第十四話 大罪を司る悪魔たち
招待状なのに無闇に開けたら呪いが降りかかるなんて何て地味な嫌がらせなのだろうか。これでは何時茶会を開くのか全く分からないではないか。
眉をひそめながら里愛はそっと招待状を卓の上に置いた。
……流石と言うべきか。知り合いからも世界最強の性悪女と呼ばれるだけの事はある。
正直いうとこれ以上、厄介そうな相手とは関わりたくないというのが里愛の本音だ。
だが、この招待状を送りつけてきたのはこの国の皇妃。
ボイコットをした日には何の嫌がらせをされるか分かったものではない。もしかしたら命を奪われる可能性だってあるのだ。
何せ、初対面の自分を葬ろうとした魔術師の母親だからね。そのくらい平気でやるだろう。
まだ死にたくない里愛は黙ったまま卓に置かれた手紙を凝視する。
無造作に扱って呪いが降りかかると不味いので、触りはしない。しょうがないので、後でココに何とかしてもらおう。
情けないが、自分ではこれを処理することは不可能だ。そんな事を思いながら温くなった紅茶を口に運ぶ。
温くなっても美味しいのはココが淹れてくれた紅茶だからに違いない。
緊張しすぎてカラカラに乾いた喉を潤すには丁度いい温度だ。美味しそうに飲んでいると、自己紹介するのを忘れていたのを思い出したのか金髪美女が声を上げた。
「そういえばまだ名乗っていなかったね。巷では不変の魔女と呼ばれたりするが、正式な名は無い」
「あれ?でもルチアーノって呼ばれていませんでしたか?」
他の者達がそう呼んでいたことを思い出し、口にするが女性は緩く首を振るうと否定した。
「あれは私の本当の名前などではないよ。便宜上の名が無いと不便だからそう呼んでもらっているだけさ。お前さんだってそうだろう?」
「え?」
「リディアという名は正式な名ではないだろうに」
「……っ」
吸い込まれそうな灰菫色の瞳が里愛を見据える。初めてだった。この世界にやってきて、初めて真正面からそんな事を言われたのは。
まるで全てを見透かすかのような眼差しに言葉をつまらせることしか出来なかった。
思わず視線をそむける里愛に女性は笑みを零した。
「だから好きな方で呼ぶといい。あと、この無駄に叫ぶ人形がグラトニーだ」
頬袋いっぱいに膨らませた頬を容赦なく突きながらルチアーノが指差したのは人形だった。
突然頬を突かれたせいか、ブッと頬張っていた焼き菓子の屑を撒き散らしながら人形が咽る。
盛大に咳き込んだ後、小さな体をプルプル震わせながら大きな声で叫ぶ。
白磁で出来た陶器の肌が怒りゆえが赤らんでいた。
「誰が無駄に叫ぶ人形だっ!失礼過ぎる紹介だろ!全く……おい小娘。聞いて驚くがいい!この俺様は偉大な大悪魔にして暴食を司るグラトニー様だ!」
「は、はあ……」
「何だ、その間抜けな声は!この俺様を前にして『はあ……』だとっ!?ありえねぇだろ、小娘っ!」
くわっと鋭い牙を剥くと、勢い良く飛びかかってくる人形に思わず仰け反る里愛。大きく開いた口が里愛を噛み殺そうとした瞬間、思いっきり床に叩き付けられた。
顔面から床にスライディングした人形は痛みのあまりのた打ち回る。
「痛ってぇぇぇっ!」
「お前は何度言えば分かるんだい。人は喰うなって何時もいってるだろーが」
「だ、誰がこんなガキ食うか!確かにコイツの心臓は絶望色に程よく染まっていて涎が滴るくらい美味そうだけど……げぶへ!」
「謝罪する気も無い発言なんぞするな、バァカ」
あらかじめそうなる事を予期していたルチアーノがグラトニーを床に叩き付けた後、足で踏みつける。
ジタバタ暴れるそれをぐいぐい踏みつけながら心底呆れたような眼差しを落とした。
「それで?こういう場合はなんと言うんだっけ?」
「ぐっ……」
「ほら、早くいいな」
「お、お、俺様が悪かった、から、その汚い足を退けやがれぇぇぇ!」
「失格。出直して来い、阿呆悪魔」
