第三四話 絶対強者現る
パン、と何かが破裂するような音に里愛は目を覚ました。部屋を揺らすようにびりびりと振動している。まるで地震が起こったように建物が大きく揺れていた。
だが、地震とは違う感覚に里愛は恐る恐る寝台から降りると、寝室の扉を開けた。
応接間へと繋がるはずの部屋は跡形もなく消え去り、瓦礫の山が辺りに散乱していた。黒い煙が立ち昇る中、ゆらりと何か動くのが見える。
驚きのあまり声を出ない里愛だったが、ゆっくりと爆風を払い除け近づいてきたのは一人の少女だった。
癖一つない赤銅色の長髪に蜂蜜色の瞳をした少女だ。ほっそりとした輪郭に整った顔立ち。
完成されたその顔立ちは悪くも人形のように表情がなかった。ドレスが主体だというのに、少女はラフな姿だった。
それこそ何処かにお出かけする時の様な軽装。魔術師なのか、腰には短杖が差されている。
主に黒で統一したその姿は異常な光景の中、妙に浮いていた。
なんと言えば良いのか分からず、言葉を探る里愛。この部屋の状況は一体何なのだ?
目の前の少女がやったのだろうか。だとしても、何の為に?そんな里愛の疑問を他所に人形のような少女は短杖を握ると、持ち上げた。
いきなり攻撃される!?と身構える里愛だったが、予想していた衝撃は訪れず、次の瞬間驚きの光景を目撃した。
半壊した部屋が一瞬で元通りに戻って行くのだ。跡形もなく吹き飛んだ扉は再生され、剥がれ落ちた瓦礫は本来の姿を取り戻して行く。
目の前で魔術を何度も見ていたが、一瞬過ぎて分からぬ部分が多々あっただけに目の前で繰り広げられる光景は凄かった。
思わず目を奪われる里愛だったが、完全に修復された部屋を確認した少女は里愛に視線を止めた。
感情の宿らぬ蜂蜜色の瞳が里愛を捉えている。だが、近づく事はせず静かな声で問いかけてきた。
「貴女が虚飾大陸代表に選ばれた花嫁?」
「は、はい……」
「そう、少し話がしたいわ。お茶でもどうかしら」
そう呟きながら里愛の意見など聞いていないのか、魔法でティーセットを卓に用意する少女。
完全に少女のペースに巻き込まれているのを感じながら病み上がりの里愛は椅子に座ったのであった。
少女自ら淹れてくれた紅茶はとても美味しかった。なんでも林檎が大好きなそうで何時もアップルティーを飲んでいるそうだ。
確かにマイナーだな、アップルティーって。そんなことを思いながら里愛は紅茶をもらった。
甘酸っぱい香りが漂う紅茶はほんのり甘く、美味しい。普段飲まないだけに何だか新鮮に感じた。
表情が変わらないのに、紅茶を飲んでいると、とても幸せそうに見えるのだから不思議だ。
そもそも、彼女は誰なのだろうか。勝手に部屋の中にいたからついついつられて一緒にお茶を飲んでいるが、今更ながらにそんなことを思った。
それから他愛もない話をした気がする。少女に尋ねられる事を答えると言う単純な時間。
どれだけ時間が経ったのか分からないが、さほど長くない時間だったように感じられた時だった。
勢い良く扉が開くと同時にココの声が静寂を破るように響いた。
「リディア様っ!大丈夫ですか!」
「大丈夫って……何が?」
そう呟くかどうかで勢い良く抱きついてくるココ。おふ、窒息死しそうですよ、ココさんや。
そんなことを思いながら昇天しそうになった時、真正面でその光景を眺めていた少女が口を開いた。
「そのままだとその子、窒息死してしまいますよ」
「すみません。大丈夫ですか?リディア様」
「何とか、大丈夫」
ええ、窒息死しそうになったけどなんとか大丈夫ですよ。こくりと頷く里愛に安堵した表情を浮かべたココだったが、少女を見つめると何やら緊張した面持ちで口を開いた。
「ええっと……大丈夫だった?」
「私以外の人が扉を開けたら間違いなく消し炭は免れなかったでしょうね」
「それは、申し訳なかったわ。この部屋も修理してくれたみたいだし……」
「私が許可なくこの部屋に侵入しようとしたから起きてしまった破壊ですから私が修正するのは当然の事です。それよりもあの莫迦、こちらに来ていませんか?」
「あの莫迦って……シリウスのこと?」
「ええ。三年ぶりに帰ってきたので色々と聞きたい事があったのですが、はぐらかされた上、逃げ出したのでこちらに確認しに来たのです。そのついでにシリウスが選んだ花嫁候補を見ようと思ったのですが予想以上の厄介事があったので確認しようと思いまして。この娘、この世界の者ではありませんね」
一瞬で見抜かれた事に里愛は驚いた。他の人たちはそんな事気づきもしなかったのに、この少女は少し会話しただけでそれに気づいたらしい。
ココも驚いたように瞳を見開く。それはそうだ。自分が異世界からやって来た娘なんて知らないのだから。
ついに知られる時が来てしまった。そんな事を思いながら握り拳を作った時だった。ココの唇から驚きの言葉が出た。
「そうです。リディア様はシリウスが無理やり異世界から連れてきた娘です」
「そうですか。道理で見た事もない魔力だと思ったらそういうことでしたか。この件に対し、アルヴィドは何と言っていますか?」
「……構わないそうです。リディア様を花嫁にすると、決定しましたから」
……花嫁に、決定?
