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第一話  夜のお誘いは油断禁物



 それは静寂な部屋の中に鳴り響いた一本の電話により始まった。

 既に時計の針は午後十時過ぎを指している。電話をかけるには非常識ともいえる時間帯だった。

 元々早寝早起きを心がけている里愛は面倒そうに耳元で鳴り響く携帯電話を鷲掴みすると、乱暴な仕草で通話ボタンを押した。

 部屋の空気が数度下がるような低い声が濡れたように赤い唇から零れ落ちる。

 黒曜石の瞳は完全に据わっており、彼女の怒りを滲ませていた。視界を遮る長い黒髪を鬱陶しそうに掻き分けながら瞳を細めた。



「お客様が――『どうしようどうしようどうしましょう!!』……お掛けになった電話番号は……『学校に忘れ物しちゃったっス!』現在使われて『ねぇ、聞いているっスか?里愛』……ございません。……また明日かけ直してきやがれコノヤロォー!!」

『あ、やっぱり里愛りあだ』



 何が『あ、やっぱり里愛だ』だ。私の努力を返せ。今すぐ返せ。利子二割増しで返せ!

 まったく、無駄な労力を使ってしまったではないか。

 こんな意味の分からない奴のために数十秒使ってしまったことさえ勿体ない。

 容赦なく通話を一方的に切ると、枕の脇に携帯を叩きつける。そしてそのままご愛用の枕に顔を深く沈めた。


 ――嗚呼、凄く気持ちがいい。

 寝る間際のまどろむ様な時間が凄く好きだ。二度寝も好きだし、昼寝も大好きだが、多分この時が一番好きだと思う。

 そのまま夢の世界に旅立つまであと十秒……というところで再び携帯が無機質な音を奏でた。もはや不愉快以外の何者でもない。

 再び黒いオーラが自身から滲み出るのを感じながら里愛はそのまま電話に出ることもなく、携帯の電源を落とした。

 黒色のラメが散ったシンプルなデザインの携帯は電源を落とされたことでただの鉄の塊と化す。

 そのまま枕に顔を埋めながら幸せそうに笑う。

 これで誰も私の至福のひと時を邪魔する者はいなくなった。今度こそ寝ることが出来る。そんな事を思いながら瞼を閉じた時だった。

 静まり返った家に呼び鈴が響き渡ったのだ。里愛は枕に顔を沈めながら眉をひそめる。


 ……こんな時間帯に呼び鈴を鳴らす非常識な輩は一体誰だ。

 無視だ、無視。そんなの当然無視に決まっている。そういわんばかりに蒲団を頭の上から被った。

 しかし呼び鈴はいくら経っても鳴り止まない。しまいにはドンドンと玄関の扉を叩きながら『里愛ぁ~』と半泣き声まで聞こえてきた。

 最悪。信じられない。まさか家の前までやって来るなんて思いもしなかった。

 しかも夜中の十時を過ぎたというのに平気で呼び鈴を押し鳴らし、無視を決め込めば近所迷惑も顧みず扉をバンバン叩く始末。

 明日辺りアパートの管理人さんに怒られてしまいそうだと考えながら里愛は重い溜息を一つ零すと諦めたように玄関の扉を開いた。



 蛍光灯が照らす薄暗い通路には一人の少女が立っていた。

 亜麻色のふんわりとした髪の毛をした可愛らしい少女は大きな瞳に涙を浮かべながら拳を振り上げている。

 どうやらまだ玄関の扉を叩きつけるつもりだったらしい。

 思わず顔をしかめる里愛を見つけると、ぽかんとした表情を一変させ、顔をくしゃくしゃにする。

 次の瞬間、狙いを定めた小悪魔が見境もなく飛び掛って来た。

 涙と鼻水で凝視することすらためらってしまうような顔のまま突っ込んできた少女。

 ギョッとしたように後退る里愛だったが、咄嗟に少女の頭を鷲掴みし、何とか押さえ込む事に成功する。

 全力で拒否させてもらいたい。

 そんなきしょい……いやいや、涙と鼻水でグチャグチャになった顔で人のパジャマを汚そうとするなんてなんつー肝のふてー奴だ。と言う冗談は隅っこの方にでも蹴飛ばしておいたとしても止してくれ。

