第三話 再会はあまりにも突然で
気がつくと見知らぬ部屋にいた。爆破された庭園も、得体の知れぬ男の姿も見当たらない。
先程まで確かに外にいたというのに一瞬で変わった光景に里愛は瞳を瞬いた。
驚きのあまり言葉を発する事すら出来ずにいると、横抱きしていた麗人がゆっくりと床に降ろしてくれた。
華奢な腕からは想像出来ぬほどの腕力にびっくりするほどだ。
まあ、自分の体重が一般女性の平均くらいとはいえ、人間を軽々と脇に抱き抱えるなど普通の女性には無理に決まっている。
足元を覆い隠すほどふかふかな高級絨毯を踏みつけながら里愛はキョロキョロと辺りを見渡した。
部屋の中には猫足の円卓に、高級そうな革張りのソファが置かれている。壁には美しい絵画が飾られ、暖炉が設置されていた。
日本ではあまり見ることのない光景に息を呑む。だが、外国……という訳ではないのだろう。
現に先程短杖の先から炎を放った男に殺されそうになったばかりだし。
そんなことを思いながら視線を麗人へと戻せば、ソファに座るように促された。
足元の高級絨毯もさることながら革張りのソファもふかふかで、座っただけで深く沈む。
やはり高いソファはこうも違うものなのだな、と感心したように弾力性を試していると目の前に麗人が座るのが分かった。
麗人は何処からともなく取り出した煙管に手をかざすと火を点す。口元に運び、至極ご機嫌な様子で一服を始めた。
一つ一つの動作がまるで絵画のように美しく、つい目で追ってしまう。
魅惑的な唇を綻ばせながら麗人は煙管片手に里愛を見つめる。
不思議な色合いをした瞳はまるで心の底まで透かしてしまうかのように美しかった。
「自己紹介がまだぢゃったな。妾の名はエルステディア。言霊の魔女の称号を持つ者ぢゃ」
「言霊の、魔女……」
魔女とはこれまた突拍子もない話だと思うが、目の前で煙管を吸いながら寛いでいる女性は確かに人間離れしていた。
そもそも、その七色の色彩を宿す瞳など普通の人間ではありえない。自分を異界の娘と呼ぶように、彼女は自分が違う世界から来た事を知っているのだろう。
まさか幽霊すら信じなかった自分が魔女などという空想の存在に出会うことになろうとは思いもしなかった。
困惑する里愛を眺めながら麗人は顎を引くと肯定する。驚くほど傲慢でありながら威厳溢れる姿だった。
「さようぢゃ。既に察していると思うが、ここは主の住んでいた世界とは異なる世界。まあ、大陸の名などいうても理解で出来んぢゃろうから省くとして……この世界に主を連れてきたのは妾ぢゃ」
「えぇ!?」
驚きの発言に瞳を見開く里愛。何故異世界に連れて来られたのか非常に謎だが、確かに先程助けてもらったのは事実だ。
まあ、この女性のせいで死にそうな羽目になったと言っても過言では無いが。
思わず恨みがましい目で睨み付ければ、涼しげな表情で紫煙を吐き出す。天井に昇って行く紫煙を何気なく眺めながら唇を歪めた。
「とはいうても妾は頼まれただけぢゃ。恩着せがましく頼まれてしまえば妾とて動かぬわけにはいかぬ。……ほんに忌々しい男よ」
今にも煙管を握り潰しそうなほど怒気を孕んだ声音に思わず肩を震わせる。
一体目の前の麗人とその男の間でどういうやり取りがあったのかは知らないが、あまり聞いてはいけない雰囲気に言葉を噤んだ。
里愛が怯えているのに気づいたのか、麗人は目元を綻ばせ雰囲気を和らげる。
それだけで先程の恐ろしい雰囲気が消えるのだから驚きだ。
「えっと……じゃあ、言葉……そう、言葉は何で通じるんですか?先程庭園で会った男性の言葉は全く分かりませんでしたけど……」
「そうぢゃろうなぁ、この世界で言葉が難なく通じるのは妾くらいぢゃろうて。最初にいったであろう?妾は『言霊の魔女』ぢゃと」
確かに麗人は最初そう紹介してくれた。言霊……つまり、言葉を操る魔女だからこそ異界の言葉も難なく操れるという事なのだろうか。
それはそれで大変なような気がした。つまり、この世界の人と話をするのであれば此方の言葉を覚えなければならないという事になる。
……英語もまともに喋れない私に異国の言葉など覚えられるのであろうか。
いや、そもそも……元の世界に戻る方法はあるのだろうか。
目の前の女性が私を連れてきたのであれば、彼女が知っているに違いない。
「元の世界に私、戻れるんですか?」
「妾にそれを聞いて如何する?」
「……帰りたいです。元の世界に帰りたい」
元の世界に帰る方法があるのなら何が何でも帰りたい。ここは自分の世界じゃないのだからそう考えるのは当然だろう。
