第十二話 乗っ取られたサロン室
初対面の相手に名を聞く時はまず自分の名を名乗るのが常識じゃないのだろうか。
そんなことを思いながら目の前にいる不思議な二人組を見つめる。一人は長身痩躯の身体付きをした男だ。
堅苦しい正装ではなく、黒色ワイシャツに黒地のズボンと随分とラフな恰好をしている。綺麗な飴色の髪も所々跳ねており、寝癖だと一発で分かった。
一方そんな男に襟首を掴まれ、不本意ながらその手にぶら下がっているのは人形だ。
綺麗に梳かされた金髪に吸い込まれそうな翡翠の瞳。白皙の肌に微かに赤らんだ頬。桜色の唇はふっくらしており、とても可愛らしい人形であった。
ただし口調は悪く、こちらを見つめる瞳を鋭い。可愛らしい外見をしているのに中身はちっとも可愛くなかった。
奇妙な二人組に名前を聞かれた里愛は戸惑いながらも答えた。
「リディアです」
「リディア?聞いたこと無い名前だなぁー」
「オメェの場合全部聞いたことねぇ名前になるじゃねーか」
「失敬なっ!興味あるものは憶えているさ。だからこんな場所にまで態々足を運んだんだ」
「妻に無理やり引きずられてだろ。あーあ、偉大な大悪魔様ともあろう者が情けねぇ限りだぜ」
「君にだけは言われたくないよ。人形の器に閉じ込められた間抜けな大悪魔の癖に」
「ああ゛?何だとゴラァ、殺るか?」
「殺りたいの?」
人に名前を聞いておきながら既に興味を失ったのか、再び喧嘩を始める二人に今度こそ里愛は逃げ出そうと踵を返す。
動き辛いドレスの裾を捲くり上げ、全力で走ろうとした瞬間、ひょいっと抱きすくめられそのまま米俵のように担がれてしまった。
突然の出来事に声すら出せずにいると、抱き上げた人物が低い声で二人を叱咤する。
「何時まで遊んでいるつもりだい、この莫迦助どもが」
「げっ……」
「ネ、ネリー……何でここに?」
何故か二人の声が恐怖に滲んでいた。それほど怖い人なのだろうか?思いっきり肩に担がれているため顔は見えない。
勿論振り返る勇気など持っていない里愛は後方に見える綺麗な庭園を眺めることにした。
出来るだけ早く話し合いが終わることを願いつつ。つっても、こういう時に限って長話するんだよねぇ、みんな。
「何時まで経ってもお前達が帰って来ないから迎えに来たに決まっているだろ。ついでに頼まれていた迷子ちゃんも見つけられたし、一石二鳥だな」
「迷子ちゃんってそこのちっこい奴か?」
「おいおい、彼女はこれでも列記としたアルヴィドの七番目の花嫁候補だ。口を謹め」
「はぁ!?アイツ何時からロリコンになりやがったんだ?」
素っ頓狂な声を発しながら驚いたように人形が此方を凝視するのが分かる。すみません、お尻を向けるような形になってしまって。
でも、これは不可抗力であって、わざとじゃないんですからね!偶々肩に担がれているからこうなってしまっているだけであって……。
「アルヴィドがロリコンだろうが、まあ俺にとってはどうでもいい事さ。それよりも何時までも担いでいられたら可哀相だろう、その子」
放してやれよ。と呟く寝癖男の声に里愛は同意するように頭をこくこく頷かせる。そうだそうだ!もっと言ってくれ、寝癖男!
名前を知らないのでそんな変な呼び名しか出来無いが、実際名乗られた所で難しく長い名など覚えられるはずがない。
だったら知らない方がマシだと思ったのだ。仮に間違えて呼んでしまったりしたら不敬罪になるかもしれないし。出来ればそんな危険を冒したくなかった。
まあ、ココがいれば間違えたとしてもフォローの一つでも入れてくれるのだろうが、残念なことに今はいない。
それよりもいい加減放して欲しいんですけど。
何でこの世界の女性ってこんなにも力持ちなの!?ココいい、この女性といいホント女性なのかと問いたくなるほどだ。
まあ、後ろからでも見える見事な銀髪と発せられる美声は間違いなく女性のものですけど。
でも、前例がありますから。女性と見せかけて実は男でしたという人たちを既に二人も見つけているだけに里愛は重苦しい溜息を零した。
……ああ、こんな事だったら早く自室に戻るべきだった。やっぱり外は怖い。
他の花嫁候補では無かったが、こんな人達と出会うくらいなら自室に引き篭っていた方がよっぽどマシだ。
しかし、そんな里愛の考えている事など知らない女性は男の助言を「うるさい」の一言で切り捨てた。
「この私に命令するな愚図が」
「はい。スミマセンでした」
謝るの早っ!?どんだけ速攻でやられているの!腰の低い男だなぁ、と思わず引いていると、いきなり視界が歪んだ。思いっきり何かに引っ張られるような感覚。
浮遊感も一緒になって襲ってきた頃、突然収まった。そのままソファにぽいっと荷物を置くように放り投げられた里愛は目を回しながらソファの上でうずくまる。
目が回りすぎて動けそうになかった。ううう、気持ち悪い。状況を確認する余裕も無く、瞳を閉じたままぐったりする。
まるで酔ったような感じだ。ううう……吐きそう。
ふいに焦ったような声が聞こえ、里愛は薄く瞳を開いた。
「リディア様!」
「ココ……?」
「大丈夫ですか!?」
「うーん……目が回って気持ち悪い……」
「ネリー!何て乱暴な連れ方をしなさるんですか!リディア様は繊細な方なのですから、移動魔法を使うにしてももう少しまともな方方があったでしょうに……」
