4.可愛い教え子
どのくらい、時間がたったのだろう。
『精神体』でいる間は、汗をかいたり 流血することはないが、痛みや疲労の感じ方は 現実の世界と同じである。 いっこうに減る様子も無い、夢魔の固まりに 辟易しながら、シェリルは『外』に向かって問いかけた。
「マクリーさん、聞こえますか?」
『おう、どうした嬢ちゃん。 大丈夫か? 』
出会った時からずっと、シェリルのことを「嬢ちゃん」と呼び続けているマクリーは、まだ そんな歳ではなかったはずだが…… 言動が、いつも何故かオヤジっぽい。
「何を基準にして、大丈夫と答えるべきなのか……疑問ですけど。 とりあえず、全員無事です」
「そうか、それは何よりだ」
「ねぇ、時間はどうなってるの?」
大量の夢魔を片っ端から斬ってきたリニサールは、シェリル以上に 肉体的な疲れが多く見えた。 時々、肩をほぐしながら…… また新たな敵に向かって 退魔剣≪フェーテ≫を振り下ろす。
シェリルたちがコペルチカに着いたのは、夜明け前。 サラン王子の夢の中に入ったのは、その後すぐである。 今日中に救出できなければ、サラン王子と フレイズの命が危ない。
『こっちは、ちょうど昼頃だ。 期限は……あと半日ってとこだな』
「半日…… ですか……」
≪時間≫と≪方向≫の感覚が 効かなくなる空間の中にあって、それでも かすかに人らしき気配が ぼんやりとある。 リニサールの言うとおり、サラン王子は 最奥にいるのだろう。 けれど、その気配が一つなのか、二つなのか。 フレイズの足取りは、未だ掴めていない。
容赦なく斬りまくる、リニサール。 炎・氷・竜巻を使って 広範囲を片付ける、シェリル。
人間離れした 『圧倒的な戦闘力』を目の当たりにして、それでも何とか 二人に付いてきた 王子の従者・ステファンは、素人にしては頑張っている方だ。 そのうえ、「フレイズ様の捜索は よろしいのでしょうか?」などと、他人の心配までするしまつ。
ガスパー長官から『フレイズ探索』の特命を受けている シェリルとしても、一旦 リニサールと別れて別行動を取った方がいいのでは……と考えもしたが、限りなく湧いて出てくる夢魔を思えば、単独行動は得策ではない。
それに……シェリルには、確信めいたものが一つあった。
「そろそろ、フレイズ先生が出てくるような気がするんです」
気配があるわけではない。
景色も相変わらず、同じ。 ただの願望かもしれない、根拠の無い『第六感』。
けれど、他人とは異なる『見えない 何か』が、自分とフレイズにも繋がっているような気がするから。 小さく漏らした悪口さえ聞き逃さない、『地獄耳』という厄介な特技を、今こそ 発揮して欲しいから。 どんなに腹が立つ『鬼 教官』でも、やっぱり…… いなくならないで欲しいから。
空振りを承知で、シェリルは 賭けに出た。 今のうちに出てこないと、もう しらない。
「…… いつだって、フレイズ先生が悪いんですよ」
シェリルの口から 小さく滑り出たのは、 何千回と繰り返した、たわいもない 『いつもの反撃』だった。
直後、すぐ近くで 一つの気配が 強烈に輝きだす。
あまりにも正直な 親友の反応に、リニサールは満足げな顔をした。
「フレイズ…… やっぱり君は、そうでなくっちゃね」
伸びてくる蔓を切り落とし、さらに数歩踏み込んだ先に、フレイズの赤い髪が見えた。
「先生……!!」
植物に全身を拘束され、手足に力は入っていない。 本当に、シェリルの発した一言で 意識が戻ったらしいが…… 教え子の悪口で覚醒するあたり、彼の性格がうかがえる。
「これはまた……君らしくないくらい、随分と派手にやられたね」