華奢な体を踏みつけながらルチアーノは呆れた様に溜息を零すと、指を鳴らす。すると踏みつけられていた人形の姿が消え、辺りに静寂が戻った。
何というか、色々と凄い光景を目の当たりにし、何と言えばいいのか分からなかった。
……とりあえず、あの人形……もとい、悪魔が怖かったのは事実だ。だって、くぱって……耳元辺りまで裂けた大きな口で私の所を噛み付こうとしたのだ。
あの鋭い歯で噛み付かれていたらそれこそ無事じゃすまないだろう。思わず想像し、ゾッとする。恐怖からか二の腕を擦る里愛の側に控えていたココが怖い形相でルチアーノを睨んだ。
「やりすぎです」
「私じゃないよ。やったのはグラだ」
「ですが、貴女の連れです。何とかするのは貴女の役目でしょ?」
「だから喰われる前に止めてやったんじゃないか」
むしろ感謝して欲しいくらいだ。とぼやくルチアーノだったが、感謝だけは出来そうになかった。
そもそも、彼女があんな自己紹介をしなければあの悪魔だってあんなに激怒する事はなかったに違いない。
ある意味原因は目の前のルチアーノにあるような気がしなくもないのだが。
そんな事を考える里愛を他所にふいに眠っていた筈の男が顔を上げると大きな欠伸を零した。
腕を天井に向けて伸ばすと、強張った体を解すかのように動かす。吸い込まれそうな漆黒の瞳が漸く里愛を見つけると、物珍しいものを見つけたかのように瞬いた。
「嬢ちゃん、魔術師の癖に悪魔を見るのは初めてか?」
茶会の最中ずっと眠っていた男だったが、ここにきて初めて口を開いた。
顔面を思いっきり卓に付けていたせいか微かに赤らんだ頬を撫でながら大きな欠伸を更に一つ零す。
間抜け面なのにそれすらも絵になって見えるのはこの男が美形だからだろう。……何だかこの世界に来てから基本美形にしか会っていないような気がする。
美形とまでは行かなくとも、大抵の者は顔が整っているのだ。これも異世界だからという理由で通用するのだから凄いと思った。
それにしても茶会の最中ずっと寝ていたけど、何のためにここに居たのだろうか。
そんな事を考えていると、顔に出ていたのか男が苦笑しながら「俺の連れが宮殿に用事があったんだ。その間俺は暇だからこっちに来たわけ」と説明してくれた。
連れとは一体誰なのか知らないが、宮殿に用事があるということはかなり地位の高い人物という事になるだろう。
そもそも、ここに居る人達は何処か普通の人と違う感じがするしなあ。
そんな事を考えている里愛だったが、頬杖をつきながら男が驚きの発言をした。
「悪魔つーと、俺もそうだな。自己紹介が遅れて悪かったが、俺はアチェディア。怠惰を司る大悪魔だ。運がいいな、お前。普通大悪魔なんてそうそう見られるもんじゃないぜ。特に俺たちのような大罪を司る悪魔なんてな」
「あ、悪魔……だったん、ですか?」
「あら。本気で知らないんだ。こりゃ本当に珍しいな。何処の深窓の令嬢を連れてきたんだ?シリウスの奴」
瞳を瞬きながらそう呟くアチェディアに里愛は口を噤む。まさか、目の前の男が大悪魔だなんて思いもしなかったのだ。
そもそも、大悪魔とかっているけどそれって大罪を司る悪魔という事で――この世界の基礎を作り上げた存在をこの世界の人間が知らないはずが無い。
先日、暇つぶしに歴史の本を読んだとはいえ所詮付け焼刃の知識だ。
悪魔がどんな外見をしていて、どんな存在なのかまで事細かく書いてあるわけでもなく、里愛は知らなかったとしかいえなかった。
それにしてはあのグラトニーとかいう大悪魔……無造作に扱われていたような気がしたが、気のせいだったのだろうか。
幾ら考えても限が無いので改めて目の前の男を見つめる。
人間とさほど変わらぬ姿をしたアチェディアは何処からどうみても人間そのものだ。
大体、悪魔と魔術師の区別とは何処でつければいいのだろうか?
