第二章 猫叉事件 その5
九
近所にある駄菓子屋のおばあちゃんのことがワタシは大好きだった。眼は糸のように細く起きているのか寝ているのかまったくわからなかったけど、ワタシたちがお店の中に入ると、『今日も来てくれたのかい。ありがとうねえ』としゃがれた声で嬉しそうに言うので起きているとわかる。その駄菓子屋は通学路の途中にあったので、特に欲しいものがなくても毎日のように通った。ワタシだけじゃなく友達もおばあちゃんのことをかわいいと言った。だけどある日のことだった。駄菓子屋の前に金色の猫が住みつくようになっていた。みんなはおばあちゃん+猫で、さらに駄菓子屋に足を運ぶようになった。ツノミちゃん大丈夫よ大人しくてキュートでしょ、と言うので、恐怖心を押し殺してワタシは猫に触れてみた。ガブリ。それ以来ワタシは、駄菓子屋に足を運ぶことはなかった。
おばあちゃん食べないでそれはネコよ! という自分の声で眼が覚めた。あたりはまだ暗かったのですぐに電気をつけて右手の甲を見る。うずいていたけどケガはない。記憶と名残だ。ほっとして、おばあちゃんは今も元気かしら? と考えたところでシュウゾウと眼が合った。ただの夢だから大丈夫よ。起しちゃってごめんね。と言うとシュウゾウはまた眼を閉じた。
そんな夢を見たからその日の授業は身に入らなかった。
次の試験が心配になってきたけど今はそれどころじゃない。
部活動を急いで終わらせ、正門前で部員たちを待つ。合流したところで夜菜が言う。
「さあ、アニマル探偵団、最初の任務の始まりよ」
みんな、答えるでもなく歩き出した。夜菜の言葉に、ちょっとかっこいいかも、と思った自分が情けなかった。
憂の屋敷に到着し、鉄の門のチャイムをヒミヨが押すとすぐに七生さんが出た。
「お待ちしておりました。そちらへ向かいますのでしばらくお待ちください」
そう言い残してから二分後、白髪の入り混じった七生さんが昨日と変わらないエプロン姿で門を開けた。
「お譲様はもうお待ちです。どうぞお入りになってください。私がご案内いたします」
彼女のおかげで迷わず建物に到着。扉をくぐり、噴水と二度目のご対面。あいかわらずデロロロと水を噴き出している。それに見とれていると脇に控えていた七生さんが言う。
「夕食のご用意が出来ております。ダイニング・ルームへおいでくださいませ」
右手にあるひとつだけしかないドアがダイニングだった。映画で見たような細長いテーブル。椅子が十四脚もある。その上には、出ました蠟燭。ゆらゆらと炎が揺れている。電気もついているのに蠟燭って必要? エコじゃないわね(あこがれ)と思ったけど黙っている。
「いらっしゃい。今日は来てもらってありがとう。みんなには感謝しているわ」
憂は主催者らしくダイニング・テーブルの端の席についていた。腰を上げワタシたちにあいさつする。妹の輪は彼女の左手に腰かけていて、軽く会釈をするだけだった。
各席に名札がもうけられていて、ワタシたちは所定の席についた。
それからすぐに七生さんが料理を運んできた。最初に出てきたのは小皿に盛られた一口サイズの料理。出ましたコース料理!
一定の間をおいて運ばれてくる。アミューズの次は前菜、そしてコーンポタージュ・スープ。来ましたメインの魚料理、ポワソン! 魚の種類はわからないけど赤いソースがかけられていて香ばしい。花びらのような形に切られた人参との相性がばつぐんで、ソースの酸味との調和がなんともいえない音楽を奏でる。魚はもちろんみずみずしい。続いてお肉料理。ヴィヤンドと言ったか。レアのお肉にフォアグラのソテーを乗せ、トリュフソースがかけられている。深みのある大人な味と香りが骨の髄まで染みわたる。お肉は口に入れた瞬間フォアグラのように溶けてしまう。お兄ちゃんは噛み応えのある肉が好きだ! と言っていたけどワタシはこっちが好き。食事はメインを終え最高潮に達する。美味しさのあまり今にも泣きそうだった。興奮冷めやらぬままいろんな種類のチーズが運ばれてきた。フロマージュ! ぶどうの皮が中に入っているチーズが初めての食感と味で、おそろしく感動した。それから間髪入れずにデザートが登場。クレームブリュレ。焦がしたカラメルの苦味とカスタードのバランスがすばらしい。甘味、というのは幸せを運んでくる。最後に紅茶。アールグレイ! ダージリンをブレンドしているのだろうか。香りが楽しい。満足以上でした。シュウゾウは生魚だけ。かわいそうに。
紅茶を楽しみながら、本題に入る前にワタシはお礼を述べた。
「憂、昨日の電話、ありがとう。両親がうるさく言わなくて助かったわ」
お安い御用よ……と答えたところでいよいよ本題に入る。ワタシから切り出す。
