第五話 謝罪なんていらないから帰して
要するに魔術師の花嫁候補として自分はこの異世界に呼ばれたらしい。期限は一ヶ月。それさえ乗り切れば元の世界に戻してもらえるらしい。
……一ヶ月か。微妙に長いな。そして花嫁候補は自分の他に六人いるらしいから、合計で七人か。
七人。多いのか、少ないのか何とも言えぬ人数だ。そもそも、そんなに偉い人なら政略結婚でも何でもすればいいじゃないか。
それこそそこら辺の令嬢とか、お姫様でも良いと思う。
兎に角、一般市民代表ともいえる自分がその枠に入っていいわけがない。
ろくでもない奴に目を付けられたものだと密かに嘆息していると、ニコニコ笑いながら男が話しかけてきた。
「で、一ヶ月の間だけだけどやってくれるかい?花嫁候補」
「最初から拒否権なんかないくせに」
「まあね。でも良かった!里愛が引き受けてくれて。引き受けてくれなかったら無理やり連れて行く所だったよ」
「似たようなものじゃない」
私の意志なんて関係なく連れて来たくせに何を今更良い人ぶっているのやら。
麗人が心底嫌っていた理由が凄く分かってしまった。私だって出来れば二度と顔を見たくない相手だ。
ふつふつと沸き上がる苛立ちを押し隠すことなく顔を膝の上に押し当てる。何も見たくない。そんな事を思いながら膝を抱きかかえた時だった。
ふいに甘酸っぱい香りが周囲を包んだかと思うと、身体がふわりと浮いた。
驚いたように瞳を見開けば逞しい魔術師の腕の中に納まっていた。
「ひぃ!」
思わず悲鳴を上げながら足をバタつかせる。しかし、痩躯な身体つきに反し、力はあるようでびくともしなかった。
見る見るうちに頬に血が上り、朱色に染まる。真っ赤になった里愛を見つめながら男は瞳を細めた。
「ごめんね、里愛。疲れただろ?少し休もうか」
そっと目元を覆うように手をかざされると、突然抗いきれぬ睡魔に襲われ、瞳がゆっくりと落ちていく。
う、そ……。何で、今の今まで眠くなんて無かったのに……。
そんな事を思いながら遠のく意識の中、もう一度低い声で謝る男の声が聞こえたのであった。
眠るように気を失った少女は崩れ落ちるようにシリウスの腕の中に倒れてきた。
まだ子供と言っても可笑しくない華奢な身体をまるで宝物を持つようにそっと抱き締める。
腕の中で身じろぐのが分かるが、魔法で眠らせたからしばらくは起きないだろう。
観察するように胸の中にいるその小さな存在を見つめていると、呆れを含んだ声が部屋の中に響いた。
「全く……謝罪するくらいなら最初からやらなければよいものを。相変わらず性格悪いのぅ、主は」
「君だけにはいわれたくないよ。それよりも余計な事は喋ってないだろうね」
何よりも危惧していたのはそっちだった。目の前の魔女は自分が面白ければ何でもやる悪癖があるため、利用するにも注意が必要だ。
知り合いの魔女の中ではまだ扱いやすい分類である事には変わりないが、それでも変わり者の一人に違いない。
先程まで里愛に向けていた笑みを消し、ソファで寛いでいる魔女を殺気の篭った視線で見据える。
優しさなど欠片もないその表情に煙管を銜えたまま魔女はくつくつ笑った。
愉悦を含んだ眼差しを此方に向けながら口元を歪める。
踏ん反り返った姿で足を組みかえると、魔女は酷く楽しそうに笑い声を漏らした。
「やはりそっちの姿の方が似合っておるの!主には貼り付けた様な甘ったるい笑みは似合わぬ。それにしてもあれ以外にあのような笑みを向ける姿を妾は初めて見たぞ?」
「三年間とはいえずっと一緒に居たからね。しかもハニーにそっくりだから尚更愛着が湧くっていうか……ああ、もう、あんな奴にあげたくないなぁ、僕の里愛~」
里愛が寝ているのをいいことに、頬を摺り寄せるようにくっ付ける。こんな機会でなければ里愛は触れさてくれもしないだろう。
彼女は可愛らしい女の子は好きだが、男は基本嫌いだ。
何が理由で嫌いになってしまったのかは知らないが、多分色んな連中に告白されて嫌になったに違いない。
ああ見えても三年間の間に告白されていた数は実に数十回を超える程だ。
本人はあまり自覚無い様だが、里愛はかなり可愛いのだ。艶やかな黒髪に怜悧な光を宿した黒曜石の瞳。
ほっそりとした輪郭に整った鼻梁。ほんのり色付いた唇など思わず噛み付きたくなる程だ。
制服姿などもろ好みで何度襲いそうになったことか。
いやいや妻の居る身でありながらそんなことしたら僕、ハニーに殺されちゃうけどね!
