3.サラン王子の 夢の中
シェリルたちに同行を申し出た男は、ステファンと名乗った。
サラン王子の幼少からの世話役であり、見るからに従順で控えめな中年だった。
「マクリーからお聞きだと思いますが、覚悟はよろしいですね?」
ステファンが意思を変えないことを承知で、リニサールは尋ねる。
「はい、もちろんです。皆様のお荷物であることは、承知しておりますが………少しでも早く、殿下のご無事な姿を、と」
「ご立派ですね。これから向かう所は、 心の強さ、 思いの強さが、何よりも重要です。 あなたの決意を聞いて、僕は安心しました」
つい先ほど、報酬のつり上げを口にしていたとは 誰も想像できない、爽やかな笑顔のリニサールに、ステファンは少しだけ表情を和らげた。
ここから先は、後輩の救夢士≪ロータス≫、シェリルの仕事である。
「それでは、寝台に横になって下さいね。 マクリーが催眠術をかけますので、すぐに眠くなりますよ」
用意されていた寝台へステファンを促し、魔法≪ザク≫を使用して、部屋ごと包み込む『結界』を施す。
「我々は、サラン王子が捕らわれている、夢の世界へと勝手に侵入します。 催眠状態に入ったら、体から精神を引っ張り出し、夢の中へ送り込むんです。 精神体を引き出すので、少し苦しく感じるかもしれませんが……マクリーは優秀な 送転術≪ヘリエ≫の使い手です。 彼を信用して、力を抜いて下さいね」
シェリルたちが到着する前に、すでにマクリーから大方の説明はされているが…… 改めて聞かされると不気味に感じるのは、正常な証拠である。 かすかに揺れたステファンの瞳は、素人なら当然だった。
「要するに、送転術≪ヘリエ≫とは、夢魔と同じことをするわけですよ。 奴らは、夢という名の≪異空間≫に、王子の≪心≫を捕えています。 同じ世界に入らなければ、救出は不可能です」
夢魔と同じことができる『人間』…… 自分を含めた 救夢士≪ロータス≫こそ、本来なら 忌み嫌われる存在なのだろうが…… 夢魔とは、決定的に違うことがある。
それは、救夢士≪ロータス≫としての、根っこたる部分。 異能を持って生まれた者の、心のよりどころ。
「王子を助けられるのは、私たちだけです」
怖いことは、何もない……言外に そう告げたシェリルは、もはや立派な 虹城≪サハラ≫の一員だった。
「夢の中に入り、サラン王子と……先に向かった 救夢士≪ロータス≫を、連れ戻しましょう」
最後の言葉を聞いて、ステファンは初めて、尊敬の眼差しを シェリルへと向けた。
救夢士≪ロータス≫が 任地に着いて、一番初めにすること……それは、依頼者を安心させ、納得させることである。 これが訓練生なら、高評価が与えられる 模範的な言動だった。
「送転に入ります。皆さん、目を閉じて………力を抜いて…… 心を無にして……」
救夢士≪ロータス≫であっても、実際の救済活動(いわゆる戦闘)には参加しない、影の協力者・送転術者≪ヘリオン≫である マクリーの声が、次第に遠ざかっていく。
「殿下…… 今、参ります…………」
ステファンのつぶやきは、思いのほか響き、部屋に一人残されたマクリーの耳を 静かに打った。
目を開けると、生い茂った植物………熱帯雨林地帯のような光景に、シェリルは硬直した。
「…… …… ……」
『どうした!? 中はどうなってる!?』
外から心配そうに尋ねてくるのは、留守番役のマクリーだ。
普段なら、夢の中に侵入しても、外からの声は はっきりと聞こえてくるが、今は 届く声も小さい。
やれやれと、肩をすくめたのはリニサール。
「ねぇ、マクリー。 フレイズは、君に何も伝えなかったの?」
『な…… 何も聞いていないぜ!? シェリル嬢ちゃんが絶句するほど……そんなに 中はひどいのか!?』
