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第六話  リディアって誰ですか?



 ――夢を、見ていたような気がする。悪夢のような、長い夢を。


 出来れば思い出したくないような記憶が心の蓋を抉じ開け、どろりと這い上がって来る。

 嫌だ。見たくない。見せないで。忘れていたのに。折角、全て忘れていたのに……。どうして今更思い出させようとするのだろうか。

 必死に瞼を閉じ、己の身を守るように縮こまる。それしか出来ない哀れな娘。

 そんな自分を見下ろしながら、得体の知れない物体が口を開く。黒く、形の判別出来ぬそれはまるで化け物のようだ。

 空洞の様に開いた口が蠢く。声とは程遠い掠れた音が聞こえた。

 耳を澄ましていても聞こえるかどうかの音だというのに里愛の耳にははっきりとそれが言葉として捉えてしまった。



『ド シテ、  イキテ  ノ …?』

「っ!」



 言葉の刃が鋭く突き刺さる。何度も、何度も、突き刺さる度に心から溢れ出すのは黒い鮮血。

 嫌だ、これ以上見せないで。この先は、この先だけは見たくない!

 必死で瞼を閉じ、視界を遮っているというのに脳裏は鮮明にあの時の光景を覚えているのか再生し始める。

 駄目、駄目、だめっ!嫌だぁ!



「アィデリ!」

「!」



 混乱する世界の中、突然何かを呼ぶ声が聞こえ、里愛は跳ね起きた。

 額には大量の脂汗が浮かび、呼吸が乱れている。空気を吸いすぎて過呼吸に陥りそうになった里愛はひゅ、ひゅ、と声にならぬ音を漏らす。

 息苦しさに顔をしかめた時だった。誰かが胸元にそっと手をあてがうと、何か囁くのが聞こえた。

 呪文の様にも聞こえるそれは不思議な声音だった。しかし、そのおかげで呼吸がとても楽になり、安堵したように息を吐き出す。

 崩れ落ちるようにベッドに倒れる里愛を支える様に細い腕が回された。

 そこで初めて里愛は傍に誰かいることに気づいた。瞳を瞬きながら視線を上げる。

 しかし視界に映ったのは見たこともない女性だった。

 力が抜けているとはいえ、身体を支えているのがシリウスだったら殴る蹴るの暴行に発展する所だったと密かに安堵する。

 静かに息を零すと、メイド服を着た女性が懐から手巾を取り出すと額に浮かんだ汗を拭いてくれた。

 細やかな気遣いも出来る女性に感動しながらお礼を告げようとして言葉をつぐんだ。


 そういえば言葉って……通じるんだっけ?


 あの男とは普通に会話出来ていたが、あれは相手が普通に日本語を喋れていたから通じていたのではないかと思ったのだ。

 麗人は自分が言霊を操る魔女だから通じるのだと言っていたし、目の前の女性と言葉が通じる可能性は少ない。

 どうしたものかと考えあぐねていると、橙色の瞳が細められるのが見えた。



「タッカーヨ ニメーザッメオ ノターレラナ ネスェデ マサアィデリ」

「……」



 ごめんなさい。本気で何を仰っているのかさっぱり分かりません。この感覚、あの時以来だ。

 殺され掛けた時と同じ感覚。あの時も何を言っているのか全く分からなかったし、今もそれと同じようである。

 やはり麗人とあの男が別格だっただけで凄く困ったことになった。

 そもそも、ここは何処なのだろうか。目の前にいる女性は誰だ?あの麗人と男は何処に行ったのだろう。

 突然見知らぬ場所にぽんっと放り出されたような感覚に酷く不安を覚える。落ち着かなくて視界をキョロキョロさせてしまう。

 挙動不審な行動に思わず困惑した女性が控えめな声で何か窺うのが分かった。



「ノッタレァサナード カスェデ マサアィデリ?」



 本当に困った!表情からも自分を凄く心配してくれているのが分かるのだが、何と返していいのか分からない。

 日本語なんかで返事したって相手には全く伝わらないだろう。むしろ混乱する可能性の方が高い。

 だが、自分の傍にいるということがあの男から何か聞いているのではないだろうか?

