第八話 王座に座すは獄炎の魔術師
細い指先が器用に髪の毛を編み込んでいくのを鏡越しに眺めていると、侍女が口を開いた。とはいっても指先は動き続けている。
装飾品を飾り付ける眼差しは真剣そのものだ。綺麗に編み込まれていく髪に飾られる真珠の髪飾りがとても綺麗だった。
「そういえば何故リディア様はアルヴィド様の花嫁候補になられたのですか?興味の欠片も無いように思えたのですが」
「ま、まあ――その、色々と事情がありまして……」
「ふふふ、リディア様は隠し事が多いのですね。ですが、素敵な女性には隠し事が多いものです。私もあまり詮索するのは止しましょう」
「ありがとうございます」
正直に話せる内容でもないので里愛は苦笑しながら誤魔化す。
軽はずみな事を口にして異世界からやって来たとばれたら大変な事になるに違いない。
現にシリウスは目の前の侍女に事情を話している様子はなかった。だとしたら、喋らない方がいいのかもしれない。
既に常識知らずという事実は目の前の侍女も分かっていることだろうし。そんな事を考えていると、ふいに侍女の瞳が細められた。
「ですがリディア様のような可愛らしい令嬢に仕える事が出来て私は幸せ者ですわね。他の花嫁候補などとは比べ物にならないほどリディア様はお優しいですもの」
「そんな事ないですよ?」
「いいえ。他の令嬢はもっと態度がでかく、身の程をわきまえぬ愚者ばかりでして……その点、リディア様は控えめで、謙遜で……本当に可愛らしいです」
やっぱりアルヴィド様にはもったいないですわ。等と口にしながら最後に大きめの髪飾りを頭に付け完成した。
紫がかった銀色の髪の毛が真珠の飾りと複雑に編み込まれ、日の光の下一緒に輝いて見える。
まるで自分の姿とはとても思えぬ外見に思わず鏡の中を凝視する里愛。侍女は一仕事終えたためか満足そうな笑みを口元に浮かべていた。
「お綺麗ですわ、リディア様」
「ありがとうございます」
褒め慣れていない里愛は恥ずかしさに思わず頬を朱色に染めたが、侍女は微笑んだまま椅子を引き里愛の手を取った。
やはりドレスの重さで足元がグラつくが、何とか踏ん張る。
再度頭を下げて礼を言えばふいに視線を合わせるように膝を絨毯に付けながら侍女が神妙な面持ちで告げた。
「礼を言うのは確かに大切ですが、侍女相手に簡単に頭など下げてはなりませんわ。ここは魑魅魍魎よりも性質の悪い令嬢達が跋扈する離宮です。敵に付けこまれる様な事はなりません」
「魑魅魍魎より性質悪いって……」
「私は本当の事を申しただけです。それだけ厄介な面子が揃っているのだと熟知していてください」
では、行きましょう。そう呟きながら里愛の先頭を歩き出す侍女。後ろで纏められた蜂蜜色の髪の毛が日の光に透け、とても綺麗に見える。
巨大な扉を開くと、侍女は部屋の外で待っていたシリウスに視線を向けると、里愛を引き渡した。
一緒に行かないのだろうかと不思議そうに見つめれば侍女は完璧な笑みを浮かべながら頭を垂れた。
「私はお茶の準備をしながら待っていますわ。シリウス、リディア様を頼みます」
不思議と威厳を感じさせる言葉にシリウスは顎を引くと、里愛の手を取り歩き出す。
侍女に手厚く見送られ、歩き出したがいいが無駄に広い廊下だというのに誰もいないのは何故だろうか。
ある意味不思議だ。などと思いながら歩いていると、歩幅を調節してゆっくり歩いてくれているシリウスが楽しそうに声を漏らした。
「それにしても随分とココに気に入られたみたいだね、リディア。彼女があんなに誰かを気に入っている所を見るのは初めてだよ」
「ココって……あの侍女のこと?」
「そう。まだ名乗ってなかった彼女?ココ・ブラウンっていうんだ」
へぇ……そりゃ、とても覚えやすい名前なことで。ココという名前も、ブラウンという言葉も普通に存在しましたからね。
初めて聞くような難しい名前じゃないから彼女の名前だけは直ぐに覚えられそうだ。
まあ、隣を歩く男の名前を覚えたのは単純に星の名前でシリウスがあったからそれで覚えられただけであって、他の横文字表記の名前は覚えられそうにない。
ええっと、何だったっけ。これから会う魔術師の名前。えーと……。
「アルヴィドだよ。アルヴィド・R・オリフィエル」
「……何で考えていること分かったの?」
「んー。リディアって分かりやすいじゃん」
嘘だ。絶対嘘だ。よく知り合いからは何考えているのかさっぱり分からないという事で有名だったのにこの男、簡単に人の思考読み取ったよ。
分かりやすいとか、それ以前の問題なような気がする。まるで自分の考えている事をそのまま読み取っているような感じだ。
疑うような眼差しを向けるものの、余裕の笑みで流されてしまい膨れる里愛。
納得できないものを感じながら触り心地の良い絨毯を踏みつけた。それにしても無駄に豪華な廊下なのだが、相変わらず誰とも擦れ違わない。
ここまで誰とも会わないと逆に人がいないのではないかと心配になる程だ。
そんな里愛の疑問に答えるようにシリウスは口を開いた。
「勿論護衛兵はいるよ。侵入者が来たら困るだろう?まあ、ここは花嫁候補が過ごす離宮だから宮殿よりは少ないにしろ普通に居るよ。但し、ご令嬢の目に触れるとうるさいから隠れているだけさ」
なるほど。つまり、美形が多いわけですね。護衛兵を見てご令嬢達が騒ぐ理由などそれしか思いつかない。
寧ろ花嫁候補としてこの離宮にやってきているのに兵士相手に黄色い悲鳴を上げる人がいらっしゃるとは……いやはや、世界の違いかなぁ。
まあ、確かに美形の護衛兵に護って貰ったりしたりしたら舞い上がっちゃいそうだけど、そこは花嫁候補としての自覚が足りなさ過ぎるような気もするな。
ふむふむと一人頷いていると、漸く目的地に辿り着いたのか厳かな扉の前で武器を構える護衛兵を発見した。
おお、この離宮に来てから初めて発見した護衛兵だよ。無駄に装飾を施された鎧は酷く重たそうで、実践には不向きそうだ。
見栄え重視といった感がひしひしと伝わってくる。
嫌だなぁ、こんな場所に来るなんて。場違いだといわれているような気がしてならない。
思わず尻込みする里愛に気づいたのか、シリウスが背中に手を回し、後押しをする。
こ、こら!何気に腕の力を入れて前に押し出そうとするんじゃない!