「ひどいっていうか……ねぇ?」
リニサールの意味ありげな目配せに、シェリルは ヤケくそ気味に返事を返す。
「……フレイズ先生なら、何が起こっても 何も言いませんよ…… あ~そうですよ。 そういう人でしたよ……」
辺り一面の砂漠……の方が、まだマシだった。 よりにもよって、植物だらけ、なんて。
救夢士≪ロータス≫たちの ただならぬ雰囲気に臆して、ステファンは遠慮がちに口を開いた。
「あ……あのう……状況が、よくないのでしょうか?」
「あぁ、すみません。かなり珍しいパターンだったもので。 僕らも驚いてしまいました」
言葉ほど驚いた様子を見せないリニサールは、事実を淡々と告げるという 上級スキルを身につけていた。 新米シェリルには、まだ遠い。
「珍しいとは……どういう?」
「はっきりと言いますね。 敵は 夢魔だけだと思っていたことが、間違いだったということです」
「ほ……他にも、殿下には敵が存在すると!?」
「そうですね……この際、夢魔など雑魚もいいとこでしょう。 ≪もう一つの方≫が厄介で、強敵です」
「なにせ、サラン王子自身……ですからね」
「な……何を、おっしゃっているのか……」
夢魔というものは、現実の世界では霧のような存在なので、斬ることはできない。
しかし、夢の中に入ると『植物』に姿を変えて、 実態を持つ。 だから、退魔剣≪フェーテ≫で斬ったり、魔法≪ザク≫で退治することが可能になる。
「いいですか? 標的にされた人間だって、抵抗の意思があるでしょう? 植物が こんなにも元気に育つことは、普通はないんですよ」
夢の中に『精神』を捕えられると、世界は その人間の『内面』を映し出すので、人によって景色が異なる。
もともと、心の弱さが 夢魔を引き寄せるのだが…… 悩みを抱えていると、濃い霧を発生させるとか、 孤独を感じていたりすると、一面の砂漠地帯など、救夢士≪ロータス≫の救助も拒絶するような 世界へと変化するのだ。 当然、救助は難航する。
そのかわり、夢魔に対して 心を許すわけでもない。 霧に包まれたり、砂漠の地面では、植物は育ちにくい。 心の片隅で、しっかり自己防衛を果たしているのである。
それなのに、サラン王子の夢の中…… 『内面の世界』は、見渡す限り、植物の楽園だった。 抵抗の意思どころか、王子自らが栄養を与えて、植物の成長を『望んでいる』としか思えない。
つまり 王子は、『すべて』を諦めた…… そう考えるのが、妥当だろう。
「そんな……まさか……殿下が……死を……?」
「それほどまでに、彼の心は追い詰められていたのでしょう。 だから、夢魔に目をつけられた。 心当たり云々を 聴いておきたいところですが、時間がありません。 もはや、一刻の猶予もありません。このままでは、僕たち全員が、サラン王子と心中することになりますからね」
個々の能力は低くても、これだけ増殖した夢魔を相手では、時間を取られるのは一目瞭然。
精神体となり、肉体から抜け出ているのには、限度がある。 サラン王子とフレイズは、シェリルたちよりも二日早い。 どんなに多く見積もっても、三日が限界だろう。 今日中に 肉体に戻らなければ、精神体に傷がつかなくても…… 多分、助からない。
外の世界から持ち込み可能な、変幻自在な 退魔剣≪フェーテ≫を引き抜き、リニサールは叫んだ。
「きっと、サラン王子は 最奥にいる。 途中までは 何も考えずに、いっきに攻めるよ!」
「了解しました!」
自分たちの身を守る結界を張りながら、シェリルは さっそく火の上級魔法・火鳥≪ファルシオ≫を放っていた。
次回、名前だけ出てきていた 『フレイズ』が、ようやく登場します。