 そんな希望的観測など必要ないと思いながらもそんな考えに縋ってしまいそうになる。

 と、兎に角だ。ここは覚悟を決めて言葉が通じないということを言うしかあるまい。

 躊躇いながらも里愛は口を開こうとした瞬間、侍女の後方にある姿見鏡に映った姿に硬直した。

 阿呆面をさらすこと数分。怒りのあまり肩を震わす里愛に侍女は困惑したように見つめてくるのが分かったが、そんな事に気を回している余裕すらなかった。

 ふつふつと湧き上がる怒りは押し止める事が出来ず、ついに爆発してしまった。



「シリウスゥゥゥゥっ!」



 里愛の叫び声に部屋の外で何かが倒れる音が聞こえた。

 ついで物を破壊したり、ぶつかったりする物音が聞こえながらこちらに近づいてくるのが分かる。

 部屋のすぐ近くまで走ってくる足音が聞こえてくるのを確認した里愛はベッドから起き上がると、扉に向かって歩き出す。

 ちゃんと入ってくる人物を確かめてから殴りかからなければ。

 そんな事を思いながら扉が開いた瞬間、見覚えのある美形に向かって渾身のパンチを繰り出した。



「大丈夫かい!?里っぶげェ!」



 自分の身体の何処にそんな力があったのだろうか?と言いたくなるような凄まじいパンチが繰り出される。

 まるでボールでも投げ飛ばしたかのように男の体が勢いよく後方に吹き飛んでいった。

 これぞ火事場の馬鹿力という奴か。普段の自分だったら絶対こんな威力を出すことは出来ないだろう。

 しかし今回は怒りで我を忘れた里愛は床にうずくまり、頬を押さえる男を見下ろしながらその場に侍女がいることも忘れ、思い切り日本語で罵倒した。



「ちょっと、如何いうことよ!何で私の髪の毛が銀髪になっているのよ。瞳がアンタと同じ色になっているの。……あと、何で私の、私の身体が縮んでいるのよぉ!」



 普段より縮んだ身体で床に転がる男を思いっきり足蹴にする。

 異世界に連れてきただけじゃ飽き足らず、人の外見まで変えるとは良い度胸をしているとしかいいようがない。

 覚悟は出来ているんでしょうねぇ!と般若の様な形相を浮かべながら男の胸倉を掴んだ時だった。

 ふいに後ろから抱きすくめられると、侍女のお姉さんに抱っこされてしまった。

 膨れっ面のまま胸倉を掴んだ手は放さなかったので必然的に首を絞められるような状態になる男。

 苦しそうに眉をしかめながら「里愛、苦しいから、放して」というものだから仕方がなく手を放した。

 勿論床に顔面をぶつけた男は再び激痛に転げ回るという無様な姿をさらす事になったのだが、それでは里愛の怒りは収まらなかった。

 本当は侍女の腕から飛び降りて男の上に飛び降りたい気持ちでいっぱいだったが、そんな里愛の気持ちを代弁するかのように侍女が男を足蹴にするのが分かった。

 尖ったヒールでぐりぐりしている。おお、遠慮の欠片もない攻撃だ。感心したように手を叩いていると、にっこりと微笑みながら女性が何か呟いた。



「ハズグノーコ ヲニーナィタッイ ノータシカラャ ラュシカ?」



 何を言っているのか全く分からないが、笑顔で男を罵倒していることだけはニュアンスというか、雰囲気で分かった。

 何か凄い、笑顔だけで相手を圧倒しているよ!この侍女さん。

 感心したように侍女の腕の中で痛めつけられている男を眺めていると、ふいに懐から取り出した腕輪の様な物を差し出しながら男が何かを言った。



「ニデュレーコ ガバートコ ラカールジュツ」

「……」



 侍女は眉をひそめながらも受け取ると、里愛を見つめる。勝気に見える橙色の瞳を見つめ返せば、腕輪を突き出された。

 はめてもいいかとその瞳が語っており、里愛は頷く。一体何のためにはめるのか全く分からないが、必要じゃないものだったらすぐ外せばいいと思ったのだ。

 子供の体になった里愛の腕には大きすぎる腕輪だったが、はめるとサイズを合わせるかのように小さく縮むのが分かった。

 凄っ!何だこの不思議腕輪は。

 瞳を瞬きながら腕にはまった腕輪を眺めていると、不意に侍女が口を開いた。



「リディア様、言葉……通じますか?」

「リディア様って誰?」

「リディア様はリディア様ですよ」

「……私の名前は里愛です。リディアじゃありません」



 思わず真顔でそう呟いてしまったのは仕方がないと思う。だってリディアなんて聞いたことないし、私の名前は里愛だ。

 それ以外の名など知らない。



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