既に里愛が異世界から来た娘だと知っていた事実にも驚いたが、更に驚いたのは花嫁と言う言葉だった。
その言葉に里愛は完全に固まってしまった。頭の中で反芻される言葉。どういうことだ。
一ヶ月はまだ経っていないと言うのになぜ里愛が花嫁として選ばれたのだ。意味が分からない。
誰か説明して欲しかった。ウソだと、言って欲しかった。だが、ココは悲しげに瞳を伏せながら里愛に告げた。
「先日、呪術を掛けられ、リディア様は死にかけたのです。その解呪をするのにその条件が含まれていました」
「……何で?何で助けるのに花嫁になるのが条件になるのよ」
「掛けられた呪術を解けるのが、一人しかいなかったからです」
「まさか……」
それが、ルベリエだ。言わずとも気づいてしまった里愛は唇を震わせた。生きれば、アルヴィドの花嫁になる道しかなく、助けなければそのまま死ぬしかなかったと言うのだ。
残酷な選択肢に選ぶ道などなかったのだろう。アルヴィドは助ける道を選んだ。
だが、里愛にとってはどちらを選んでも地獄でしかなかった。元の世界に戻れない。戻る事が出来なくなってしまったのだ。
シリウスとそういう約束をしていたのだから。言葉なく項垂れる里愛。
そんな里愛を眺めながら少女は口を開いた。
「そうですか。この娘を助ける為にあれが牢獄から出てきたのですか。それならば仕方がありませんね。それより、花嫁として決定と言うことは他の方達は拒否しなかったということになりますが?」
「そのとおりです。あとは貴女の決定待ちだけ。……確かにルベリエを勝手に解放したことは謝罪するわ。でも、リディア様を助けるためにはどうしても彼の力が必要だったの」
「それにしても命の代価にしては些か高すぎる気もしますが。それにそこにこの娘の意思は全く反映されていないようですので、私はその決定を棄却したいと思います」
「な、アディ!?」
驚いたようにココが叫ぶのが、聞こえるが少女は表情一つ変えず、感情のこもらない口調で告げる。
思ったこと、感じたことを、素直に口にしていた。
「大魔術師の一人にて、虚飾大陸代表フェイタルはこの決定に疑問を覚えます。異世界の娘を召喚するのは大罪です。ですが、その事実をねじ伏せ、この娘を花嫁にする理由は何ですか?」
「だから、理由は先程申した通り――」
「そのような後から取ってつけたような理由は要りません。率直に申しますが、異世界の娘を元の世界に帰すことなどルチアーノの力を借りずとも、私にでも出来ます。ですが、そうしない理由があると考えるのですか、どうなのですか?」
元の世界に帰る方法がある。その言葉に里愛は驚いたように顔を上げた。人形のように無表情のまま見つめる少女は驚くほどしっかりしている。
むしろ外見に騙されるととんでもない目に遭いそうな気すらしてきた。
だが、彼女の言うことが正しいのなら、一体何の為に自分を花嫁にするのだ?それをアルヴィドが望んでいるなど頭の角を掠りもしない里愛は不思議そうに二人のやり取りを見つめる。
「私が色々言えるような立場ではありませんが、今回の花嫁選びは全てシリウスに一任していました。ですから、あの莫迦がやらかした後始末は妻である私がやらねばなりません」
まあ、もうじき離婚するかもしれませんが。と冷めた目で告げる少女に今度こそ里愛は大声を上げた。
これは吃驚だ。驚きすぎて、腰が抜けるかと思った。えええ!?こんな少女があのシリウスの嫁!
ありえないと言わんばかりに穴が開くほど凝視すれば人形のような少女はしれっと「この姿は省エネ中なので小さくなっているだけです」と答える。
つまり、元の姿は妙齢の女性の姿に戻ると言うことか。やはりこの世界の人間は姿で判断出来ないと、しきりに頷きたくなった。
むしろ、顔をでれっとさせながらハニーと呼んでいたシリウスを思い出し、眉をひそめる。
この少女を相手にハニーと言ってもまともな反応が返って来ないような気がするのは気のせいだろうか。
それでも、めげずにハニーと呼びながら接しているのだとしたらある意味ウザイなぁと失礼なことを考える里愛。
まあ、人様の家の事情に首を突っ込むような事はあまりしたくないのでスルーする事にした。
あくまで追求する姿勢を崩さない少女に負けを認めたのはココの方だった。口調も砕けた物に戻ってしまった。
「もう、無理。アディを言いくるめるなんて無理なのよ、やっぱり。まあ、大体察していると思うけど、今回シリウスが色々とやらかしていて……まあ、その代償で元の世界に戻せないのリディア様を」
「だから花嫁にしてしまえ、ということですか?」
「違うわよ。アルヴィドが『リディア様が良い』っていうんだもの。私が否定する理由はないわ」
何だと。あのアルヴィドが他の誰よりも私がいい、などという姿を想像できず、里愛は顔をしかめる。それはロリコンでマザコンでホモの言う科白か?
色々と確認したい所だが、頭の中がパンクしそうだった。まさかそんな風に誰かに求められると思っていなかったのだ。
しかも、あのアルヴィドである。初対面で殺されそうになった記憶が大きすぎてやはり無理だと首を振ってしまう。
そもそも、今の姿が好きなのであって、元の姿に戻ったら嫌になってしまうのではないだろうか。
やっぱりロリコンだし。幻滅すれば諦めてくれるかな、と微かに淡い期待に縋ってしまう里愛。
そんな里愛にココは恐ろしい言葉を発した。
「というわけですので、リディア様。アルヴィド様の事を色々と誤解されていらっしゃるようなので、お話されてはいかがですか?」
「へ?」
「大丈夫です。既に隣のテラスで待たせておりますから」
そう言う問題じゃないと思うのだが、てか心の準備はっ!?無し、無しなの?
思わず嫌だと首を横に振うが問答無用でテラスに連れて行かれた。そして未来の旦那さまに確定したアルヴィドと久しぶりの再会を果たしたのであった。




