第三六話 とりあえず殴っておこう
アルヴィドに里愛を押し付けた後、戻ってきたココを待ち受けていたのは何故か部屋中に多重結界を張り巡らせ、入り口の扉に向けて短杖を向けているアデェラードの姿だった。
先端から迸る圧縮された光は眩いほどの光を放ち、それ一つでたやすく山一つ消し飛ばすことが出来るだろう。
そんな物を考え無しに発動するような子じゃなかったはず、と思いながら止めようとした瞬間、アデェラードの顔が心底不愉快そうに歪んだのが見えた。
唇が動く。見据える先に憎い相手がいるといわんばかりに。
「死ね」
そう呟くと同時に扉が開き、入ってこようとした人物ごと光の閃光が包みこんだ。
爆風を考慮し、咄嗟に結界を更に張るココ。結界で守られていたため、入り口の扉以外ほとんど被害は無いようだった。
黒い煙が上がる中、部屋の中に入ってきたのはシリウスだった。アデェラードが攻撃してくるのは最初から予期していたのか、片手には短杖を持っている。
どうやら結界で防いだらしい。満面の笑顔で両手を広げ突っ込んでくるシリウスに眉をひそめる。
ある意味化け物と言う言葉はこの男のためにあるのではないかと時々思うほどだ。
特に悪魔と契約せず、魔導師という地位のまま対等に自分達と互角、それ以上に渡りあう人間などこの男以外見た事がなかった。
それはアデェラードも同じであったのだろう。しぶとい奴、と夫に向けるとは思えぬ冷たい口調で告げると更に強力な魔法を展開する。
本気で抹殺する気だ。
夫婦喧嘩にしては些か行き過ぎている展開にココも付いていけない。こんなことを毎回夫婦そろってやっているから周りの連中に化け物だと陰口を叩かれるのだ。
まあ、周りに被害が及ばぬように結界を張っているのは素晴らしいが、そもそもそういう行為自体が駄目だと思う。
本当に何でそんなに気に入らないのならそんな男と結婚したのか謎だが、好みの問題なのだろう。
まあ、今は省エネ中で小さな姿なので十分の一くらいしか力が出せないため、この帝国が滅びることはなくとも、城が崩壊しそうな勢いである。
目にも止まらぬ速さで魔法を展開し、繰り出すアデェラード。それを避け、或いは受け止めているシリウスも異常だ。
だが、それよりも何よりも側にリディア様がいるというのに問答無用でドンパチ始める二人にココは怒った。
「二人ともそれ以上は止めなさい!」
その言葉に動きを止めるアデェラードだったが、シリウスの歩みは止まらず、突っ込んでくる。
華奢なその身体を抱きしめようとした瞬間、華麗な回し蹴りを食らい、壁に激突することで漸く停止した。
軽く回し蹴りでシリウスをしとめたアデェラードは人形のような表情のままココを見上げる。
その姿はやはり里愛に良く似ていた。
「あの莫迦は百回殺しても反省が足りないと思うので、二百回は殺りたいのですが」
「そんな事よりも離婚した方がダメージ食らうんじゃないの?」
「離婚した上で二百回殺る予定です」
ああ、離婚前提でもう話進んでるんだ、とココが頷きそうになった時、驚くスピードで側にシリウスが来ていた。
アデェラードの小さな手をそっと両手で包みこむと「それは止めておくれ、ハニー」と呟いた瞬間、スカートの裾が翻り、踵落しが脳天に直撃する。
そのまま地べたに平伏すシリウスを踏みつけながらアデェラードは冷めた瞳で見下ろしながら口を開いた。
「誰がハニーですか。今度その呼び名を口にしたら問答無用で冥界に叩き落としますよ」
「相変わらずアディは素敵だね」
そんな素っ気なさ過ぎる所が好きなんだけど。などと口にしているが、そんなあからさまな態度を取るのはシリウスに対してだけだと思う。
一方のアデェラードはその言葉に眉をつり上げた。
「貴方に拒否権があると思いますか?三年間もまたふらふら何処かへ消えていたと思えば、異世界から娘を連れてくるなんて大罪所では済まないところですよ」
「だって……アルヴィド好みの女性を選んでいたら異世界に行っちゃったんだもん。でも、結果は大成功でしょ!」
「何処が大成功なのか教えて欲しいところですね」
「大切なのは結果でしょ。過程もある程度大事だけどさ」
氷のような冷たい眼差しにさらされることにも慣れているのかでれっと表情を崩すシリウスにアデェラードは深い溜息を零しながら握り拳を作る。
そして顔面目掛けて拳を振り落とす。随分と重たい音が鳴り響く中、相変わらず無傷だった。顔に傷一つついていない。