本にはそこまで書いてなかったが、実際目の当たりにすれば分かる。全く人間と大差ないのだ。
少々発言が可笑しなところもあるが、その程度で人間と悪魔など判別出来るはずも無く里愛は違いを見つけようと凝視する。
あまりにも真剣に見つめていたせいか、アチェディア苦笑するのが分かった。
「そんなに真剣に見つめられてもなぁ……。俺ってそんなに色男か?」
「寝言は寝てから言え」
「悪魔が美形なのは契約者を誑かすためでしょうが。作り物の美って自覚してるんかい?」
「ぐはっ!やっぱり辛辣すぎる、こいつら。まあ、媚売られてもうざいからちょうどいいんだけどな」
中々に容赦の欠片も無い言葉が飛び交う中、アチェディアは満足そうに笑った。
今の会話のどこら辺にそんな満足するような部分があったのかは謎だが、本人が満足そうにしているのでいいのかもしれない。
「そろそろ時間ですわ、皆様。お帰り願います」
「おや、もうそんな時間か」
エレアノーラはココの言葉につられたように顔を上げると、壁に掛けられた時計を見つめる。
確かにこの人達が来てから既に二時間は経過していた。うん、何だか時間の流れが凄く速く感じたよ。
この異世界に来てから時間の流れが酷く遅く感じていたが、どうやら時間を忘れるくらい緊張すると早く過ぎるらしい。
初めて知ったわ。などと思っていると、エレアノーラが立ち上がったため、里愛も立ち上がり礼をした。
「今日は貴重なお時間をありがとうございました。気をつけてお帰り下さい」
「ああ。リディアも元気でな。あと、くれぐれも皇妃には注意した方がいい。あれは人の面を被った化け物だから」
「えぇ!?」
「……リディア様、エレアノーラ様の言葉は半分で聞き流して下さい」
「そういうことだ」
「うううっ……」
何と面倒な人たちなんだ。どこからどこまでが正しいのか全く分からない。多分、そうするためにごちゃごちゃ言っているに違いない。
うわーっ、本当に性格悪いわ!この人。
出来ればこのまま関わりたくないというのが里愛の心境なのだが、そんな事を口には出来ないので適当に返事をしていると、何故か頭を撫でられた。
丁度いい位置に頭があったのか、ぐちゃぐちゃに掻き回すと楽しそうに口元を緩めながら「またな」と告げてサロン室を出て行った。
他の魔術師達も移動魔法であっという間に消える。一人残された里愛は疲れたように近くにあったソファに座り込んだ。
「お疲れ様ですリディア様」
「うん……ココもお疲れ様。ごめんね、片付け一人でさせちゃって。私も手伝うよ」
「これも侍女の役目ですからリディア様はゆっくり休んでくださいませ。この招待状はどうしましょうか?燃やしますか」
「燃やしちゃ駄目でしょ」
真顔でサラリと恐ろしいことを口にするココに慌てたように声をあげた。すると酷く残念そうな顔で「そうですか」と声を漏らした。
皇妃からの手紙を確認することなく燃やしたら大変なことになるくらい里愛にだって分かる。
だが、どうやって見れば良いのだろうか。最低でも一日は開けられないと言われたのだが。
「ねえ、この招待状の呪いってどうやって解けばいいの?」
「比較的厄介な呪いではないので、一日日の光に晒せば十分ですわ」
「呪いって日の光に弱いの?」
意外な事実に驚いたように瞳を見開くと、ココは軽く頷きながら「この程度の呪いならば日の光で効果が消せるのです」と教えてくれた。
どうやって呪いの程度を知るのか分からないが、日の光に晒すだけで消えるのなら助かるというものである。
「はあ、それにしても本当に疲れたぁ」
思わずソファに寄りかかりながらぐったりとする里愛。本当にキャラの濃い人達だったと思い返すのであった。