第二章 猫叉事件 その4
七
再び憂の部屋へ戻り作戦会議。テーブルには紅茶が用意されていて、かぐわしい香りが漂っていた。椅子は四つしかない。そのため、憂とヒミヨが並んで座り、ワタシと夜菜が座って男性陣は起立。シュウゾウは……栃宗が気に入ったのか、彼の足元で大人しくしている。なんでワタシじゃないのよ! と少しだけやきもちを焼いたけど、松則くんの発言でそれもすぐに飛んだ。
「もしも窓に描かれた、『615』という数字が、六月十五日、という意味なら、その日、何かが起こるかもしれない」
恐ろしい言葉だった。未来に起こる災厄を予言しているのだとしたら、それをどういう気持ちで待たなくてはならないのか。
「明後日だね~」と、緊張感のない夜菜がにこやかに言う。
「考えたんだけど」松則くんが顎に手をあてながら続ける。「今日はもう遅いから帰るとして、明日、みんなでここへ泊まりに来る、というのはどうだろう」
憂の顔がまた熟したトマトのような色になる。彼女が何を妄想しているのかわかったところでヒミヨと夜菜が同時に叫ぶ。
「ええ! めんどくさい」
「年頃の女子の家に男子がふたりも泊まるなんて不謹慎だよ~」
そうか、と気づいた松則くんは口を開けて固まっている。動けないでいる。だからワタシは提案した。
「決めるのは憂さんよ。どうかしら、その作戦で。何かが起こるにしても、大勢のほうが安心だと思うのだけど」
そして憂は、顔を赤らめたまま大きく頷いた。
こうして宿泊が決定した。
大・豪・邸を出るとき、ワタシは優のもとへ行き、あることを小さく耳打ちした。
家に帰ると疲れとにおいを消して推理と乙女を取り戻すためにお風呂へGO! 今日も遅かったのね、とキッチンのほうから母親の声が響いてくるけど、今後のミーティングだったの、で終わらせる。
シャワーを浴びている間に浴槽にお湯をため、半分くらいになったときにちょうど身体を洗い終えてドボン。シュウゾウはプラスチックの桶へドボン。湯船の縁に両腕を置いて、その上に顎をのせてシュウゾウを見下ろしながらワタシは考える。
ポインターが関与していると考えられる六ヶ所、窓、書棚、階段、シャンデリア、サルスベリの木、物置小屋をくわしく調べなくてはならない。軌跡がなくとも痕跡は残っているはずだ。それを見つけることが、謎を解く近道。
憂の身になにが起こっているのか。否、これからなにが起ころうとしているのか。
ポインターによる警告ならば、その合図に気づかなければならない。その断片を六ヶ所に残しているのだろう。それを明日、見つけなければならない。
もうひとつの可能性が、予告。これから、憂に災厄を降らせる、という宣言。これは恐ろしい。もしもそうなら、六ヶ所に注意しなければならない。謎を解き、危機を回避しなければならない。
ワタシはもう一度考える。
窓。書棚。階段。シャンデリア。サルスベリの木。小屋。
関連性もなにもないしちゃんと調べてもいない。だからここで推理は終わり。
すべては、明日、現地での調査しだい。
固いくちばしで毛づくろいをしているシュウゾウにワタシは言う。
「ねえ、あんたが死んだら、ポインターのように化けて出てくる? もしも今の生活に不満があるなら、ワタシ、良くするように頑張るからね」
そこでワタシはハッとする。
もしも優の家での調査中、実際にポインターのお化けが現れたら。ワタシは――。
リビングにはお父さんがいてビールを飲んでいた。ワタシの存在に気づくとテレビから視線を移し、にっこり笑顔で飼育部はどうだ、と訊ねてきた。
「忙しくて大変だけど、みんな気のいい部員たちだから楽しくやってるわ。それにシュウゾウの面倒も見てもらえるから大助かりよ」
銀行員の父は仕事終わりにストレス発散かわからないけれどかならずビール。まあ、『だから』という訳じゃないだろうけれどお腹がぽっこり。四十二歳になる進という名前。髪はさらさら、顔の彫りが深くてかっこいい、だけどぽっこり。ニックネームは進さん。まあどうでもいいんだけど。