浮気する度に死の数歩手前まで追いやられていたから冥界の王とも仲良くなっちゃったよ。
という冗談はまあ、置いといたとして……。
「兎に角、里愛に何かしたら冗談抜きで俺がお前を殺すから」
「おやおや、口調が変わっておるぞ。心配せんでも好き好んで関わるわけなかろう。妾とてまだ死にたくないからのぅ」
「ならいいけど」
「弁解するようぢゃが、別に主に対して怯えているわけぢゃないからな!ほんに恐ろしゅうは嫁の方ぢゃ。今でも脳裏に焼きついておる。嫉妬に怒り狂い、絶望したあれが大陸を焦土に変えた光景を」
魔女にしては深刻そうな表情でそう呟いた。
何百年も前の話だというのにその時の恐怖を身体は覚えているのか、ぶるりと震わせると、二の腕を擦る。
焦土に変えられた大陸を文字通り元に戻すのに半年を要した筈だ。
目の前での魔女もその復興を手伝っていた一人出会ったに違いない。
半年で焦土と化した大陸を元通りに戻せたのだから凄い事に違いないが、その間それこそ奴隷の様に扱き使われたのだろう。
まあ、うちのハニーは世界の基礎を作ったといわれる大魔術師の一人だからねぇ。
大陸一つ滅ぼすのなんて何てことないのだろう。
「はははっ!僕も今度浮気したら確実に灰になる覚悟だけはあるよ」
「既に主が灰になる条件は揃いつつあるような気もするが……まあ良い。妾は主に頼まれて手伝っただけぢゃからな!弁明の余地ぐらいあるぢゃろう」
「話が通じる状態だったらいいねぇ」
本当に、ブチ切れた時のハニーに言葉が通じるとは思っていないだけにシリウスは真剣にそう思った。
勿論ばれなければお咎めもないし、夫婦関係は至って良好でいられる筈なのだ。
もっと恐ろしいのはそれすら超えて怒りを殺意に変えてしまう事だと思う。そうなったら多分大陸が焦土に変わるくらいじゃ済まないだろう。
現に昔は九つの大陸が世界に存在していたが、そのうちの一つはハニーが完全消滅させた事で有名だ。
焦土を越えると消滅のレベルに達するから怖いなんてものじゃない。
それを良く知っているからこそ目の前の魔女は出来る限り自分と関わりたくなかったのだろう。
しょうがないから昔の小さな恩をここぞとばかりに利用させてもらったけどね。
「まあ、基本温厚だから大丈夫だよ。余程の事がない限り」
「……そうぢゃな。そうであってほしいと妾は願うばかりぢゃ」
珍しく弱弱しい声音でそう呟くと、姿を消した。お役目御免といった所か。
でも、自ら選んだ花嫁は今、この腕の中に居る。
そう……ここに。
「里愛……いいや、リディアっていった方がいいかな」
長い黒髪に指を差し込むと指の間をさらりと落ちていく。指通りの良い柔らかな髪の毛だ。
何度か撫でていると、美しい黒髪が不思議と紫がかった銀色の髪の毛へと変わっていくのが分かった。
彼女の黒髪はとても綺麗だが、魔術師に黒髪は存在しない。いや、居たとしても極稀だ。
悪目立ちするよりも色素の薄い髪色に変えてやり、逆に目立たなくした方が彼女の為にもなるし、自分の為にもなる。
基本魔術師は人間嫌いだ。魔法をまともに扱えぬ人間など屑としか思わぬ思考の持ち主もいる。
ハニーはそれ程でないとしても、未だに人間に良い感情を抱いているわけではない。
これでも人間である自分を通してまだマシになった方なのだ。
だが、これから会う魔術師はそうじゃない。未だにこの大陸から人間が消えればいいという排除志向を持っている強硬派なのだ。
そんな場所に魔術師と魔導師の区別も付かない――何も知らぬ里愛を送る自分は最低な人間なのだろう。
だが、ここで引く訳にはいかないのだ。絶対あの男は里愛を気に入る。好きになる。これは予想などではなく、確信だ。
彼は良く自分に似ているから知っている。
「ごめんね、里愛」
ごめん。僕は……自分の平安の為に君をあの男に捧げる最低な奴なんだ。
真実を知った時、君は僕を恨むだろう。嫌うだろ。罵倒するだろう。
それでもいい。
絶対に許さないでくれ。
僕は、そういう『人間』なのだから。