと引っ張り出した。ぬめぬめと、濃度の高い液体を滴らせ、ヘビが鎌首をもたげ、銀色の舌を出す。「言ってダメなら」その言葉が終ると同時にヘビが飛びかかってきた。牙を、トレスの身体にあびせる。飛び散る鮮血。はぜる肉。それでもトレスは、悲鳴、を上げなかった。歯を食いしばり、血が唇から落ちてもカッと眼を見開いて、自分の身に降りかかる悲劇の成り行きを見守った。それが、唯一の、抵抗、だとでも、言うように。
つづく