 実は潔癖症のような部分があるから気になるんだ。

 そんな顔でくっつかれたらパジャマが悲惨なことになるって事ぐらい寝ぼけている私でも想像できるから。

 上手く動かない脳で何とか危機は回避したと思いつつ、里愛は重々しい溜息を零した。

 両手をばたばたと動かしながら突っ込んでくる猪突猛進なイノシシのような娘っ子――森田 奈々美を押さえつけながらさてどうしたものかと考える。

 きっと自分の額からは青筋が何本も垂れ下がっていることだろう。

 引きつった笑みを浮かべると溜息と共に声を吐き出した。



「取り敢えず部屋の中に入ろうか。此処じゃ近所迷惑だし」

「里愛ぁ~」



 予想以上に優しい言葉を発したためか、更に泣きじゃくる奈々美の背中を押しながら妙に重たく感じる玄関の扉を閉めたのであった。











 ――天は彼女に二物を与えはしなかった。

 奈々美の場合、外見だけ見ればとても可愛らしい女子高生だ。

 日の光を浴びれば不思議と金糸の様に透ける亜麻色の髪の毛に吸い込まれそうな漆黒の瞳。

 目鼻立ちも確りしており、桜色の唇が何時も品良く微笑を浮かべている。

 日の光を浴びたことが無いのかと言いたくなるほど病的に白い素肌は泣いたせいか頬が微かに赤らんでいた。

 男女両方から可愛いと連呼され、不思議と皆に溺愛されるような外見をしている奈々美。

 だが、性格がこれではあまりにもお粗末すぎる。と里愛は頭痛を堪えながら瞳を閉じると眉間に深く皺を刻み込んだ。

 どうやらこんな夜更けに自分の家へ奇襲をかけてきたのは学校に忘れ物をしたらしく、一緒に取りに来てほしかったらしい。

 しかもその忘れ物というのがまた厄介なもので明日提出するレポート課題らしいのだ。

 本来なら一人で行くところなのだが、夜の学校に一人で侵入するということもあり、もし幽霊なんかと遭遇したら嫌だから私も道連れ……もとい一緒に来て欲しいとのことだった。

 阿呆だ、この女……本当に阿呆としか言いようがない。



「そもそも幽霊なんかいる訳ないでしょう。莫迦莫迦しい」



 奈々美の主張を否定するようにキッパリ言い放つと、パッチリ開いた闇色の瞳を潤ませながら「そんなことないっスよぉ」と唇を尖らせる。

 他の女の子がそんな拗ねた表情を浮かべたら一瞬でノックアウトされているところだろうがお生憎様。そんな顔をされても全く心が揺り動かされないので無視を決め込んだ。

 というか基本、可愛いものは大大大好きで、趣味は可愛い女の子の観察とダンディーなおじ様探しなのだが、目の前にいる奈々美だけは何故かこの条件に当てはまらない。


 常々不思議には思っているのだが幾ら可愛らしい表情を浮かべても可愛いと思えないのだ。

 これが違う子がやっていたら自分の萌えセンサーに引っかかっていそうな気もするのだが、実に残念なことである。

 他の者にとっては可愛らしいみたいだが、私にとっては顔も性格も残念尽くしな彼女に一体何が残るのだろうかと考える。

 ……うん。何も残らないな。やっぱり。

 だったらせめて迷惑だけは掛けないように過ごしてほしいものだが、それを彼女に求めるのは難しいようだ。

 現に今だって思いっきり迷惑をごりごりと押し付けてきている最中だし。

 