「まず、最初に聞きたいのは、ポインターのしっぽ。もしかして二本にわかれていた?」
ここで、ごちそうさま、と言って輪が腰を上げた。片づけもせず部屋を出て行く。そのあとすぐに七生さんが食器などをトレイに乗せて運び出した。
ちょっと、わがまますぎじゃない! と憤慨していると、憂が眉を下げながら言った。
「ここ最近なの、態度がおかしくなってきたのは……」
「理由に心当たりはある?」と松則くん。
「ハク、ンウン」と意味不明に答える憂をワタシが助ける。
「輪ちゃんのことは後で直接本人に聞いてみましょう? とりあえずポインター出現場所の調査が先決。時間はあまりない。もしもあの数字が六月十五日なら、明日よ。今日の零時をまわった瞬間、何かが起こるかもしれない。もしもそうなら、あと、五時間しかない。だから無駄をなくし、それぞれの推理を働かせ、謎の究明に乗り出さなきゃ」
松則くんは大きく頷き、ヒミヨはふんと鼻を鳴らし、栃宗は眼の焦点が定まっておらず、夜菜はシュウゾウに何かをあげていた。だからワタシは怒った。
「ちょっと、ダメよ、夜菜。これ以上太られたら抱っこするのが大変なんだから」
夜菜が顔を上げて、うえええんと泣き出した。彼女を無視してヒミヨが言う。
「で? ツノミの質問の答えは? えっと、しっぽの先がふたつにわかれていた?」
夜菜を心配そうに見つめていた憂が視線を移動させ、即座に答えた。
「いいえ」
それを聞いてヒミヨが勝ち誇る。
「どうよ夜菜。猫又なんてナンセンスだと言ったでしょ! はん、私の勝ちね」
「うぐ、うぐ、負けちゃった~」と本気泣きに変化する。
「でも」と憂が続ける。「ふたつにわかれていたような、気もする」
「ほらほら~やっぱり猫又なんだよ。ヒミヨちゃん怖いなら帰ってもいいよ」瞬時に泣き止んで笑顔を見せる夜菜。
「まだ決まってないでしょ。今に見てなさい」
長くなりそうだったので彼女たちを放っておいて話を進めた。
「自由に捜索をしても大丈夫かしら? 全部の部屋じゃないわ。ポインターが出現するところだけだから」
「もちろんよ」優がやっと笑顔を見せた。「みんなには期待しているのよ、こちらからお願いするわ」
「そのことなんだけど、ボクに提案があるんだ」
松則くんの一言でみんなが彼に注目した。
今まで騒いでいたヒミヨと夜菜も口を閉ざした。
「時間短縮のことはボクも考えていた。そこで、だけど、三つのチームに別れて調査をする、というのはどうだろう」
反論は、なかった。
十
シャンデリアの上に、それは居た。モンスター。その言葉がシックリくる。茶色くてしっぽが生えていて鋭い牙。まさしく、異世界からの侵入者だった。
あなたは侵入者を追い払うべく、天井の細い柱を伝い、シャンデリアへ移った。
モンスターは四つん這いのまま、視線をあなたへ向けた。ギラギラと光る赤い瞳。そこには殺意がこもっていた。
あなたは生れて初めての恐怖を覚えた。心臓を握られているような感覚。そのせいで脚がすくんでしまう。自然と、震えてしまう。
すくむ……①ちぢんで動かない ②こわばる ③生きていればかならず立ちはだかる出来事。そこで前進できるかが男の見せどころ。
しばらくの静寂。しかしそれは数秒も持たなかった。時が動き出す。すばやく跳躍するモンスター。すんでのところであなたは身をひるがえした。モンスターは後方に着地し、すぐ攻撃に出るではなく、器用にシャンデリアの上を移動して様子をうかがっている。
にらみ合いがつづく。
正直、怖かった。あの牙に噛みつかれたらタダではすまないだろう。そして気づいたが、モンスターの爪もするどく尖っている。切り裂かれ、噛み砕かれる映像が脳裏に浮かぶ。
だが、逃げる訳にはいかない。愛する家を蹂躙させる訳にはいかない。
みんなを守るためにあなたは迎え撃つ覚悟を決めた。
再び跳躍するモンスター。攻撃は爪。あなたはそれを冷静に見据え、振り降ろされる直前、身をかがめた。バランスを崩すモンスターに体当たりをくらわせる。
勇気、決断力、行動力があなたを勝利に導いた。
宙を舞うモンスターはそのまま落下。真下の噴水の水の中へ。しばらく動かなかったがやがてよろよろと立ち上がり、中からモンスターが出てきた。
それを確認し、逃がしてなるものか、とあなたはまた天井の柱を伝い、二階の回廊へ降り立った。急いで一階へ。だがそこに、モンスターの姿はなかった。
落胆したがそれと同時に勝利感にもひたっていた。この家を守った、と。そして家族に幸せを!
勝つために夢中になっていたあなたは重大なことに気づかなかった。
モンスターの残した置き土産に……。
つづく