そんな私の言葉に麗人は笑みを深めながらクツクツ笑い声を漏らした。
品の欠片も無い笑い声は部屋の中、静かに響き渡った。仕草は優雅なのに、笑い方一つで全てをぶち壊している。
綺麗な人なのに勿体ないと密かにそんな事を考えていると、ひとしきり笑い声を漏らした麗人は先程の里愛の問に答えてくれた。
「嗚呼、元の世界に帰れる事は可能ぢゃ」
「本当ですかっ!?」
驚きのあまり立ち上がってしまうが、麗人に指摘され再びソファに座る。
しかし、元に戻れるなんて凄いのではないだろうか。
普通、異世界に召喚された者は元の世界に帰れないのが定番だというのにこうもあっさり帰れるといわれてしまうと、些か引っ掛かるものがあった。
まさか騙されているんじゃ……。疑うように麗人を見やれば苦笑を返された。
煙管を吹かしながら細長い足を組む。ふわりとドレスの裾が揺れ動いた。
「しかし、妾は頼まれて主をこの世界に連れてきただけぢゃ。帰るのであればこの世界に連れて来いと命じた奴と主自身取引せねばなるまい。妾の一存では決められぬよ」
「そんな……」
ガッカリしたように肩を落とす里愛。
そもそも、目の前の麗人に頼んで私をこの世界に連れて来いと命じた人物とは一体誰なのだろうか。
だが、連れて来たのだからそれなりに理由があるのだろう。まさか魔王が居るから勇者として倒しにいけパターンとか?
それだったら庭園で会った男が間違い無く魔王だろうな。と勝手に想像する。
想像力の無い里愛ではその程度しか召喚される理由を思い浮かべる事が出来なかったのだ。
一人悩み続ける里愛を面白そうに眺めていた麗人だったが、ふいに視線を扉へと向けた。
「如何やら依頼主の登場のようぢゃ」
全く、女子をここまで待たせるとは男の風上にも置けぬ奴ぢゃ。
嫌悪も露わにそう呟くと、麗人は柳眉をひそめる。どうやらかなり相手の事を嫌っている様子だ。
一体どんな人なのだろうか。そんな事を思いながら勢い良く開いた扉から入ってきた人物を見た瞬間、里愛は固まった。
大きく瞳を見開いたまま突っ込んでくる猪突猛進娘の頭を反射的に掴む。
普段より二割増しの力で頭を掴んでしまうのは仕方がないだろう。
むしろそれよりも、何故コイツがここにいるのか私は聞きたい。
「いたたたたっ!里愛!痛いっスよぉ」
ふわふわな亜麻色の髪の毛を揺らしながら万力のように締め付ける私の手から逃れようとする奈々美。
痛みのせいか涙で濡れた漆黒の瞳が吸い込まれそうなほど綺麗に見えた。
何時見ても可愛らしい女子だが、今はそんな顔を見ても不思議と苛立ちしか沸いてこなかった。
何故だろう。何故……奈々美がここにいるのだ。
そんな里愛の疑問を他所に煙管を吸っていた麗人はありえないものを見てしまったかのように端整な顔を歪めると、気持ち悪そうに口元を引きつらせた。
心底嫌悪するように奈々美を見つめると、理解出来ないといわんばかりに吐き捨てる。
「何ぢゃその気味の悪い姿は……前々から変態だとは思うておったがここまでとは……半径二メートル以内に入るな。穢れる」
「相変わらず失礼な奴っスねぇ。これでも里愛を助けるために急いでやって来たんっスよ」
「……………………ほんに気持ち悪いから、その姿と喋り方どうにかしろ」
我慢の限界だったのか、麗人は白皙の肌を土色に変えながら凍土を彷彿させる眼差しで奈々美を貫く。
容赦の欠片も見当たらぬ態度に奈々美は肩を竦めた。そして里愛の腰を引き寄せながら長い黒髪に顔を寄せると囁いた。
「しょうがないな。本当はもう少しこの姿で里愛と一緒に居たかったんだけど……エリスが煩いからね」
「誰がエリスぢゃ!気安く愛称で呼ぶでないっ!」
ゾッとしたように二の腕を擦るその姿にいっそのこと憐れみすら覚える。
それより奈々美が妙に近いような気がするのだが……気のせいだろうか?引き剥がそうと、躍起になると更に腰に手を回され抱きしめられる。
首元に顎を沈められ、視界に亜麻色の――んん?亜麻色……じゃ、無い?
驚いたように視線を這わせれば流れるような黝い髪が肩から滑り落ちる。
ふいに上げられた瞳はまるで宝石をはめ込んだかのような美しい蒲葡色の瞳。
……誰だ、これは?
先程まで涙目で自分を見上げていた奈々美は何処に消えた。てか、この男は誰だ?
それよりも見知らぬ男に抱き締められているという現実に目の前が真っ赤に染まる。
「きゃああああっ!変態ぃ!」
豪華な客間に乾いた音と共に悲鳴が響いたのであった。