第二章 猫叉事件 その3
五
ネコはカタツムリやナメクジのように歩いた軌跡を残すことはないので、憂の言葉を鵜呑みにするしか道はない。ウソをつくような子じゃないから大丈夫だろう。彼女の証言をもとに、推理を働かせよう、とワタシはそう思った。
鵜呑み……①鵜が魚を呑むように、かまずに呑みこむこと ②まるのみ ③人の言うことなどを、よく検討、理解せずにそのまま採り入れること ④ちゃんとした意味を知っている人は意外と少ない
ネコのお化けが現れる場所は、計六ヶ所。
まず初めに、憂は窓を指差し、「この謎の数字を、おそらくポインターが書いた」そのまま指先を微妙に動かし、「あそこに植えられているサルスベリの枝にポインターが座っている姿を見た」
次に書棚の前へ移動。ぞろぞろとついて行く。栃宗が数歩しりぞき、「何所からかポインターの鳴き声が響いた後、手も触れていないのに、数冊の本が飛び出してきて落ちたの」
「この間の地震は関係ないの?」というヒミヨの質問に憂は首を振った。
そのまま外へ出る。ワタシたちも続く。先ほど昇ってきた階段へ。「ポインターが大好きだった野球の玉くらいの黄色いゴムボールが、誰もいないのに、大きくバウンドしながら階段を落ちて行くという怪現象があった」
一階へ下りたとき、五つ目の出現場所を教えてもらう前に邪魔が入った。
「輪お譲様がお帰りになられましたよ」とお手伝いさんの七生が言う。と同時に憂とはまったく似ていない小さな女の子が中に入ってきた。小学生の高学年くらいだ。彼女は一瞬、驚いた様子で立ち止まり、神経質そうな眼でワタシたちを一瞥したあと、また歩き出した。
おかえり輪、と憂があいさつするが、小さくコクンと頷いただけでそそくさと二階へと消えて行った。
「あらあら、あんたたち仲悪いのね」と失礼なことを言ってのけるヒミヨに対し、
「末っ子だから甘えん坊なの。両親の不在にすねているだけよ」
眼を伏せながら返す憂。彼女の気を紛らわせようとワタシが続ける。
「兄弟は何人なの?」
「五つ離れた兄と私と三つ下の妹、輪。兄は役者の勉強のためにずっと家を空けているし親もほとんど家にいないから……私でもこんなに寂しいんだから、妹はもっとだろうね」
家族構成はこれで終わり、ポインター出現場所探索が再開された。
「風もないのに、勝手にシャンデリアが動く」
憂はドアの前で待機していた七生に顔を向け、「すぐに戻るから、紅茶の用意を」と言い残して屋敷の外へ。今度はワタシたちが入ってきた正面のドアからではなく、西側にある階段の下の小さな扉から出た。
ブモッと湿気が襲ってきた。不快指数マックス。見上げると、赤みを帯びた厚い雲が空一面に広がっている。夕日をその身に含んだ幻想的な雲。豪邸から見る空はまた格別だった、と感慨にふけっている間にみんなは先を行く。
松則くんは情報をひとつも逃すまいとあたりをくまなく観察し、夜菜はまるで遊園地にでも来ているかのようにはしゃぎまわり、栃宗は寝起きのように眼の焦点が定まらず、ヒミヨは憂の家の隅々まで吟味して私のほうが豪華ね、とでも思っていそうな顔。
シュウゾウは……まあ、あいかわらずキュート。
二階の窓から見えた小さな小屋へ到着。清掃用具をしまってある物置らしい。近くに例の大きな木。つぼみがたくさんついていて、来月くらいにはギザギザの小さな花を満開にさせるだろう。その横にはなんと、プールがあった。でました、家にプール。トコトコついてきていたシュウゾウを見下ろす。しまった、と焦ったが遅かった。なんてスピード! シュウゾウはダッシュしてプールにボチャン!
「ダメじゃないのシュウゾウ。ごめんなさい、憂さん」
「いいのよ。今はほとんど使ってないから」
本当に大丈夫なようで、憂は気にするふうもなく話を続けた。
「最後の場所は、ここ、この納屋。花を摘もうと思って道具を取りに中へ入ったとき、ガタガタと物音がしたあと、ポインターの鳴き声がしたの――」
そこで言葉を止めた。憂の顔が蒼白になっている。
大丈夫? とワタシが彼女の肩に手を置くと、憂はそっと顔を上げて、
「本当にポインターなのかな? あんなに大切に大事に優しく育てて、楽しく暮らしたのに、なにか気に障ることでもあったのかな? ねえ、教えて。ポインターは何が目的なの? なんでこんなことをするの? 私……謝るから……」
そう言って憂は泣き崩れてしまった。
ワタシは彼女を抱きながら、顔を上げた。部員たちをひとりひとり見回す。どうなぐさめてやればいいのか、意見を求めようとした。
だけど、仲間たちもこのときばかりは神妙にして、黙っていた。
本当にお化け騒動なのかはわからない。だけど、何かが起こっているのは確か。
ワタシはこのとき、かならず事件を解決させてみせる、と心に誓った。
六
広い階段の上であなたはボール遊びをしていた。ボールはぶよぶよしていて、よく跳ねて、少しくさいのだけどそんなことを忘れさせてしまうくらい、楽しかった。時間を忘れて、遊んだ。
夢中になり、世界がボールだけになり、今、遊んでいる場所の危険性を忘れたとき、ドンと大きな音がしたあと、あなたは、落ちた。手すりの隙間から放り出され、真っ逆さまに、落ちた。
ぐるぐると回る世界。
重力がなくなり、胃の収縮が起こり、気づいたら眼の前に地面が迫っていた。恐怖のあまり眼をつぶる、ことはせず、強い生存本能から逆に眼を見開き、それから、思いっきり腕を前に出した。
それでも防ぎきれず、顎を強く打った。激痛が意識を刈る。意識が遠のく。そのとき、階段から落ちる寸前の記憶が走馬灯のごとく蘇ってきた。
背後から迫る何者かの気配が、たしかにあった、と。
つづく