「あー、相変わらずお前は小言が多いな」
「がさつなアンタとは違うのよ!」
珍しく苛立っているのか怒り立つココの声が聞こえてくる。知り合いなのだろうか。
敬語を心がけているようだが、鬱陶しそうに扱われ最終的には本来の口調に戻っていた。
その後も何やら二人は言い合いをしていたが、気持ち悪くてそれ所じゃなかった。
こういう時はしばらく動かなければ大丈夫。直ぐ治ると思いながらソファに座っていると、誰かが隣に座るのが分かった。
ココかと思ったが、違うようで何かが頬をぺちぺちと叩いた。薄っすら瞳を開ければ垂れ下がる金色の髪が視界に映り思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
相手はその隙を見逃すはずも無く、人形が小さな手を口の中に突っ込んでくる。
思わず吐き出しそうになったが、無理やり何かを入れるものだから苦しくて呑み込んでしまった。
喉がごくりと鳴るのを確認した後、人形が満足したように上から退く。人形の姿をしたそれが後ろを振り返りながら叫んだ。
「飲ませたぞ、ルチアーノ。これでいいのか?」
「ああ、これで大丈夫なはずさ。大丈夫かい?お嬢ちゃん」
灰菫色の瞳が覗き込むように里愛を見つめる。日の光を受け、金色に輝く髪はまるで天使の輪のように見えた。
瞳を瞬く里愛の様子を観察していたが、大丈夫そうだと判断したのだろう。
人形を片手にソファから立ち上がると、卓へと戻って行った。卓クロスの上に人形を置くと、椅子に座り皿に盛りつけられた焼き菓子に手を伸ばす。
しかし、優雅さの欠片も無い仕草で五枚焼き菓子を取ると、口の中に放り込んだ。りすのように膨らむ頬。突けば簡単に噴き出してしまいそうだ。
美人なのに、大食らいだ。初めて見た、と驚く里愛を他所に喉に詰まった菓子を紅茶で流し込むように飲むと、次の焼き菓子に手を伸ばす。
大皿いっぱいに乗っていた焼き菓子だったが、ものの五分で無くなってしまった。
驚くべき食欲にもはや言葉すら出ない。ぽかんと見つめる里愛に女性は皿の焼き菓子がなくなった事に気が付いたのか視線を彷徨わせる。
まだ言い合いを続けているココと銀髪美女を見つけると、呆れた様に瞳を細めた。
「まだ言い合いを続けていたのかい、二人とも。ガキじゃあるまいんだし、いい加減にした方がいいと思うぞ。で、ココ。焼き菓子が無くなった。大至急用意してくれ。腹が減って仕方がない」
「あああっ!リディア様のお茶菓子が……なんてこと仕出かしてくれるんですかっ!ルチアーノ様」
「早くしろ。腹が減って苛立ったら自分でも何をしでかすかわからないからね」
「ああ、そうだ。この俺様もいるんだからその五倍は用意しないと足りないと思うぞ」
一緒になって菓子を平らげていた人形が平然とそう呟くものだからぶちぎれたようにココは叫んだ。
「離宮の料理長じゃお二人の食事のペースに間に合わせる事は不可能です。ご自分で何とかしてください」
「面倒だねぇ……全く、使えない料理長だ」
「本当だな。無能な奴なんか料理長にしておくんじゃねぇよ」
「そもそもお二人がいらっしゃるなんて聞いておりませんでしたから準備も何も出来てないんです」
「そりゃこちらの連絡ミスだな。しょうがない……今回は私がどうにかするか」
金髪美女は自分の非を認めると、指先をくるりと回した。
そして何も無い卓の上を数回叩くと不思議な事に先程まで何も無かった卓の上に大量の菓子が出現したのだ。
凄い光景に里愛は思わず息を呑む。こうして改めて魔法を使われるとその凄さを実感できた。
そもそも無から有を生むことなど普通は出来ないのではないのだろうか。凄いな、魔法って。不思議だ、と瞳を輝かせながら近づいて行くとココが心配そうに見るのが分かった。
「リディア様。もうお加減は大丈夫なのですか?」
「うん。あの人形が何か飲ませてくれたから良くなった」
「まあ、薬を……毒じゃありませんよね、グラトニー様」
疑り深い性格のココは元気そうな里愛を見ても安心出来ないのか微笑みながら人形へと視線を移す。
新たに出現した菓子を口に含んでいた人形は心底嫌そうに顔を歪めた。
「お前ってホントーに失礼な奴だよな!この大悪魔の俺様に向かってそんなこと言うなんて」
「人形の器に閉じ込められた大悪魔なんて前代未聞過ぎて笑えますわ」
口元に手をあてがいながら笑いを堪えているが、かなり失礼な態度だ。気を許している証拠なのだろう。
あの図書館で会った人よりは仲良さそうだなぁ、と思いながら今にも湯気が出そうなほど怒っている人形を眺めていると、自分で出したお菓子を頬張りながら金髪美女が喋った。
「そうさね。色々悪さをしでかしてきた報いだからねぇ、その姿は。まあ、一億回土下座して謝罪したら元の姿に戻してやっても良いけど?」
「誰が一億回も土下座なんかするかっ!」
「じゃあ、一生そのままの姿でいろ」
にべもなく言い放つルチアーノに言葉を噤む人形。他の面子など興味無いのか、どうでも良さそうに紅茶を啜ったり、菓子を食べたりみんな違う行動を取っている。
……てか、何時の間にここのサロン室はこんな風に見知らぬ人たちに陣取られるようになったのだろうか。
我が道を行く色濃い人たちを目の前にそんな事を思うのであった。