Ⅲ
部屋の主を起こさないよう、ノックもせずゆっくり扉を開けて部屋を覗き込む。そして、足音をなるべく立てないように、ベッドの上で静かに寝息を立てる小さな少女に近付く。
帰路ですっかり寝てしまった、と聞いたからきっとそのままの格好なのであろう。肩甲骨あたりまでの長さでふたつの三つ編みにされた髪型、白薔薇から支給される戦闘服。手首に巻かれたブレスレットに付いた、鈍い色をした赤い石。この石こそが、宝石と呼ばれる石なのだけど。
本来、宝石は澄んだ赤い色をしている。ーー正常に、宝石竜の魔力を受けていれば。
ふぅ、と息をひとつ吐いてから鈍い赤色をした宝石を手で包み込む。手の中でぼんやりとした熱さを感じてから手を開けば何事もなかったかのように澄んだ色をした石が姿を見せる。
それに安堵して、手のひらに視線を移す。小さく、黒く揺らめく炎。熱さも無ければ、触れている感覚すらない。これが宝石を濁らせている穢れ。放っておけば宝石は黒く染まり、穢れが周りを浸食する。生あるものは、一切受け付けない真っ黒な穢れの沼に変貌していく。
ーーまあ、今すぐどうこう、って話でもないし、白薔薇に居る限り、徐々にでも穢れは薄まるから急いで今すぐってわけでもない。一週間穢れの除去無しに宝石の力を使いまくったところで、宝石自体にさして問題ないのだけど、穢れた魔力を使って、一番消耗するのは持ち主自身だから。
実際、流宇は一番魔力を消耗するタイプの能力だから、戦闘が流宇単独の時は帰ってくるまでに眠りこむことが多々ある。
「…お疲れ様、流宇」
起こさないように軽く頭を撫でたあと、そっと部屋を後にする。穢れの炎は手に乗せたまま、落とさないよう気を付けて、自室に戻る。
ベッドに机、数冊の本が入ってるだけの本棚。生活感が無い自室。…アルの部屋も流宇の部屋も、自分の物で溢れてるけど、そこまで固執する物も特に無いから。余計空っぽに感じるだけなんだけど。
「よ…っと、」
絨毯を捲りあげて、地下へと続く階段への扉を開ける。地下室なんて私の部屋にしか無いし、あることも誰も知らない。
入り口のすぐ脇にあるスイッチを入れれば、頼りない程度の小さな電気がポツポツと階段を照らす。足元に注意しながらゆっくりと下っていけば、その先にはこじんまりとした部屋が広がっている。中央で部屋を照らす電気。薄暗く照らされる中央には血で描かれた魔法陣、両脇に絡まって伸びる薔薇の蔦。
「おかえり、ルイ」
「エネドラ起きてたの。ただいま。」
魔法陣の中央に佇む、30センチ程度の小さな竜。私の姿を確認して、パタリと羽を揺らす。すり寄ってくるエネドラの頭をしゃがんで撫でてやればゴロゴロと猫のような反応をする。
「じゃあ悪いんだけど、これお願いね。」
「うん」
ずっと手のひらに乗せていた穢れの炎をエネドラの背中に乗せる。炎が小さく揺らめいた後、溶けるようにエネドラの体内へと吸い込まれていく。
淡い光が脈打つように、エネドラの銀の鱗を伝い、魔法陣へと広がる。その光の脈に合わせて両脇に伸びる蔦がシュルシュルと伸びていく。穢れの炎は、エネドラだけが浄化出来る。試しに穢れの炎を自分で取り込んだこともあるけど、浄化どころかただ痛い目に合っただけだった。
「いくら満月だったからって、無茶したね?」
「……普通にしてるつもりだったのに、エネドラにはバレバレね」
月は、魔力の源。満月であれば、私だって多少の無茶は出来る。いくら体に負担があろうが、魔力さえ残っていればなんとか動けるし、普通の人と変わらない程度には振る舞える。…振る舞えるだけで、負担は貯まっていくだけなんだけど。
「倒れる前にしっかり寝る!」
「はーい」
母親みたいなことを言うエネドラの隣で寝転んで、その小さな体を抱き寄せる。白薔薇の中で一番魔力が溢れてるのはこの魔法陣の中だから、部屋で寝るよりここで寝る方が回復は早い。
「おやすみ、エネドラ」
「おやすみ、ルイ」
エネドラの頭を数回撫でて、目を閉じる。そのまま、深い眠りに落ちるのにそう時間は掛からなかった。
「……もうあまり時間がないから。早く助けて…」
眠りに落ちたルイに、そう囁くけれど、その言葉がルイに届くわけもなく。起こさないよう、そっと体を擦り寄せて、エネドラも目を閉じた。