精神体の傷が限度を超えると、肉体は死に至る……血が流れなくても、今のフレイズは 瀕死に近い。
「しっかりして下さい! すぐに治療しますから!」
背後から容赦なく襲いかかる夢魔の大軍を、シェリルは振り返らずに 魔法≪ザク≫で一蹴し、フレイズの治療にとりかかる。
「……うっ…… ……」
魔法の中でも、シェリルが一番得意なのは『治癒魔法』である。
魔法は、自分にとって 忌み嫌うべきもの。 使いこなそうと修行を始めたのは、治癒魔法を使えるようになりたかったからだ。 一番自分を苦しめ、今では 一番役に立つ チカラ。
「……先生?」
瞬く間に、フレイズの傷は消えていく。
寝かせた顔を覗き込んで、シェリルは心配そうに尋ねた…………… が。
返された言葉は、予想以上に可愛げのないものだった。
「何で………… 何で、来やがった!?」
相手を射殺しそうな眼差しは、こんな状態でも健在だった。
傷は治癒できるが、体力の回復は 魔法ではできない。
横になって体力の回復を図っていた親友を、リニサールは呆れ顔で眺めていた。
「心配してもらったら、普通、ありがとう……とか、言えないの?」
少しの間、シェリルは一人で周囲の探索に向かっていた。 今、少女は、ここには いない。
「……誰が、心配してくれと頼んだ? 俺は一人でやり遂げるつもりだった。 なのに……」
「そんな青い顔して、よく言うね」
「だいたい……よりにもよって、何でアイツが……っ!」
「そんなの、君がしくじるから、でしょう?」
何を今更、そう言わんばかりのリニサールの言葉に、フレイズは噛みついた。
「しくじったって、救援など呼べるか! こんな状況じゃ、あのバカ長官は、絶対にシェリルを送り込むのが目に見えてたし!」
「……なるほど、それで救援を呼ばなかったんだね」
誤解の多い男だが、教え子のことは とても大事にしているのだ。 若干、『乱暴な態度』が目立ってはいるが、本人には あまり自覚が無いらしい。
「お前もお前だ! どうせ、予想くらいしていたんだろ!? 何で、他のヤツと来なかった!? アイツには……あんな王子の姿なんか、見せたくないのにっ……!」
素直とは遠いところに生きている男は、友人の前では本音をこぼしたが、その意見に同意するほど リニサールは甘くない。
「もちろん、ある程度の予想はしていたよ。 君が陥った状況、 それによって起きるだろう展開、 派遣されるであろう シェリルさんのこともね」
「だったら、何でだ!?」
危険なもの、傷つく可能性のあるもの、すべて遠ざけてあげたい……そう主張する 過保護なフレイズのことは、長い付き合いだ、嫌というほど知っている。
「でもね…… シェリルさんは、もう子供じゃないよ」
「俺たちほど、大人でもねぇだろ!?」
「守ることだけが、彼女のためになるなんて、そう思うのは間違いだよ」
ばっさりと切り捨てたリニサールの言葉に、フレイズが反論しようとして…… 失敗した。 シェリルが戻ってきたのだ。
「ほら、可愛い教え子の お帰りだ。 そろそろ立てるかい?」
「うるせえ。 俺に触るな!」
「うん、もうすっかり元気だね」
強引に肩を貸したリニサールに、フレイズは小声で問う。
「≪あの事件≫を 思い出させるとわかっていて……それでも、お前は守ることが間違っているというのか? ……他ならぬ、お前が?」
刃を突きつけるような迫力だったが、リニサールは笑顔で受け止めた。
フレイズが、『守ることに 全力を懸けている』なら。
「僕は、≪支えること≫に 力を注ぐよ。 それこそ、全力でね。 そのために、僕は一緒に来たんだから」
守ろうとする者。
支えようとする者。
筆者は どちらも間違ってはいないと思います。
次回、 ようやく サラン王子が出る予定……。