緊張ゆえに固まってしまった里愛は心の中で罵倒しながらジリジリと近づいて来る扉を見つめる。
重厚な作りをした扉は大きく、優に三メートルはあるのではないだろうか。
何処からどう見ても重たそうな扉だ。左右に控える兵士達が押し開けるにしては人手不足な気がしなくもない。
思わずシリウスの袖を引っ張りながら里愛は聞いた。
「ちょっと、この扉……まさか、あの二人で開けたりするの?無理じゃない?」
「まさか。大人十人集まってもこの扉を押し開けることは出来ないだろうね。里愛、この扉はね力で押し開けるんじゃなくて、魔術で開けるんだ」
そういいながらシリウスは懐から短杖を取り出すと前に突き出す。
言葉を発していないというのに不思議な事に尖端から温かな光が溢れ出し、扉を包み込んだ。
まるで魔力を感知したかのように重厚な扉が勝手に動き出す。
自動扉のような光景に驚いたように瞳を見開くと、傍に立っていたシリウスが歩き出したのでつられたように一歩踏み出した。
謁見の間はどの部屋よりも豪華で目がちかちかするほど眩しい。贅をふんだんに使われた部屋の奥に座っていたのは一人の男だった。
獄炎を彷彿させる紅蓮の髪に飾られた銀色の装飾具が首を傾げた事により繊細な音を奏でる。
凍土の様な冷たさを孕んだ鋭い瞳が里愛を貫くと同時に体が硬直した。
こ、こ、この男は……っ!
忘れるはずも無い。先日、王座に座っている男に殺されかけたのだから。
薄く開いた唇からは悲鳴が漏れるかと思ったが、それ以上にショックだったのか擦れた吐息が漏れただけだった。
魔術師を目の前に動けなくなった里愛を他所に男は柳眉をひそめると、隣に立っているシリウスへと視線をずらす。
視線が逸らされたことにより硬直が解け、思わず崩れ落ちそうになる体を必死で支える。
外見が変わっているおかげか相手の魔術師は里愛に気づくことなく、低い声を発した。
「どういうつもりだ、愚図魔導師。よもやその小娘が七人目の花嫁候補というのではないだろうな」
「相変わらず目上に対する礼儀がなってないねぇ。そんなんだから四百歳になっても花嫁の一人も見つけられないんだよ」
「黙れ。そんなもの必要ないといっているのに勝手に母上が用意しただけだ」
鬱陶しそうにそう呟くと、魔術師は頬杖を付きながら興味なさそうにシリウスを見下ろす。もはや里愛など視界にすら映さない。
それだけで凄く安堵できた。良かった。興味を持たなかったようだ。
しかし、シリウスはそんな魔術師の態度が気に食わなかったのか、不機嫌そうに瞳を細めると口元を歪めた。
「まあ、今まで選ぶ時間はたくさんあったのに決めなかった君が悪いんだからしょうがないよね。さて、いい加減周りも待ちくたびれていることだろうし、宣言だけでも済ませちゃおうか」
そう呟くと、先程までのふざけていた雰囲気を一変させ、真顔になるとシリウスはよく通る声で短杖を片手に宣言した。
「我が名シリウス・E・ルキフェルの名において虚飾大陸の代表は彼女リディア・ルキフェルとする」
「ルキフェルだと……?」
シリウスの宣言を黙って聞いていた魔術師だったが、家名を聞いた途端眉をつり上げた。
里愛自身、聞いた事もない家名に困惑するが、シリウスはしれっとした様子で何てことないように驚きの発言をした。
「彼女は僕の遠い親戚でね。列記としたルキフェル家の血筋を引く者だよ」
どんな嘘だよ。一言一句全部嘘で構成されていますけどっ!むしろそんな大胆に嘘をついてばれないのだろうか?
そこのところが凄く気になるところだが、王座に座った魔術師は眉間に深く皺を刻んだまま黙り込んでしまった。
鋭い眼差しが真意を探るようにシリウスを見据える。自分だったら間違いなく音を上げてしまいそうな視線だったがシリウスはさして堪えた様子もなくにっこりと微笑んだ。
「本当はルキフェルの名は使いたくなかったんだけど、どこかの誰かさんがそうしないと納得しないだろうからそうしたんだ。異論はあるかい?」
「……好きにしろ」
「はいはーい。じゃあこれで謁見は終わりだね。さあ、戻ろうかリディア」
いっそ清清しいほどの笑顔でそう呟くとシリウスは踵を返し、上手く動けずにいる里愛をエスコートしながら歩き出す。
結局里愛自身挨拶一つすることなく、魔術師との再会は呆気なく終わったのであった。