それがアデェラードにとっては腹立たしいのだろう。無表情の顔に怒りの色が浮かぶのを眺めながらシリウスは笑った。
「何をそんなに怒っているんだ?アディ」
「事の重大さが分かっているのですか?貴方は」
「ちょうど娘も欲しかったところだしちょうど良いと思わない?」
「思いません」
ここまで愚図だったとは、と吐き捨てるような小声が飛ぶが、アデェラードは魔法でシリウスが逃げぬように拘束すると、椅子に座った。
紅茶を口に含み、落ち着こうとしているのだろう。冷静沈着と呼ばれるアデェラードだが、シリウスの前ではそれが通用しない部分が多々あった。
多分彼の行動が癪に触るのだろう。紅茶を飲み少しは落ち着きを取り戻したアデェラードは蜂蜜色の瞳を向けた。
「さて、色々と言いたい事は多々ありますが、まずは異世界の娘に謝罪しなさい。誠心誠意込めて土下座をすれば少しは彼女の気持ちも収まる事でしょう」
「まあ、最初から謝るつもりだったけど、土下座しなくちゃ駄目?」
「しないのなら離婚ですね」
まあ、土下座をしても離婚は免れないような気もするが、アデェラードの言葉に意気込むシリウス。
暫くしてテラスからアルヴィドと一緒に戻ってきた里愛は元の姿に戻っていた。
幼女の姿などではなく、列記とした女性だ。流れるような黒髪に綺麗な黒曜石の瞳。顔立ちはさほど変わらないように思えるが、髪の色や瞳の色が違うだけでこれだけ印象が変わる物なのだろうか。
元々雰囲気がアデェラードに似ていたため、こうして元の姿に戻ってみると良くアデェラードに似ているのが分かった。
それはシリウスも思ったのか、魔法で拘束されていたにも関わらず、拘束を振り解くと里愛の前に膝を落とし、そっと手を持ち上げた。
「ああ、やっぱり何時見ても可愛いね、リディアは」
そう言いながら手の甲にキスを落とそうとした瞬間、里愛の平手打ちが容赦なくシリウスに炸裂した。
勢い良く横に吹っ飛んで行くシリウスに叩いた里愛自身が驚いたように自分の掌と吹っ飛んでいったシリウスを見比べている。
地べたに転がるシリウスを見下ろしながらこうなることを見越していたのか、アデェラードは静かに怒りを孕んだ声を出した。
「貴方の女好きは何時まで経っても変わりませんね。ええ、ここまで私を怒らすことが出来るのはこの世で貴方とルベリエくらいですよ。さて、リディアさん。貴女はこれを処分する権利をお持ちです。どうなさいますか?」
「しょ、処分って……」
「これのせいで元の世界に戻ることが出来なくなったのです。八つ裂きにしてもいいですし、冥界に叩き落としても構いませんよ。どうなさいます?」
どうなさいますも、何も普通の人間はそんなことをしたら死ぬし、したいとも思わないのが普通だ。
だが、復讐するのが当たり前だと言わんばかりにボロボロになったシリウスを差し出すアデェラードに里愛は頬を引きつらせる。
困惑する里愛の心を代弁するように側にいたココが口を開いた。
「リディア様は復讐を望んでいませんわ。まあ、今の一撃で気分的にもスッキリした事でしょうから問題ないでしょう」
「むしろなんであんなに吹き飛んだのかが謎なんですけど」
未だに自分があんな強烈な平手打ちをしたことが信じられないのか、掌に視線を落としているものだからアデェラードが種明かしをした。
「あれは私が密かに魔法をかけておいた反動です。女垂らしのシリウスが素直に貴女に誠心誠意土下座して謝罪すれば発動せずそのまま消えますが、それ以外の行動をとった場合シリウスにその反動が返ってくる魔法です」
「それでつい土下座ではなく、何時もの口説き文句を口にしたものだから発動してしまったのですね」
「なるほど」
自分にあんな莫迦力が備わっているとは思いたくないのか、しきりに頷いている里愛の側で呆れた様にシリウスを見下ろすアルヴィド。
そっと里愛からシリウスを遠ざけると、口を開いた。
「シリウス、俺は貴様の仕出かしたことを一生許さない。だが、リディアに会わしてくれたことだけには感謝する」
「少しは成長したようですね、アルヴィド」
「ああ。そうだな」
人形のような表情のまま告げるアデェラードだが、その言葉には何やら親しみが籠っていた。
その言葉に頷き返しながらアルヴィドも瞳を細める。
そしてアルヴィドの花嫁を決める長い一ヶ月が終わろうとしていた。




