5.お前なんか……
フレイズと合流した一行は、再び 奥を目指して進んでいた。
「かなり…… 暗くなってきましたね」
相変わらず、夢魔から変化した『植物』は減る様子は無く、所狭しと 辺りを覆っていた。
空間の 奥の深さは、それだけ『心の闇』が深いことを表している。 サラン王子の 拒絶の仕方は、尋常ではない。
しばらく無口になっていた 王子の従者・ステファンが、静かに口を切った。
「わたしが、悪いのです」
「…… ステファンさん?」
「わたしのせいで…… 殿下を、ここまで追い詰めてしまったのです」
ぽつりぽつりと語り始めた ステファンの声は、彼の手と同様 震えていた。
「わたしは……… 殿下がお生まれになった時から、ずっと殿下のお世話をしてまいりました。 わたしには、家族はおりません。 学も無く、国王陛下に拾われた身です。 それでも、殿下に初めて お会いした時…… まるで 自分にも家族ができたようで……… 涙が出ました。 そして、少しずつご成長されていく殿下のお姿を 間近で拝見できるのが、何よりも幸せでした」
何かを思い出しながら 浮かべた笑みを、ステファンは一瞬にして 散らす。
「殿下は…… その 尊いお生まれのせいで、たくさんの事を諦めてきました。 同世代の子供たちが、親に甘えて 伸び伸びと育つ中…… 殿下は 常に王族として扱われ、子供のような言動は許されませんでした。 次代の王として学ばなければならないことは、山ほど ありましたし………きっと、心から笑ったことなんて、数えるほどしかないでしょう」
「……お察しします」
と、答えた シェリルの後を、リニサールが引き継ぐ。
「なりたい、なりたくない…… そんな感情は別にして、生きる道を決められてしまうんですよね。 取り残されるのは、自分だけで。 状況は違いますけど、虹城≪サハラ≫の人間も 似たようなところがありますよ」
その言葉の中に含まれる『言葉以上の 意味』を知っているのは、虹城≪サハラ≫では 長官・ガスパーだけであろう。 リニサールにしても、人には語れぬ『過去』を背負っている。
「そうです……そうなんです。 殿下の味方など、誰もいないのです。 実の親であられる陛下でさえ、息子は道具と考えておいでです。 殿下の身を、心を、案じて下さる人など、誰一人として………!!」
感極まったステファンは、そこで涙を 一粒こぼした。
「わかっていたのに……わたしだけは、そんな殿下のことを! それなのに、わたしは殿下を突き放してしまったのです! 殿下のため、と思って…… 周りの方たちと同じことを、してしまったのです! 何が殿下のためになるか…… 一番 わかっているつもりだったのに!!」
「なるほど…… 王子が ああなったのは、ソレが原因か」
サラン王子と 実際に対峙していたフレイズは、感情の無い声でつぶやいた。 炎よりも鮮やかな 紅い髪が邪魔をして、彼の顔の表情は 見えない。
「結局……わたしは 何ひとつ、わかってはいなかったのです。 殿下が 真に望むものは何なのか。 だから……わたしは、今回 無理に同行を願い出ました。 殿下にお詫びしたかった。 殿下の望みを お聞きしたかった。 わたしは、とうに自分の命など 未練はありません。 殿下さえ助かれば…… あの方さえ、無事ならば…… わたしは………………」
最後の部分は 囁きに近かったが、その内容は 無視できないものだった。
夢魔に目を付けられる人というのは、誰しも 悲しい事情を抱えている。
救夢士≪ロータス≫というのは、単に 夢魔を倒すだけではない。 相手の悩みを 半分引き受け、彼らを『光の方向』へと導く。 さらに、関わる『周囲の人』を含めて 全てを包み込み、初めて『救った』といえるのだから。
故に、救夢士≪ロータス≫として、もちろん人としても、ステファンの願いを そのまま叶えることはできない。
「我々が受けた任務の中には、あなたの名前も しっかり入っていますよ、ステファンさん」
落ち着いた切り返しができる リニサールが、シェリルは とても羨ましかった。
何かが聞こえたような気がして、シェリルは 耳に神経を集中させた。
夢魔、ではない。 ここまで進んでくると、魔物は 不用意に攻撃してくることはなかった。 警戒しながら、こちらの様子を窺っているらしい。
夢魔でないなら………… サラン王子しか、いない。
「せんせ………!」
隣にいるフレイズに話しかけようとして、彼の手によって 言葉は封じられた。
無言のまま、リニサールが目配せした方向に視線を向けると…… 巨大な葉の下にうずくまる、小さな小さな 少年の影。
(あれが…… サラン王子!? だって、確か 王子は十八歳…… あれはどう見ても、十歳前の 小さな子供じゃない!!)