「はいはいお待たせ」と茶色いトレイに皿を載せて、母親が小走りでやってきた。「ツノミが来るまで夕飯を待つよ、とお父さんが言ってきかないんだからこんな時間になっちゃった。まったく子供に甘いんだから」
昔の写真を見てこれが同一人物とは信じられない、という母親は三十八歳。名前はハツコ。最後は子じゃなくてコで全部カタカナ。縁起のいい画数だとかなんとか言っていた気がする。身体は四角。優しくて時には怖くてよく笑う良い母親。でも四角。ワタシも将来、お母さんのような体形になってしまうのかしら、と思うと、気が気でならない。食事制限をして現状を維持しなければ、と決意をかためるけれど夕食はチキンから揚げにハンバーグにグラタンにオムライス。センスなし。はい、ダイエットはあきらめましょう。シュウゾウは生魚。
三人と一羽が食卓についたとき、ワタシは誰にともなくこう切り出した。
「クラスメイトの女の子に、猫に呪われているかもしれない、と相談されたの。そんなことって本当にあるのかな」
お父さんとお母さんがお互いに顔を合わせ、それから同時に戻して言った。
「猫の呪か、そんなのは迷信だよ」とお父さん。
「そうとも言い切れないわよ。地方によって違うんだけど、いろんな言い伝えがあるの」とお母さん。チキンから揚げをほおばりながら続ける。「一番多いのが、猫の弱っているところや死体を見たときに、かわいそう、と思ったら呪われる、という例ね。次が猫の死体の眼を見るとダメ、という話で、最後が、猫の死骸から妙な菌が発生して、それに触れると、狂ったような行動を取るようになるという説。いわゆる、キツネ憑きという伝説ね。犬の霊、蛇の霊などが有名だけれど、実はすべて、猫が原因ではないか、と言われているの。まあいずれも確たる証拠はないんだけどね。だから、はい、忘れてちょうだい」
そうですね忘れます、って無理よ! ワタシの頭の中は猫猫猫猫。ぜったい、夢に出てくるわよ! でも、とここでワタシは考える。火のないところに煙は立たないわけで、お母さんが言った都市伝説のような話も、なにかが原因となって、今日に言い伝えられているのかもしれない。とすると、憂に降りかかっている怪事件も、楽観視はできない。
今ごろ部員たちは、各々(おのおの)、推理を働かせているはずだ。
ちょっとした推理合戦。もちろん遊び気分ではなく優のことを真剣に心配している。だけど自分が、今回の事件を解決させてみせる、という負けたくない感情があるのは確か。優を助け、しかも自分の推理で解決する、という贅沢な考えを持っている。ワタシはいやしい女。
「そうだ。明日はおともだちの家に泊まるね。ご飯もいらない。向こうにはもう了承を得ているから安心して。それと、男子の家じゃないからね。そこも心配しないで」
迷惑じゃないのあっちの両親はいやがってないのあらどうしましょうと取り乱すお母さん。おばあちゃんの家以外で初めての外泊だから無理もない。ワタシは携帯電話を胸ポケットから取り出してボタンを押し、相手が出て少し会話をした後、お母さんに手渡した。
七生さんとお母さんが話しているとき、お父さんがハンバーグを口に運びながらぼそりと言った。
「安全なら、いいよ」
八
顎に小さな傷が残ったものの、復活を果たしたあなたは階段事件のことを思い出していた。あのとき、確かに背後から迫る圧迫感があった。それは勘違いではない。気のせいでもない。
家族の誰かが故意にやったコトなのか。いやしかしそれは考えられない。よい家庭の見本。それが、この家にふさわしい言葉なのだから。
そして家族に幸せを!
あのとき、殺気のようなものは感じられなかった。
だが事件は実際に起こったのだ。
あなたは一階から階段を見上げた。あんなところから落ちてよく無事だったものだ、とほっとする。次はない。きっと命を落とすだろう。原因が解明されるまでは、ボール遊びをする場所にも気をくばらなければ、と心に決めた。
視線を戻そうとしたそのとき、あなたの視界の片隅に、ある異物が映った。茶色い影。そいつは四本の脚で、すばやく移動していた。
その場所とは――。
つづく