「大体ここまで科学が進んだ世界で『幽霊』なんてそんな莫迦げた存在がいるわけないじゃない。常識で考えなさい。常識で!」



 柳眉をつり上げながら怒鳴れば泣きそうな顔で奈々美が「だって恐いっスもん……うぅぅ~」と大きな瞳でこちらを見つめてくる。

 どういう表情をすれば相手に同情されるか良く理解している仕草に思わず返事の代わりに溜息が漏れた。

 いやね、確かに可愛らしいのですが、何でこんなに冷静に見ることが出来るのだろう。

 普段だったら頬が緩んでいても可笑しくないような気がするのに、全っ然緩みませんよ。

 涙で潤んだ瞳を見つめながら無表情のままそんな事を思う。

 しかし、結局なんだかんだいっても家に上げた時点で自分は彼女の思惑に嵌っていたのだろう。

 どうせ断ることなど出来ないのだから。そんな事を考えながらやる気なさそうに椅子の上で胡坐を掻く。

 向かい側に座った奈々美を流し目で見た。



「というか何で私なの?呼んだのが」



 取り敢えず気になっていた理由を聞いてみれば目の前の奈々美は口元を綻ばせると、それはそれは可愛らしい笑顔で答えた。



「だって里愛の家、学校から超ー近いじゃないっスか」



 誰の家よりも。という理由に里愛の瞳は遠くなった。確かにその言葉通りで否定しようも無かった。

 そう、私の借りているアパートは学校の裏側に建っている。

 勿論学校を選んだ理由は家が近いからが一番の理由だ。そして今の時刻は深夜十時。

 学校に忘れ物をしたという理由で奈々美に付いてきてくれる人間といえば自分しかいなかったのだろう。

 まぁ、学校の隣に家があるから帰るのは一瞬だし、楽といえば楽だが早寝早起きを心掛けている私としては十分面倒ごとに変わりない。

 明日は目覚まし三個ぐらい掛けとかないと起きられないだろうな。と思わず現実逃避をしそうになった脳みそを絞りながらそんな事を思う。


 家が近いのはいいが、たまに忘れ物をした連中がこうして自分の家によって行くのが面倒だ。

 そもそも、夜の学校など一人で行けと怒鳴りたい。

 他の友人なら追い払えば大体諦めてくれるというのに目の前の奈々美だけはしぶとく、呆れるくらい騒ぐのでこちらが妥協することにしたのだ。

 今回だけだから。と念入りに忠告すれば奈々美は分かっていると頷く。


 ……それにしても本当に分かっているのか実に怪しいものである。

 里愛は溜息を零しながら身支度を整えると、外に出た。空は暗く、星が瞬いている。

 珍しく夜空が綺麗な日だな、と感心したように見上げていると、奈々美が学校のフェンスをよじ登る姿が視界に映った。

 美少女と呼ぶに相応しい外見をした奈々美は一見運動音痴っぽく見えるが、手際よくフェンスを攀じ登るその姿は妙に手馴れているというか素早い。

 一体何度忘れ物を取りに学校に忍び込んでいるのだろうかと突っ込みたくなるような動作で素早くフェンスを乗り越えると、敷地内へと飛び降り内側から掛けられた鍵を開けてくれた。



「もう大丈夫っスよ里愛」

「ありがとう」



 でも、こんなことをするくらいだったら一人で学校に忍び込んだほうが楽なのではないかと思ったが、目の前の奈々美からすれば一人で学校に忍び込むなんてとんでもないと言うに決まっているので何も言わずに黙っておくことにした。

 毎日見慣れているとはいえ夜の学校とはこれまた雰囲気が変わってくる。

 暗闇に支配された校舎は不気味だし、普段活気溢れている校庭はひっそりとしており、静寂に満ち溢れていた。

 校庭を横切り、木々が植えられている通路を歩いていると、普段はあまり気にも留めない池に目が留まった。

 今宵は満月なのか黒く濁った水面には真ん丸い月が浮かんでいた。

 あまりにも綺麗な満月に里愛はゆっくりと池に近寄る。

 美しい光景を見るのは好きだし、妙にその光景が神秘的に見えたからふらりと身体が動いてしまったのだ。


 その時だった。

 水面から凄まじい勢いで二本の腕が伸び出てきたかと思うとがっしりと里愛の肩を掴んだのだ。



「――ふぇ、ぁ?」



 まるで日本映画のホラーにでもありそうな光景に素っ頓狂な声を上げる。

 そのまま引きずり込むかのように一瞬で汚らしい池の中に里愛の姿が沈んだ。

 暫くの間水面が動いていたが、直ぐに何事も無かったかのように薄暗い池が元の姿を戻す。

 


「あれ、里愛?」



 一人先を歩いていた奈々美は異変に気づいたのか、不思議そうに振り返る。

 しかし、先程まで一緒にいた筈の里愛の姿は見つけることは出来なかったのであった。

 


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