到底 信じられない展開だが、『澄みきった空の色』だと聞いていた 独特な『青い髪』…… は、確かに王子なのだと告げている。
「……なるほど、君が手を出せないわけだ。 小さな者に 弱いからね」
「うるせぇ、反則技なんだよ、アレは!」
青年 二人の後ろに控えていたステファンは、少し遅れて その姿を発見し……号泣しだした。
「殿下……殿下――――――――!!」
突然の大声に 救夢士≪ロータス≫たちが 一瞬だけ怯む。 その隙に、目にもとまらぬ早業で、ステファンは サラン王子の元へと駆けて行った。
「……だめです、ステファンさん!」
制止の声など、もはや 聞こえてはいなかった。
「援護にまわるよ、シェリルさん!」
「外見は小せぇが、油断するな!」
満身創痍のフレイズを見た後では、突進したステファンが 無事でいられるとは思えない。
「……ぐわぁっ……!!」
案の定、すさまじい勢いで跳ね返されて 戻ってきた彼は、シェリルの 魔法≪ザク≫に包まれ、事なきを得た。
うつむいていた幼子が、ゆっくりと顔を上げる。 青い髪の隙間から、暗く染まった 碧玉の瞳が見えた。
「……何を、しに来た」
外見と共に変化したらしい、『子供の声』である。
「よくも…… よくも、その姿を わたしの前に現せたものだな、ステファン!」
サラン王子の叫びに反応して、新たな夢魔が出現していく。
「どういうつもりで、ここに来た!? わたしは頼んでもいないし、望んでもいない!!」
「…… どこかで聞いたようなセリフだね、フレイズ」
リニサールの突っ込みに、思わずシェリルも 赤髪の男を見てしまったが………… ステファンは真剣だった。
「承知しています! ですから、わたしは参りました! あなたの望みを知るために!」
「お前に……お前なんかに…… わたしの気持が わかるか!!」
サラン王子が言い終えるか否や、突風が吹き荒れる。 ≪拒絶≫ を現す現象にも、ステファンは引き下がらなかった。
「わからないから………… わからないから、来たのです!!」
シェリルの張った『結界』を身にまとい、救夢士≪ロータス≫たちは、注意深く 夢魔を攻撃した。
辿り着いた 心の世界の最深部は、通過してきた 今までのどの空間よりも、濃密な空気に覆われ、 視界も悪い。 下手をすれば、サラン王子まで 傷つけかねない。
「くそっ……… キリがねぇ!!」
シェリルたちが来るまで、こんな状況で フレイズは一人で戦っていたのだろうか。
何故、組織に 救援を頼まなかったのか。 ……… その理由を、シェリルは 知らない。
「文句は言わない! きりきり 動く!」
気力と 体力の、消耗戦。
場数を踏んでいる男二人は 余裕が見えたが、シェリルも 必死に食らいついていた。 自分一人が、ここで 足を引っ張るわけにはいかない。
それでも、徐々に 苦しくなってゆく呼吸に焦りながら、何か 策はないか……と 考えを巡らせていた時。 シェリルの耳に、信じられない言葉が 飛び込んできた。
「お前なんか…………」
そこに宿る響きは、かつて 自分が経験したモノ。 真っ黒い何かで塗りつぶされ、何も見えない…… とてつもなく 重いモノ。
「……!! だめだ、やめろっ!! それ以上、聞くな!!」
いち早く察した フレイズが、何かを叫んだ気がしたが………… シェリルには届かなかった。
人の心を 真っ直ぐ貫くのは、 いつだって、とても単純な『悪意の原型』の方だろう。
「お前なんかっ …………………… いらないっ!!」
サラン王子の一言に、シェリルは 目の前が真っ白になるのを 自覚した。
誰かに対して 『そんなこと』を言ってはいけません。
甘えるな、サラン王子。
シェリル 頑張れ。